the tea today no2 製茶問屋としての仕事とは? 京都、宇治田原「矢野園」矢野直治氏
日本茶が湯呑の中の「お茶」になりお客様の生活を彩るまでには実に多くの日本茶職人達が関わっている。
それは日本茶が創造的な農産物であり、世界的に見ても高度な嗜好品として様々な表情を魅せるからに違いないと筆者は考える。それが豊かで無限の可能性があるが故に、おいしい日本茶、好みの日本茶に出会うためには多くの職人達の技術が必要になるのだ。
そんな職人たちの集団「製茶問屋」の雄が、京都、宇治田原にある。日本茶のプロたちが頼る日本茶のプロ製茶問屋。その秘密を探りに弊社代表新原が矢野園専務取締役、矢野直治氏に話を伺った。
※こちらの記事はオンラインストア「the tea today」にて 2017/03/31(金)に公開したものです。
新原 お世話になります!お邪魔させて頂きます!
矢野 こんにちは!11月以来かな。
新原 そうですね。あの時は確か製茶問屋の販売会ですかね。※年に数回、全国各所で卸売業者同士の販売会が行われている
矢野 そうですね。確かそうだと思います。
新原 その場でもしっかり鑑定されていてその姿を横目で拝見しておりましたよ(笑)。
矢野 僕もです(笑)。
新原 今日は取材ということでお伺いをさせていただきました。矢野園さんが創業より取り組まれている「製茶問屋」としての活動がどうしても知りたくて。
矢野 よろしくお願いします。
新原 矢野園さんのスタートはここ京都、宇治田原だったのでしょうか?
矢野 そうですね。創業は1836年。はっきり残ってはないのですが地元の御寺の記述に残っておりまして。江戸時代からこの地でお茶屋を始めたようです。創業は矢野源三良が茶農家として始めたようです。最初は自分で作った茶葉や近郊の茶農家さんが作られた茶葉を行商として売って回ったのがスタートのようです。
新原 やはり京都。歴史がありますね。
矢野 創業から間もないころはリヤカーでお茶を運んで販売していたと聞きます。自分の足で運べる範囲ではありますが宇治茶を様々なところに販売していたようです。
新原 ここ宇治田原は日本緑茶発祥の地だといわれておりますが、江戸時代から盛んに生産、販売されていたということ?でしょうか?
矢野 そうですね。宇治田原に残る文献にはその頃から輸出も旺盛だったと聞いています。
新原 輸出もですか!
矢野 そうなんです。そして先程おっしゃられた様に日本緑茶はここ京都、宇治田原の地にて誕生いたしました。それまで薬として飲まれていた茶を青製煎茶製法の確立により、多くの庶民が楽しめるようになったと伺っています。
新原 なるほど。
矢野 日本緑茶の発明はお茶漬けで有名な永谷園のご先祖様、永谷宗円さんによるものなのです。
新原 ですね。
矢野 その青製煎茶製法を産み出した永谷宗円さんに感謝をする意味を込めて宇治田原の生家近くにある茶宗明神にて毎年、新茶の時期に祭が行われます。永谷さんの発明により多くの茶業者の今があるのですから。
新原 その歴史を大切にする姿勢が現在の宇治田原茶業の根幹にあるのですね。とても重要なことだと思います。矢野さんもここ宇治田原で生まれ育っていると伺ってます。日本緑茶に囲まれて育ってこられたということですね。
矢野 そうですね。幼い時から茶畑や茶工場が周囲にありました。生活の中にお茶を飲む風景がありました。正に日常茶飯事です(笑)
新原 そうですか。
矢野 今は定かではありませんが小学校の蛇口でほうじ茶がでてくるのが普通でした。
新原 そこまで。。(笑)。では学生時代から日本茶の従事しようと?
矢野 それがそうでもなくて。
新原 ここ、矢野園に入社されるまでは何かを?
矢野 学生時代はアメフトばっかりやってました(笑)。
新原 アメフト!チェックしてます(笑)!
矢野 (笑)。その後は商社に入社をしたくて商社一本で就職活動をしました。
新原 それは何故ですか?
矢野 やはり当時からどことなく僕の中で日本茶を世界にという思いがあったんだと思います。商社であれば世界とつながれるという思いがあったんでしょう。
新原 そこでは様々な経験を?
矢野 そうですね。でもやはり一番学んだのは仲間の大切さです。たくさんの先輩、後輩にお世話になりました。その時の同期が100人おりまして、今でも顔を合わせます。彼らは世界で活躍していて今の自分にない刺激を常に与えてくれます。考え方やパッションに共鳴しますね。それが今の財産になっていると思います。
新原 矢野園に戻られたタイミングに何かきっかけがあったのですか?
矢野 ある程度のところで自分のライフプランを真剣に考えるきっかけがありまして。あと10年後に戻れば父親が60代後半になります。全盛期の父親から学びたいという気持ちもありました。
新原 いい話です。矢野園に入社することとなり戸惑いはなかったですか?
矢野 特にないですね。叔父である現社長や従業員の皆さんが温かく迎えてくれて嬉しかったです。
新原 矢野さんが矢野園さんに入社されて何か取り組まれていることはあるのですか?
矢野 まずは製茶問屋として日本茶専門店さんに本当に美味しい、そして喜んでいだけるような日本茶をつくっていきたいですね。そこを徹底的に取り組んでいます。
新原 矢野園さんは日本茶専門店さんへの茶葉の提供が多いと聞いています。
矢野 そうですね。そこが原点です。ただそれ以外にも多くのお客様のニーズに応えたいと思っています。
新原 具体的には?
矢野 一昨年は最新鋭の殺菌、粉砕が行える抹茶工場を新設致しました。これにより今まで日本茶を販売したことのないお客様、つまり飲食店様や、御菓子メーカー様、日本国内はもとより、海外のあらゆるお客様のニーズに応えていけると考えております。
新原 海外の展開も視野に。
矢野 そうなんです。海外に限らず様々な取り組みを行っておりますが、やればやるほど基本に立ち返る必要があると感じるんです。
新原 それはどういったことですか?
矢野 新しい市場、特に海外では今までの日本茶と違った茶葉を求められます、味の違い、どういった環境で日本茶を育てているか?等々。今までの市場と全く違うのです。だから新しいお客様に営業をすればするほど、川上の農家さんとコミュニケーションをとらねばなりません。一緒にそのニーズにあった茶葉をつくらねばならないのです。でもこれって製茶問屋の基本であるなと。
新原 そうですね。
矢野 様々なことを成しえるためには本物の味を追求せねばなりません。ブランドを産み出すためには小手先だけのデザインや見てくれだけでは作れないと思います。当たり前のことを当たり前にする。それは海外でも日本でも関係ないですね。
新原 同感です。僕も本物は本物の連続にしか成しえないと思います。製茶問屋の責任は重いですね。
矢野 そうです。大変重要です。だからこそ弊社は味に徹底的にこだわります。仕入れ。目利き。火入れ。ここは本当に譲れないです。
新原 矢野園としての仕入れ、目利きの基準はあるのですか?
矢野 そうですね。あくまで製茶問屋ですから、お客様に合わせてその味を作りだすこと、矢野園が好きな茶葉ではなく、お客様が好まれるものを作りだすというところでしょうか。お客様にあわせて様々な茶葉を生み出す。それが矢野園です。
新原 様々な茶葉を客観的に見る技術。それが基準ということでしょうか?
矢野 かっこよく言うとそういうことです(笑)。誘導質問ですよ。それ(笑)。
新原 そうなってしまいました(笑)。
新原 矢野さん。僕ら茶業者にとって「製茶問屋」って一言でいうと何ですか?
矢野 うーん。そうですね。なんでしょう。
新原 難しい質問でしたかね。
矢野 そうですね(笑)。一言で言うと「お茶を美味しくする人」じゃないですかね。
新原 確かに!
矢野 お茶を磨いて、引き出して美味しくする人。
新原 それ。本当にわかりやすい表現ですね。磨いて美味しくする人。お客様にもそのように説明すれば伝わりやすいですね。
矢野 そうですね。
新原 矢野さんと話しているととてもポジティブで楽しいのですが、何か壁になっていることはあるのですか?
矢野 ライフスタイルの変化から、日本茶を楽しむ形態が変わってきているように感じていますね。それは壁と言ったら壁です。でも私達は製茶問屋でカメレオンですから。新しいライフスタイルに合わせて日本茶を提案します!だから壁をプラスにしなければなりません!
新原 さすがです!矢野さんは何を考えて日本茶を販売されているのですか?
矢野 自分たちのお茶を押し付けるのではなくお客様の声を聴きたいです。それが僕のスタイルかなと。そして適正価格でたくさん流通させてたい。お客様に買っていただきたいです。お茶は人々の日常生活に関わるモノです。そんな日本茶を販売できること、本当に誇りに思います。これから世界に日本茶を広めていきますよ!
新原 一緒に僕もやりますよ。ありがとうございました!
矢野 僕もいつも刺激を受けてます。お話しできてよかった。本当にありがとうございました!
矢野直治氏 1978年生まれ
大学卒業後、大手商社勤務を経て矢野園入社
趣味は仕事と食べ歩き。好きな時間は家族との旅行
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