グループの無期限活動休止が発表された。 涙に包まれる会場の空気をよそに、わたしはひっそり、実感の湧かないままそのあとの日々を過ごしていた。 発表前と変わらず現場には月1回程度しか行かなかったし、特別にたくさん話す機会を作ることもしなかった。 現場に通い詰めていた期間もあったのに、別れへのカウントダウンを教えてくれたのに、涙ひとつ出ないなんて、自分はなんて薄情なんだろうかと思ったりもした。 ちょこぼを好きになった頃から今の今まで、意識無意識関わらず、彼らのことを想わない日は
ONE FOR ALL ALL FOR ONEひとりはみんなのために みんなはひとりのために 大嫌いな言葉です 爆笑 自分にできないことだから わたしがアイドルにあこがれるのはその部分だと思う たくさんの人の中で、支え合いながら自立して ひとりひとりが輝いて見えること ライブを見に行くたびにそれを感じます ひとりでは絶対に作り出せない空間 オタクをやってると自分もその一員になれた気がした まさにチーム ひとりはみんなのために みんなはひとりのために 永遠のあこ
めせもあの陽之鳥という曲がだいすきで 落ち込んだときや感情が迷子になったときによく聞いています。 曲にはいろいろな解釈がありますが 自分の好きな誰かを通して自分の人生をおもう。 そんな曲だと思って聞いています。 1番の歌詞では 生まれ変わっても 僕になりたいなんて思わない という。 すごくすごく、わかる。 絶対に生まれ変わりたくないし 二度と人生をやりたくない と常日頃思っているので(ヤバ根暗) それが2番の歌詞では 生まれ変わったら やっぱりまた僕に生まれた
「絶対に欲しい!!!」 叫んで床を転げ回った。 時は戻って今年の4月、お友だちの招待でパラゴンのZeppライブを見に行った。 画面で見慣れたメンバーの アイドルの輝きに、驚き、見惚れて、あこがれた。 セトリの中にちょこぼの楽曲カバーが組まれていて、イントロが流れた瞬間どきんとした。 うれしかったんじゃなくて、くやしかったのだ。後輩である彼らが、満員のZeppでちょこぼの曲を披露していること。(わたしがくやしいって何?)(わかる) たぶん会社の人たちは来場なり配信なり
推しメンと初めてしゃべった日のこと 家に引きこもっていた毎日の中で インターネットは世界との貴重な繋がりに感じてた。 ニコニコ動画やYouTubeで動画を見て ツイッターでみんなのリアルタイムを覗き いろんなことを知った気になった。 お気に入りは推しメンのブログだった。 かなり昔に書いたものも読み漁り 更新も嬉しかった。 昔の彼が書いたものに 今の自分が励まされることは タイムマシンみたいでおもしろかった。 彼の世界は楽しそうでうらやましかったけれど そこで起きて
生きるとか死ぬとか、自分とか世界とか そういうことを昔からよく考えてきました。 なんで生きてるんだろう。 そう言うと 思春期だねとか病んでるの?とかそういう類のことを、だいたい (笑) 付きで言われたりする。 そうすると、笑われるようなことなんだ、これは恥ずかしいことなんだ…と思って、そういうことを口に出さなくなる。もしくは考えてもしょうがないから考えなくなる。で、普通に学校行って普通に就職して普通に働いて、普通に生活していく。 それが普通に生きるってこと。 普通と
ここ数年、わたしはすっかりアイドルにうつつを抜かして楽しく生きています。 というか 楽しく生きる理由に、いまの推しメンを選んだ って感じでしょうか。 彼から離れる分岐点はたぶん今まで何度かあって、 それでも彼を選び続けてきた。 好きでいるのがいつも楽しかったから。 人との出会いは偶然でしょうか、必然でしょうか。 どちらにせよそれが運命でしょうか。 (ドラマチックポエマー早々の登場) あの日あの時あの場所で 君に会えなかったら…………… 小田和正はすごいなー 推し