
海の宝石
昨日はひな祭りだった。そして、それと同時に、我が家にとっても特別な一日だった。
そんなこともあって、家族で回らないお寿司を食べに行った。
個室の落ち着いた雰囲気と、ほんのり柔らかい照明に包まれて、なんだか少し特別な時間が流れていた。
その空間は、まるで日常から切り離された隠れ家のようで、思わず肩の力がふっと抜けた。
目の前に並んだお寿司は、どれも色とりどりで、
まるで宝石箱を開けた時みたいにキラキラ輝いていた。
赤く艶やかなマグロはルビー、白く透明感のあるイカはオパール、鮮やかな橙色で光を反射するイクラはマンダリンガーネット、黄金色に輝くアナゴはタイガーアイ……
その一つ一つが、それぞれの個性と物語を持っているように見えた。
口に運ぶたびに広がる旨みと、ほんのり鼻に抜ける香り。
その一瞬一瞬が、とても愛おしく感じられた。
家族と交わす何気ない会話も心地よくて、ただそこにいるだけで幸せだなと、しみじみ思った。
命をいただくということ
お寿司を食べながら、ふと考えた。
私たちは、毎日たくさんの命をいただいて生きているんだなって。
魚や肉だけじゃなくて、野菜や果物、大地が育てた作物たちもそう。
どれもが「生きていたもの」だということを忘れがちだが、その命を糧にして、私たちは今日もこうして生きている。
「いただきます」という言葉には、「命をいただく」という深い意味が込められているのだと思う。
ただの挨拶じゃなくて、感謝の気持ちそのものなのだと。
例えば、海で泳いでいた魚たちも、
広い畑で風に揺れていた野菜たちも、
誰かの手を経て、こうして目の前に届いている。
その過程を思うと、「ありがたいな」と…自然とそう感じるのだ。
大地への感謝
大地は何も言わずに、私たちに恵みを与えてくれる。
その無償の愛みたいなものは、どこか母親のような存在にも感じられる。
例えば、土の香りや風に揺れる稲穂など……
そういう自然の風景を見ると、私たちは大きな何かに支えられているんだなって、なんだかじんわりと胸が温かくなる。
大地が育んだ命たちをいただいて、その命がまた私たちの体の一部になって、次の命へと繋がっていく。
それって、すごく尊いことだと思う。
命の物語
たとえば、お寿司の一つひとつにもその命の物語がある。
海で生まれ、育ち、漁師に捕らえられ、
料理人の手で捌かれ、丁寧に握られて、
こうして私たちの口に届くまでの道のり……
そのどれか一つでも欠けていたら、目の前のこのお寿司は存在しなかったのかもしれない。
そう思うと、「当たり前」なんて一つもないんだなって、改めて気づかされる。
だからこそ、食べるたびに思う。
「ありがとう」と。
それはきっと、私たちが生きていく上で、
最も素直で、あたたかい感謝の形なのだと思う。
命をいただいて、また命を紡いでいく。
その連鎖の中で生かされている私たちは、きっと、すべての命に支えられているのだろう。
だから、これからも「いただきます」の意味を忘れずに、感謝の気持ちを大切にしていきたい。
そう思いながら、お寿司を一つ、また一つと味わった。
(余談ですが、帰り際に母に「カバン忘れてるよ」と指摘したものの、私自身も上着を忘れて帰ろうとしてしまい、母に指摘されちょっぴり恥ずかしい気持ちになりました😂)