風を観ていた、スマホの画面にダニが飛んで来て、画面が赤く染まった
不思議な絵だぁ。うん…?なんか付随文が長い…
清潔さを保つ為には、お出掛けしないといけません。家に籠っていると清潔ではありません。何しろ清潔は世間体を伴ってこそ示されるもの、引き籠りの清潔はどんなに完璧を喫っしても何処かに不潔さを伴っているはずです、何しろ帰結するのはおそらく自己愛でしょうからね。醜ひ。
「ミルクを持ってこい」
「ミルクを持ってこい」
「ミルクを持ってこい」
…自分で取りにいったらどうでしょうか?まぁ映画の主人公には適わない行為でしょうが。
そして一回で既に、夕刻前の帰宅の人々と買い物へ出た老人たちが踊ったり、大声を張り上げてお喋りしたり逆らって飛ばされかかったりで気忙しいのに、不足があってまーた出掛けなければなりません。
やたらと犬の散歩が、いつもの1.5倍くらいは見かけました。そういえば今朝猫が追っかけ合っていました、お盛んな事で。そしてめっきり外国人の増えた小さな街には必然救急車のサイレン音が、『 #移民の歌 』…やっぱり出歩くなら夜だなぁ、埃も舞わないし。共感してしまうのです、人々の、狂気と。
んま、本を読んでいる老人を何人か(さかり犬と同じくらいの数)観れたのは救いだったでしょうか?嵐の中で、穏やかに居たいものです。出来れば、風避けれて本が飛んでいってしまわない場所で。
何やらいつも以上に意味にならない作文を…、ご覧いただいて有難うございました。僕は天邪鬼です、人々が活発になったら陽の思考は巡らせません。華やいだら批判して、闇に付す。神風を嫌っているんですからね。薫風を待っているんですからね、本当に自由に飛ぶことができると信じて、感じて。作文はその類の思考という凧に付ける糸です、誰かは握っててくださいね?
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