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掃除は「心も部屋もキレイにする瞑想」である

先日、「ウォーキングは『歩く瞑想』である」という記事を書いた。今回は、掃除も瞑想であるということを伝えたい。

今回も、前回と同じく華ー華さんの記事をベースにさせていただいた。

この記事の中に、次の1文がある。

また、本を読んでいて「朝の雑巾がけが瞑想です」と書いてあるのを見たことがあります。

この文で思い出したのが、次の動画。

やまぐちせいこさん「【持たない暮らし】掃除したくなる。平日の朝、お掃除ルーティン」である。

この中で、やまぐちさんは、たんたんと掃除をしている。動きに無駄がなく、手際よく掃除をしている。BGMの影響ではないと思うが、ステキな朝を過ごしているように見える。

床こそロボット掃除機を活用しているが、照明の傘の部分やレンジ回りなど全て手でふいている。キレイなのにふいている。

華ー華さんが言うように、「瞑想を『ひとつの動作に集中する時間』」と考えると、やまぐちさんは瞑想をしているようにも思う。

つまり、家事に集中している。何かを考えながらしている動作には見えない。考えてから手を動かしているのではなく、むしろ手が先に動いている。

次の動画と見比べてほしい。

これは、「善宝寺 毎朝の作務」である。掃除が手際よく、行われている。雑巾がけをリズムよく行っているが、ここでも考えながらではなく、体が先に動いているように見える。

この作務の動画を見て、改めてやまぐちさんの動画を見ると、モノが少ない部屋が禅寺に見え、やまぐちさんが作務を行っているようにも見えてくる。

集中して掃除をすることにより「無心」になるのである。

部屋の中のモノを少なくすれば、そこは禅寺となり、そこで家事をすれば、それが作務となる。

無心になることは、今に集中すること。過去を断ち切り、未来を不安に思わず、今を生きること。

禅寺に行かなくても、座禅をしなくても日常生活でできることもある。まずは、明日の朝、机をふくことからはじめようと思った。

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ココロカガヤキ研究所
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