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#69:ストーリーで理解するシステム

昨年10月に起きた東証のシステムトラブル。ちょうど自分は新しい会社に転職直後で確か出社初日だったので、日時もよく覚えている。

新しい職場でも、記者会見でトラブル内容を明確に説明するCIOについて話題になっていた。そのCIOのインタビュー記事を読んで、色々と勉強になるところがあったので記録する。

システムを語れる理由

東京証券取引所にプロパーで入社し、業務部門、システム部門を経験してCIOになっているという経歴。文系で元々エンジニアではなく、これまで外部から招聘していたCIOに対しては初めてのプロパーCIO。

つまり、まず業務内容にも精通している。

そして過去に起きたシステム障害(2005年、2006年)をきっかけに、ベンダー任せにせず、システム開発のプロセスに全て関与する方針。

「ベンダー任せにしない」という基本方針があるんです。つまり、システムの製造元であるベンダーさんのシステムの企画、要件定義、開発、運用という一連のプロセス全体に、システムのユーザー企業である我々自身が主体的に関わらなければならないと。

つまり、システムの内容にも精通している。

紐解くとシンプルだが、業務にもシステムにも精通しているため、緊急時の記者会見でもクリアに受け応えできる、ということのようだ。

裏を返すと、その両面を満たす経営陣が少なく特にシステムの深い質問が出ると答えられない場面が多いので、しっかりと受け応えができた昨年のあの会見は際立ったと思われる。

システムを理解する方法

そしてインタビューで1番参考になったのは、「システムをいつもどうやって理解していますか?(例えば絵や図などにして考えるなど)」という記者からの質問に対する答え。

そうですねえ……私はストーリーにしていますかね。このシステムは何のために必要とされていて、どれにどう影響して、どういうメリットをもたらすか。なぜストーリーにして語れるように理解するかというと、新しいシステムを導入する際には必ず、私が責任者として役員会であったり、場合によっては取締役会で説明することになるからです。最終承認は開発予算とセットですから、いわばプレゼンをするようなものです。弊社は社外取締役が過半で、IT系出身の方はもちろん弁護士、会計士、学者の方までさまざまで、取締役会となると皆さん遠慮なさらず、非常に多くのご質問をいただくんです。こうしたプロセスを日常的に行っているので、自然と自分の言葉でシステムをストーリーとして、物語って説明できるようになっているように思います。

どうやって人に説明できるか。しかも自分の言葉で。そのためには深い理解が必要となる。理解できるまで、納得するまで粘り強く考える。

そのため、技術者にも腹落ちするまで確認するという姿勢も、当たり前のことではあるけれど見習うべきと感じた。実践してる人の言葉は、素直に受け止められる。

説明責任

アカウンタビリティーという言葉でも呼ばれる。ちゃんと理解して腹落ちしているか。それを人に問われた時にも正しいと言い切れるか。

トラブルは急にやってくる。予め準備できないことに説明責任を果たすには、日頃からきちんと腹落ちして物事を進める姿勢が必要。言うは易しだが、どのレベルまでひとつずつハッキリと理解すべきなのかも含め、常に判断が入る。

人に説明できるレベルで理解しておくこと。これがひとつの判断基準なんだと思う。CIOは、取締役会や社外に向けて広く説明を求められるため、その範囲や理解度の幅も大きく難しい。

そう想像して、以下の言葉を聞くとより重い。

―技術者の言葉を、それがわからない人へつなぐ翻訳者の役割も自然と担う仕事に思います。

横山 人に伝えるための翻訳である前に、自分の言葉への翻訳なんでしょうかね。納得していないものに対して責任を取るというのは、気持ち的にとてもしんどい。ですから、納得するまで翻訳してみる、その努力は必要だと思っています。

自分に照らすと、仕事の関係者。例えば顧客や上司、取引先の関係者にきちんと説明できるか。そして説明責任とは、相手にも腹落ちしてもらうこと。ただの伝達ではないのが重要だ。

ストーリーである必然

過去にも少し紹介したが、外山滋比古さんの「乱読セレンディピティ」の一節には以下のような文章がある。(少し長めだが引用する)

ことば自体について、人間、近世の人間は思い違いを正当であると信じてきた。

ことばは文字であり、書かれたものが価値があるとした、話すことばは文字、文章に及ばない。そう思い込まされてきた。教育でも、小学校から大学までずっと本、教科書によって行われる。

たまたま言語学を学ぶものは、「言語は人間の話すものである」といったことを知ると、軽いショックを受ける。なぜ、文字、文章が主体でないのか、かすかな不満を覚えるかもしれない。それほど、文字、文章、本というものを重視しているのである。

言語学を学ばないと、かなりの知識人でも、本の方が談話より多くのことを伝えるように考えて一生をすごす。

人のコミュニケーションの基本は、話し言葉である、というのは言われてみればその通りだ。文字や本がない時代、もしくは貴重な時代も、人々は話していた。口伝や話し言葉を前提としている、古典芸能もたくさんある。

しかし普段仕事をしていると文書化したもの、つまり書き言葉の方がよりフォーマルだと思い込んでいる。ただよく考えると、その保全性や伝達の容易性(毎回話さなくて良い)などからそう思い込んでいるだけだと気付かされる。

ビジネスシーンのストーリー

そして思い返してみると、ビジネスの世界でも話し言葉がより重要な場面は多々ある。例えば大企業の決算発表は、決算文書の開示だけではなく、会見や説明会が伴うことが多い。また、うまく社会とコミュニケーションを取れている企業ほどその説明が上手い。

ストーリーで語られるのは、小説や物語だけではなくあらゆるビジネスシーンにも当てはまる。例示した決算発表も立派なストーリー。

要するに、話し言葉で語られる時点でそこにはストーリーが入り込む要素がある。

話し言葉、書き言葉

たまに全くストーリーになっていない、箇条書きを喋る人がいる。これは、厳密には話し言葉になっていない。書き言葉、情報を変換して、話しているだけである。

誤解のないように書くと、書いた文章にも当然ストーリーはある。ただ書くという行為は、その場に読み手がいないことが多いので、ストーリーになっていなくても成立することが多い。

もしくはメモ書き、箇条書きに関しては、情報の記録方法であって、ストーリーなどはない。

一方で話し言葉は、その場に(電話越しでも、zoom越しでも)相手がいる。相手に伝えるために話す言葉は、必然的にストーリーがいる。

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だいぶとりとめのない文章になってきた。書いている趣旨に反して、ストーリー(脈絡)がないことも薄々気づいている。なので、最後は、東証の記者会見に関するリンク情報を並べて、そろそろこの話もやめにする。

(会見資料)
https://www.jpx.co.jp/corporate/news/press-conference/nlsgeu000004zjwb-att/20201001_J.pdf


長文を読んでいただきありがとうございます😭


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