母が自死したあと
母が自死をしたのは2011年の春だった。
本当はその頃のことを書こうと思ったのだけれど、ちょっとまだ無理っぽい。マザコンのひきこもりが母親を失うとこんな風になったりするよって感じで母が亡くなったあとのことを書いてみようと思う。
まず、私は母の葬儀等に一切出席していない。家にいた。さすがにひとりで留守番はさせてもらえなかったのでお通夜の時は昨年亡くなった伯母(母の姉)が一緒に留守番してくれた。とても申し訳なかった、私のせいで実の妹のお通夜に出られないのだから。伯母にいろいろ話をした。多分そのせいで母の兄姉の父に対する印象はとても悪くなったのだと思う。話しすぎてしまったかもしれないけど、その時の私は話さずにいられなかった。伯母は私に「その話は誰にもしてはいけないよ」とそれだけ言ったので、伯母に話したことはリアルでは誰にも言ってない。
お通夜とか葬儀、火葬等が全て終わって母の兄姉が地元に帰るとことになり、伯母たちが私に「これからは母の代わりをお前がするんだよ」って言った。母の出身地は田舎なので、お前という言葉は悪い意味ではない。ただの方言なのだ。あと母の実家は遠方なのでなかなか会えない。私が病気なのはなんとなく知ってるけどどんな状態かは全く知らない。
私はその日から母の代わりをしなければと頑張った。料理、洗濯、苦手な掃除、とりあえず頑張った。そういえば母が亡くなった直後も母の遺体が家に居た時も私は全く泣かなかった。泣けなかったと言った方が正しいけれど。涙が出なかった。
ひきこもりだけど、父親に連れてってもらって料理のための食材を買いにスーパーにも行った。私はスーパーが苦手だ。病気になってからはスーパーとか本屋とかCDショップとかは情報が溢れ過ぎていて苦しくなってしまうのだ。母と一緒だとスーパーはなんとか我慢できた。その母がいないのにスーパーに通ってたのは本当に頑張ってたと思う。
毎日父の栄養を考えて献立を組み立てた。父は生前の母の料理にしょっちゅうしょっぱいと文句を言っていたので(ハッキリ言うと言いがかりレベル)とにかく塩分には気をつけて、父親に先にしょっぱいと言わせない為にしょっぱくないか問いかけるのが癖になっていた。
食品ロスにも気をつけた。父が仏壇に供えるためにバナナとアボカドを買ってくるので、めっちゃ料理した。バナナは私が食べられないのと父が消費しきれないので周りの人にもらってもらうためにバナナケーキを焼きまくった。バナナケーキにしたほうが人に配りやすいと思ったからだ。
父は多趣味でいろいろな会に入っていて、親戚から四十九日が終わるまではあまり出歩かないようにと言われ、守ってはいたけれど電話で「うるさい親戚が多いから出席できない」という言い方をしていてなんだかなあと思った。
あと母の死因は周りには突然死となってるので自分が突然伴侶を亡くした可哀想な夫というので知人と電話するたびにお通夜とかでどんなに自分がボロボロだったかとかとてもじゃないけど弔辞を読める精神状態ではなかったし涙が止まらなかったから小学5年生の孫が代わりに弔辞を書いて読んでくれてなかなか良い文章だったとかよく自慢していた。それもなんだかなあと思った。
父が母のことを人に話す時に普段呼んでなかった名前で話すのは嫌悪感しか抱けなくて本当にやめて欲しいと心から思ってた。
四十九日が終わると父は普通に趣味に行くようになったし、私も家事を頑張っていた。母が亡くなって半年も経ってないくらい、何が原因かは全くわからないけど限界は突然きた。父親に何か言われたのかもしれないし、それは記憶違いかもしれないけど、突然もう無理だってなった。部屋にこもってギャン泣きした。後追いしたいと本当に思った。
その日から露骨に頑張れなくなった。掃除、洗濯をやめて料理も夜しか作らないとかなってきて生活時間もどんどんまともじゃなくなった。
病院に行って母が自死したこと後追いしたいと思ってることを話すと先生は困っていた。でもやんわり後追いはやめましょうと言われたような気がする。特に薬がかわったりはしなかった。
誰かに母が自死だということをこっそり言いたくなった。自分の中だけの秘密にしておくのが辛かったのかもしれない。知り合いには突然死ってことで通していたし、家庭内でも母は自死じゃなくて突然死なんだという設定が当たり前になっててそれを真実かのようにして過ごしていたから(これは今もそう)影響のない誰かにそっと話してしまいたくなった。
そこで私は元親友を選んだ。いろいろあって少し疎遠でもあったし完全には縁が切れてはいなくて話したことを家族にバレない人。まずは母が亡くなったこと等を手紙に書いて送ってみた。死因はその時は書かなかった。数日後元親友から書き留めが送られてきた。香典だった。香典をいただいてしまっては父に黙ってるわけにはいかないので父に話して香典返しを送った。元親友と連絡をとっていることが父にバレてしまったので、母が自死だと話すことはできなくなった。香典とか欲しくて連絡したわけではないのにな。彼女とはここでもすれ違いがおきたわけだ。
リアルは無理だと思った私はTwitter(現X)のアカウントを作った。そしてひとりだけフォローして相互フォローになったのを確認したあとで「春に母が自死しました」とだけツイートした。そして、直ぐにそのツイートを削除した。これで母が自死したことを人に言うことに成功したわけだ。その後相互になった人にもDMで母の自死を伝えた。その人はとても良い人だったので話して良かったなあと思った。でも後にその人も自死で亡くなってしまい私は自分を責めることになるのだけれど。
その頃はmixiもほとんどやめてる状態でマイミクさんともやり取りがなくなっていた。その中で元々私にmixiを紹介してくれてそれなりに関係性があったひとりのマイミクさんとだけ相互フォローになった。一応話しておかないとと勝手に思い込んでしまった私はDMで母の自死を伝えた。無反応だった。やらかしたことに気付いた私はそのフォロワーさんに突然あんな内容を送ってしまって申し訳ありませんでしたみたいなことを言った、すると彼女はあまりにも個人的なことを言われたので返事しませんでしたと返してきた。
私がネットの関係で母の自死を話して唯一失敗したと心から思ってる相手になった。今も後悔している。なぜあの人に話してしまったのだろう。魔が差したとしか思えない。あの人の普段の言動とかを読んでいたら防げたはずのことなのに。
その人は今も相互フォローではあるけれど、お互いにミュートしてるのでなんの意味もない関係。ちなみに先にミュートしたのは相手なので。
母の死後、半年も頑張れなかった私。母の代わりにはなれなかった。そしてTwitter(現X)を始めるきっかけとTwitterでの失敗。元親友とのすれ違い。リアルでは知ってる人がほとんどいない母の死因。私自身言いたいのか言いたくないのかわからない。でもここにこうして書くことでまた何か乗り越えられそうな気もしてる。母の自死によって私自身が私にかけた呪いの話はまた別の機会に書こうと思う。少しずつよくなってはいるから。いい方向には行ってる。ここを見る人は私のことも母のことも知らない人だからという安心感。
相変わらず文章が下手ですみません。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。