スートラマガジン
Eat Those Books
6ヶ月といえば半年である。 半年もの間、noteを微塵も触っていなかったのは何事かと弁明するに曰く「忙しかった」。いわば書く専で、僕は皆様の豊富な記事たちをすすんで見るためのものとしてnoteを扱っていない。すなわち記事の更新のない期間は、そのままnoteを開かなかった期間である。 しかし書く専たる僕が、この期間何も記さなかった訳ではない。むしろ筆繁く、文章を書き続けていた。媒体がこのデバイスでなく、実質の紙だったのである。 B5のノートに万年筆。 どこからか湧き出でた文
高画質のドビーが恐ろしくて、僕は人を殺してしまった。本を濡らせ!順ぐりにどんぐり食べような? 「こざかしい!」ペシっ 抜森男は激しく妻を引っ叩いた。徳川家康の財宝がメルカリで100000000円、そいつをブルジョワがしたためたというのだ。世界中のTSUTAYAが侘しさに包まれる頃に僕は行こう。ワニバーン。 4x4が16になることにどうしても合点がいかず、今日もやかんを磨いているのサ。さして苦しくもないアゲアゲの、くるみ割り人形が喋ってんだ。トムハンクスになろう。 雪の宿
いつの間にやら年が明けて、日々着々と風化してゆく己の肌身に気も留めず手垢まみれの萎びた粘土をこねては潰して定まらないまま年が明けている。明け行く年を受け流し期限期日を先延ばし年が明けていた。明智光秀
「継続は力なり」どんなに小さな仕事でも、”継続”の力によってそれは偉大な仕事になるだろう。ザコシの動画投稿を思い出す。運棒も然り、塵も積もれば山となる。 「ルーティンが全てだ」とよく耳にする。ルーティンに落とし込めば勝ちだ。何事も、ものを言うのは習慣で、習慣こそが最も堅実で確実な手段である。本もたくさん出ているようだ。ジェフベゾスもベートーヴェンも云々。 さて自分を鑑みるに、私にはなにか継続ができた試しがない。何にしても(このnoteを含め)、一応続いてはいるものの、一週間
「あ!ふざけんな」 カラスがいるからダメなんだ。失敬(蝶のような猿)。ふと電線を握る。八百万の神様達もこれには平行四辺形である。であるからして、である。だめ? スマブラの ピクトチャットの衣擦れの 蕁麻疹こそ秋は来にける 一兆 スマホを食べちゃう。近頃の仙人はダルい。 そして輝くウルトラソウルがあるのだ。違うか!生きとしいけるもの、おしなべてインコとは邪悪なものだ。ミルワームの心を知れや。KIRINのビールがこぼれちゃる、俺がそうしたるわ。ええいママよ!二日坊主と申
「酒を一切飲まぬ男、煙草をのまぬ男と結婚してはいけない。」R・L・スティーブンソン あの街に行きたい。鮮烈で明白ないつかの憶えがふとよぎり、どうしようもない現時点から、恋焦がれるあの街へ、店へ、今すぐにでも移りたくなる。お酒を飲めばあの街が、コーヒーを飲みたくなればこの街が、寒風に吹かれるならばあの宿が、それらの体感が今現在のように思われる。私にはお酒の場合が多いようだ。無作法に酔ったあそこへ行きたい。本日の酔った頭には、酔ったかの時の風が思い出される。牡蠣が食べたい。暖房
明けましてボリビア。歌留多です。歌留多でした。クラゲだが鋼で、ライフル銃だがブチャラティ。なんだろうかと言われれば、答えてあげるが世の情け。 炎症中のカサブタのブタクサ一つおっかない。たたらばに行け!鉄亜鈴なのだ。そして、拘留中のカサブタのカサブランカのはげの人。ああ俺は、ウイスキが飲みたいNya。猫なのである。 「は!?」 クララが立った。 もふもふのあの、上着がいいやな。やっぱ村でしょう。板か知らない。どう思うか、人こそものの好き好きで、やや悪しからぬ村正ひときれ。
楽譜が読めたなら、と何度思ったことか。楽譜が読めたなら出しぬけのメロディをすぐにメモして言語化して、便利になる筈だし、楽譜が読めたなら、イカした楽譜ファイルを片手に外をお散歩できるのだ。楽譜が読めたなら、私の生活はよほどグレードアップする筈なのだ。 偏見が偏見を呼んでいる。ときどき願うだけの文句が脳細胞中こだまして、しかしこだまするだけで、いつもフェードアウトしてゆくばかりだ。それは契機が少ないからで、あるいは、本当は願ってなどいないのかもしれない。叶わぬだろうなとしてハナ
戦後、軍部は未亡人を題材とする小説の執筆を禁じた。赤穂四十七士は英雄的な活躍の後に皆切腹を命じられた。武士道の時代、主君を討たれた人間は仇討ちを責務とした。日本の終戦は天皇の号令によるものであった。 坂口安吾は日本におけるこのような事象を挙げ、そしてここから日本人の性質を逆説的に提示した。すなわち我々は「権謀術数の民」である。 これらの反自然的な掟は、むしろ禁じられるところの”堕落”した性質、フシダラでどうしようもない元々の性質を如実に示している。美しいものは美しいままで終
期日を設けて何かやることに大いなる不得意を感じるこの頃である。もとより適当な性分がようやく自分にも納得されて、それならばそのまま挑もうじゃないかという一種の諦観が私の本丸脳髄提督将軍のしばらくの意向となった。DISC3はもうできている。
この夏何匹の虫を殺してしまったかわからない。 夜蝋燭を付けておくと、特に雨降りの後の羽蟻などは自らそこに寄ってきて、一生懸命に蝋燭を登り最後には火に焼かれ死ぬ。中には麓のドロドロの蝋に溺れて死にゆくものもある。哀れなものである。 通常開けている窓を閉めるとき、サッシの隙間に隠れているかめ虫などがグシャリと砕ける事がある。いやな手応えと、その後に漂ってくるいやな彼の臭いがいっそう不快で、哀れなものである。小さな緑の種類でなくて、親指程の茶色である。僕はせっせとその隙間から死
下手な泣き方をしたものだから彼はまぶたが酷く腫れてしまった。手鏡を覗くと、まだ引き付けに歪んだ口元がこわばっていて、普段見えない口もとのしわが固く動かなかった。まぶたが酷く腫れている。まばたきに彼は重みを感じた。白目が唇のように赤い。鼻水はすでに止んだもののまだ呼吸にぐずぐず音を鳴らしている。ごめんねありがとうとお互いに言って、彼女の方が全く丈夫で、よほど泣き虫は彼の方であった。日頃よく涙していた彼女よりも、彼はよほど、思い出というものに弱いのだ。 さて彼は手鏡を覗きその
好きこそ物のウンポコ、という言葉がある。たかし井くんは空に原始だよ。ウツボカズラが茂っている。 蟹ガザミは鋭いぞ。サバンナ高橋が宣っている。 サングラスってあるが、あれはいわゆる目遮光カーテンでしょう。それが気に食わないんだ。だって窓じゃないじゃない、となると睫毛はちゅがっこうって訳かい。なこたないでしょう。ああ首が回らねえお遍路。 電子レンジ源氏平氏電気戦士。オードリーのばかはやし。ベートーベンでも言わねえわな。蔑むってか!?裁判。あれはグリズリーです。猫はもっとかぐわ
僕のいくつかの友人はしきりに死にたいと言う。その度僕は自分を凡々と思う。なぜなら僕は不幸の折にも死にたいと思わず、朝ふと目覚めた時にも、過去の後悔や現在の淋しさにも死にたいと思わないからである。そして彼ら彼女らの「死にたい」は全く真剣だからである。「死にたい」というのを本当に死にかねない様子で言うのである。そんな真剣な事態が僕には無いので、僕は僕の悠々自適を陳腐に感じ、時には屈辱にも感じるのである。 自殺の霊は延々とその当時の苦しみに苛まれ続けるという。首吊りながらうめき苦
小さい頃から花粉症がひどい。 春は嫌いな季節である。しかし本来、春は芽吹の季節春風の季節、そして出会いと別れの季節である。春は、夏にも秋にも冬にも勝るいい季節なのだ。それゆえに、これをわかっていながらマスクをしていなければ死んでしまう!という逃れ得ぬ陵辱がよりいっそう私に刺さる。だからこそフラストレーションの溜まるこの季節が大嫌いなのだ。
夜風が涼しいので窓を開けて外を見ている。真っ暗闇で何も見えやしない。そこに何気なく視線を置いているだけである。 4月はこんなに暑かっただろうか。四季があるとはいえども、去年の事すら思い出せないのは毎年のことである。 ともかく暑い日中だったので、このひんやりとした風が良い。そろそろ花粉の飛散もおさまってきた頃だから、やっとこうして大っぴらに外気を浴びれるのだ。ここは田舎だから、蛙らが遠くで大合唱しているのが聞こえる。春の祭典だろうか。盛りの歌にしては平静過ぎて、または球のよ