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#270:眠ること

最近、睡眠の素晴らしい効能が書籍や動画などで解説されている。睡眠不足になるまで働くことが礼賛されていた時代がある日本では、未だに睡眠不足の人口が多いらしい。

私は幼少時から眠ることが好きな子供だった。

放っておけばいつまでも眠ているし、眠ることについては幸せな記憶が多い。眠ってばかりの息子に両親を含めて周囲はあきれていたが。


暖かな朝の夢

冬の朝、目覚めると暖かな布団に包まりながら、幸せな余韻を味わう。二度寝を許される日ならばもう一度その中に戻って惰眠を貪る。

布団の暖かさだけでなく、身体中にエネルギーがしっかりと充填されている感覚。また頭の中には何もなく冬の朝の湖面のように静かで清々しい。

まだまどろみの中にいる間は辻褄の合わないふわふわとした朝の夢に潜ったりも出来る。このまままた深い眠りにまで沈み込んでもいい。

この幸せな感覚を目覚めに感じるには、睡眠時間が充分足りていることが条件になる。そのため、眠り足りないと感じたらとにかくもう少し眠る。

この眠りたいだけ眠るというのは私にとって最高の贅沢であり他に代え難い。

朝早く起きる社会

なぜ皆はこの幸せを放棄して、朝だというだけで無理矢理起きるのか、昔からイマイチよく理解出来なかった。

特に学生時代は反抗期らしい反抗期もなかったがこの朝の睡眠に関しては最も反抗した点かもしれない。朝起きようとせず、学校に遅刻する私を布団たたきで泣きながら叩いた母を思い出す。

何とか学校は落第せずに卒業したが、社会人になってからも朝起きずに遅刻する社会不適合ぶりで上司には病気を疑われた。

多少年齢を重ねて少しは朝起きることもできたせいか、その会社も何とか辞めずに済んで社会人生活も綱渡りしてきた。

最近見た動画↑を鵜呑みにするならば、若いうちに朝起きることができないのはやはり自然なことなのかと納得した。

社会性のある親や上司には起きない私から迷惑をかけた自覚はあったのだが、今は申し訳ないというよりお互い古い社会常識の中で不幸だったのだと振り返っている。

…いや、まあさすがに申し訳ないとは思うが、自分の人権を守っていただけだなとしみじみ思う。

社会の変容

あらゆる多様性や社会持続性が求められる社会になってきた。

それに合わせて社会は徐々に変容していることは実感としてある。そのひとつとして睡眠時間の常識や朝型社会の常識はこれから変わって欲しい。

睡眠のあらゆる健康効果や生産性改善などが研究で解明されて世の中で広まって、その変容を促すことはとても良いことだと思う。

しかし、ただしっかり眠った後に感じるあの幸せを毎朝感じられるようになれば、誰しも自ずとたくさん眠るようになると思う。

どうも少し風邪を引いたようなので、今日はこれからしっかり眠ろうと思う。

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susumu.y
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