子どもの目線とは。。
こんにちは。先日は、子どもの目線に立つことについての私見を投稿いたしました。
その際、書き忘れていたことを思い出して、追記いたします。
子ども目線とか、〇〇目線という言い方は、かなり浸透しているのか、よく聞きます。
現総理大臣の岸田首相もよく「国民の目線にたって‥云々」と演説しています。
私が考える子ども目線というのは、本当に子どものの目の位置まで大人がしゃがんだり、据わったりして、子どものお友達というか、同じ子どもになったつもりで、話を聞いてあげるということです。
ここ、一番大切!
大人が、子どもの目線と同じ位置で話す利点は、子どもが見えている景色を共有できるという事です。
大人が立ったまま、子どもに向かって話しているなら、それが事実上「上から目線」であり「下から目線」なのです。
そこには、同じ景色はありません。
子どもと同じ景色が見えるからこそ、気持ちを理解してあげることもできるし、子ども側は同じ目線にいる人だから、大人であろうと子どもであろうと、感覚的に同じ景色が見えているという前提で物事を話すものです。
しばしば、「目を見て話すんだ!」ということをいう人がいます。
確かに、アイコンタクトという意味ではとても大切なことです。
しかし、私自身、面と向かって相手の目をみて、色々話をするというのは、やや苦手です。もちろん、信頼関係ができていれば、それは別の話です。
初めてお会いした人の目をじぃーっと見て話すのははばかれるというか、相手も逆に怖い印象を与えてしまうのではないかとも思ったりします。
そこで、よく、就職面接指導などでは、相手の口元やのどぼとけのあたりを見て話すようにするよう指導しているようです。
それもそうですよね。面接時に、下を向いて話していたら、相手は、「この人ははずかしがりや」とは思わずに、「やる気あるの?」くらいに思われてうまくいかないことが多くなるでしょう。
話は、またそれますが、岸田首相のいう「国民目線」(正確には「国民のみなさんの立場にたって」←もっとわからない!)とは、気持ちはわかりますが、最近では単なるリップサービスか?と思ってしまうことが多くなり、残念です。
さて、本題のまとめとして、子どもの目線に立つということは、子どもの気持ちになって考えるのは当然のことですが、子どもと同じ景色が見える位置まで、大人が目線を下げるということをいいたかったわけです。