見出し画像

2024そして、2025

2024

2023年からの不漁が2024年に入ってからも年間を通して続いた。なんなら2024年はさらに厳しかった。スジエビだけでなく多種多様な魚が獲れなかった。

そんな中、個人の話ではあるが、着実に進歩はできた。
昨年後手後手で終わったタツベは、先手先手で動いた成果もあり、タツベでも獲って稼げることを自らに証明できた
秋口の沖曳きでは”セ”をやる事・夜中操業に半月程で慣れ、年間のスジエビ漁(タツベ・沖曳き)がやっと本格的に繋がった。丘作業も合間合間ではあるが、譲り受けた網を触る(縮小する作業)たびに少しずつ網の構造の理解に繋がってきている。

気持ちに余裕が出てきたことで来年以降、他の単独漁法も掛け合わせていけたらと思えてきた。

着実に前には進んでいる。

そして、2025

今年も常々感じたのは若手不足の危機感。毎日現場にいると、高齢化の波がすぐそこまで押し寄せてきているのをよく感じる。
このまま沖へ出る船が減っていくと、(難易度が高い漁法ほど)僕ら若手の出漁も安全を考慮して段々と躊躇せざるを得なくなる。漁師が減れば減るほど漁場の相場も取れなくなっていく。ただでさえ温暖化など、今後も付き合っていかなければいけないような影響によって獲れが悪いのに。
エリのようなグループ操業も物理的に不可能になり、人数がいて成り立ってきた丘作業なんかの負担も大きくなっていく

こういうことを考えているとそもそもほんとに若手漁師を呼び込んでも大丈夫なのかとすら、時折足を止めては考えてしまう。

ただ好きだから

でもよくよく考えてみると、漁師という仕事がただ好きだからという理由だけで自分は漁師をやり続けるという一択しか持ちまえていない。
『好きな仕事が見つからなければ一生フラフラしててもいっか』と思っていた自分が、気がつけば沼ってしまってるほど好きになるなんて想像もできなかった。

覚えてしまったら病みつきになってしまう獲れた時の興奮自然や暮らしに馴染むように仕事をする心地よさ、そして、食“という人の暮らしを支える重要なポストを担わせてもらえていることを誇りに思える。

良い意味で喜怒哀楽もあり、人間らしい生活だなー、一生青春だなーなんて思ったりもする。笑

こんな仕事(少なくとも僕には)他にはない。だから僕はこの漁師という仕事を守り続けたいとより深く思うようになった。

次のフェーズヘ

ということで、何だかんだ前向きに未来は見続けているので、2025年からは沖島(琵琶湖)漁業の持続性に本格的に向き合い始められたらと思っています。(もちろん引き続き、日々の出漁、漁の勉強を継続しながら。)

本気でやっていくんで、もし幅広い範囲で同志になって下さる方おられたら、是非ともお気軽にお声かけ頂けると嬉しいです!

終わりに

沖島では基幹産業として、この漁業が何百年もの年月を経て発展してきた。保元・平治の乱で敗れ、沖島に漂着し住み始めた7人の武士が、自家用程度の魚を獲り始めた頃から始まりここまで繋がってきた。

ここまで発展してきた裏には沢山の苦悩と困難もあっただろうけど、みんなこの仕事が好きで誇りに思ってたからこそ、ここまで続いてきたのではないかと僕は考えています。

だからこそ先人たちの想いも乗せて持続可能な漁業にしていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!