I'm (not) alone
ここ数年、わたしはすっかりアイドルにうつつを抜かして楽しく生きています。
というか
楽しく生きる理由に、いまの推しメンを選んだ
って感じでしょうか。
彼から離れる分岐点はたぶん今まで何度かあって、
それでも彼を選び続けてきた。
好きでいるのがいつも楽しかったから。
人との出会いは偶然でしょうか、必然でしょうか。
どちらにせよそれが運命でしょうか。
(ドラマチックポエマー早々の登場)
あの日あの時あの場所で
君に会えなかったら……………
小田和正はすごいなー
推しメンとオタクの出会い方って
三者三様あるとおもいますが、
わたしが推しメンを見つけたのは
うつで引きこもっていたときに見た画面の中でした。
その頃うつで闘病していたわたしにとって
明日という日は死にたい今日の続きでしかなくて、
明日が来るのがこわかった。毎日毎日消えたかった。
生きることが出来なくなったわたしが唯一出来たことは、明日に怯えることだけでした。
わたしなんかいないほうが家族に無駄なお金も時間も使わせずにすむし、生きる気がないから死ぬ、それの何が悪いんだろう、自分を許せないこんな自分のまま生きていけない
などなどなど、
人生まるごと悲観していて
すごくつらかった
数字に表れないものは理解されにくいから、うつの症状は病気か甘えか、線引きがすごくむずかしい。
周りもどう接していいか分からないし、自分も助けの求め方が分からなくて、なにも言えなくて、でも時間は過ぎていって、どんどん孤独になる。
なにも出来なくなった自分に「普通」に接してくれる誰かがいることが、いかにありがたいことか。その存在がどれだけわたしを生かしてくれたことか。
でも負の感情はひとを巻き込んでいくのも事実で、あまり寄り添いすぎるのも危ないんだよね。
それもとてもむずかしい。
わたしを殺すまいと必死に面倒を見てくれたひとがいたおかげで、わたしは生き延びました。
3年かけて、外出したり家事をしたりテレビを見たり、そういう「普通」のやれることが増えて、
些細なきっかけでまた落ち込んで死にかけて、
励まされて少し進む、
また戻る、戻る、戻る、を繰り返しながら
「普通」とは程遠い自分の毎日に、楽しい希望なんか感じられなかった。
わたしがよく「普通になりたい」というその言葉の意味、自分が特別だと思っているわけではなくて(特別うまくやれない人といえば特別かもしれないが)、そういう「当たり前の普通」という意味なんです。
「普通」に対してのコンプレックスがすごいんです。
それでも徐々に元気な時間も取り戻していたわたしはある日、アイドルの動画を見ていました。
まだ元気だったとき、そのグループのライブに姉と遊びに行っていて、それが楽しい思い出として自分の胸に残っていたのです。
その頃にはグループが改名し、後輩グループも出来て、活動の幅を広げていました。
わたしが引きこもってる間にこの人たちはこんなに頑張って大きくなってすごいなぁ、って、面白いというより楽しそうでうらやましかった。
そのうち後輩グループの内のひとりが気になり始めました。 いまの推しメンです。
自撮りの写真を見て、わー!かわいい!
歌って踊るMVを見て、えっこんな声なの?この顔で?
ブログ読み漁って、えっこんな文章書くの?この顔で?
ギ ャ ッ プ で コ ロ リ /(^o^)\
(時代錯誤の顔文字)
女オトすときはギャップだ!メモっとけ!
ふと、
久しぶりにライブ行ってみようかな?と思いました。
調べてみると、ちょうどすぐ見に行けそうなライブがありました。恋はタイミング。
アイドルの知らぬところで
またひとり、オタクの運命が勝手にスタート。
遠くても見れればいいや、と二階席のチケットを取りました。席があればパニックになってもとりあえず大丈夫だろう、と。一体何が大丈夫なのか。
人混みや電車など、人の多い騒がしいところがとにかく苦手になっていました。いまも得意ではない。
姉に同伴を頼み、何度も途中の駅で降りて休憩して、やっと会場に着きました。開催ギリギリにチケットを買ったからか、うしろの端の席で、となりもいなかった。ほっとしました。
震えながらやっとの思いで観に行ったアイドル
正直その日のライブほどアイドルの輝きを感じたことはないです。生きる元気をもらう、まさに言葉どおりでした。
かっこいい、キラキラ、体力すごいな、どれだけ練習したのかな、まぶしい、たのしい、色々めまぐるしく
自分の人生の悲観も恥も憂鬱も、ゴチャゴチャ全部、感じなかった。ずっと楽しかった。
輝くステージのアイドルを眺めながら、毎日泣き疲れて過ごす自分を恥ずかしく思った。生きようと努力もせず、そこにかなしく存在するだけのわたし。
彼らが自分と同年代ということを知っていました。負けたくないと思いました。
わたしも生きたいと
つよくおもった
それに加えて、
「なにもできない」毎日を過ごしていた自分が
「ライブに出かけて帰ってくる」という、人から見たら普通の出来事、でも「なにかをやり遂げた」という事実が何より嬉しくて自信になりました。自分に対して。
3年も社会から離れていたので、また仕事を始めることも難しかった。
履歴書ひとつ書くにも、わたしが必死に闘ってきた3年間は、世間からしたら「無職で空白の3年間」なわけです。3年も何してたの?ってな。
面接行っても半べそで上手く喋れなかったり、せっかく雇ってもらってもすぐ行けなくなってしまったり。
頑張って働いて、お金を稼ぐ、ご飯を食べて、眠って起きて、また働く。
そんな「普通」のこと、それさえも出来ない毎日
情けなくて惨めで、周りへの申し訳なさでいっぱいでした。
でも死にたがるのはやめました。
あなたを見に行きたいから。
それを理由にわたしは頑張れた。
ひとつライブに行けたら、すごく満足でした。
ライブそのものももちろん楽しかったけれど、いわばそれは外に出ることの練習でした。
彼を見に行くということを理由にして、わたしは外に出たのです。
時間に間に合うように、起きて、身支度をして、家を出て、電車に乗って、ライブを見て、帰る。決められた時間通りに動くことがすごく難しかったんです。
だから帰ってくるたびに、わたしちゃんと予定こなせるじゃん!って嬉しかった。
そんな状態で特典会にも行ってみました。なかなかガッツあるくない?(笑)
二回目くらいかな、推しメンに何気なく
「普段は何してるの?」って聞かれたんですよ。
恥ずかしくて何も言えなかった。
学生でもないし、会社員でもない、ちゃんと働けてもいなくて、ただ死なないように生きてるだけだった。社会においての自分の立場がないことをあらためて痛感しました。
そんな感じだったので、ライブは番号が悪くても見れれば満足していたし、位置取りとかレスとか、券をいっぱい買ってお話したいとか、そんなこと以前の問題でした。
「いつもライブ来てくれてありがとう」
ある日の全員握手に並んだわたしに、何気なく推しメンが放った一言でした。
驚きました。
見に行ってること気づいてんだ、アイドルすげーな、と。
実際ほんとにわたしのこと分かっていたかどうかは知らないし、そもそも推しメンはいちいちそんなこと覚えてねーのよ、わかってるわかってる。
でも、クソみたいな毎日を生きて、世間の中で居場所のないわたしの存在に微かでも気づいてくれる人がいたことがめちゃめちゃ嬉しかった。
認知をもらってさらに沼にハマる…うーん
オタクの醍醐味!!!
これ 本当に常に思うんですが、推しメン並びにアイドルみんなの、何気ない一挙一動が本気で誰かを救ったり殺したりする、すごい力だなあと思います。できるだけ良い方にその力がはたらいてほしいとおもう。
アイドルって本当にすごいパワーをもっている。
だからかっこいい。
それからは落ち込んで死にたくなったとき、死ぬ方法を考える前に推しメンのことを思い出すようになった。
というより、当たり前のようにいつも頭の中に彼が存在するようになった。
「どうせ死ぬならもう一回ライブ行ってからにしよう」
「もう一回会いに行ってからでもいいかも」
次のその日まで、堪えて生きて、やっと見に行って、会いに行って、あこがれて、また生きてみる。
わたしの生きる時間はその繰り返しです。
やりたいことやって死んじゃえばいいじゃん!という考え方が、多方面に怒られそうなことはすごくわかる。すみません。でもそうやってしか生きれなかった。
普通にアイドルを応援するってどうあるべきなんですか?
アイドルの数だけ、考え方とかやり方があって、その人はその人しかいない、あなただから応援したいと思うのです。
アイドルに向ける感情、推し方、趣味を離れてもそれぞれのうれしいたのしい怒りかなしみ、ふりかかる人生の出来事、人間の数だけあります。みんなちがうね。
みんなちがうのに、求められる「普通」はおなじで、わたしはそれがとても、ずっとむずかしい。
引きこもって動画見てたわたしも、
再生回数伸ばしてた。
出かけて見に行くわたしも、
来客数としてカウントされる。
お話したくて券を買うのも、
売り上げとして数字になる。
ぜんぶ応援の形で、好きな気持ちはどこにいてもおなじ。
出かけることが簡単じゃなくなった今、ただ見に行くのも難しくなっちゃった。
うまくいかないこと、いやなことばかり、死にたいきもちから逃げられない日もあるね。
とくに最近は本当に未来への希望を持ちにくいです。期待を裏切られることもしばしば。
それでもわたし生きたい。
応援するだけじゃなくて、わたしも生きたい。
いっしょに生きたい。
同じ時代に生まれて良かったーー!!!地球に生まれて良かったー!!!サンバディトゥナーイ!!!!!
(突然のサンバディトゥナイ)
だからこそ
今オタクやめてたまるか!
アイドルやめさせてたまるか!!!
と思う。
自分が生きるために。
エゴまるだしでいい、わたしはわたしで、これからも推しメンを追いかけます。
もう、明日が来るのも怖くない。
あなたも生きる明日だから。