#239:引き出しと母からの伝言
三連休で兵庫の実家に帰省。
今回の帰省では特にあまりやることなく2日間で2、3時間くらいかけてゆっくり近所を散歩した。
散歩中、思い出の引き出しがドンドン開いた。
幼稚園の時
思い出したのは幼稚園の時の同級生の名前。
ここは坂本くんのマンションだった!、あそこは松本くんのお屋敷だな、とか。
忘れていた同級生のフルネームが何十年ぶりかに次から次へと出てくる。昔のままの建物もあれば完全に建て替わっている家もあった。
名前とともに当時の思い出も蘇ってきた。
松本くんのお屋敷ではかくれんぼしたなーとか、坂本くんちのマンションは遠くてなかなか遊びに行けなかったなーとか。
小学校、中学校の時
散歩は、もう少し大きくなった頃の思い出も引き出した。
この河原でマラソン大会は14kmもあってしんどかったなーとか、同じ河原のグランドではサッカーの練習もきつかったなーとか。
幼稚園の頃のふんわり楽しげな思い出に比べると色々と情けなく青臭い思い出が多い。それは少しほろ苦いのだが、もう歳月が経ち過ぎているためそれも含めて懐かしい方が強い。
これまでも実家に帰った際に思い出すこともあったのだが、今回は冬の朝に散歩したせいか、より鮮明な思い出が一気に蘇ってきた。
完全に忘れ去っていた思い出にシナプスを繋いでいくと、頭の引き出しが音を立てパカパカと開いていく感じがした。
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思い出の鏡
小さい頃はこの狭い範囲の街並みが自分の世界の全てであり、その外は存在していなかった。
その狭い世界の中ではひとつの些細な出来事でも大きな意味を持っていた。それこそ、40代という中年のおじさんになっても思い出せるくらいに。さすがに全て鮮明にとはいかないが、当時の感情の残香を感じる程度には蘇った。
そうしてると、過去の自分を覗いているはずが、反対側から今の自分も覗いてる気がした。鏡を眺めていたら逆転現象が起きたような感じ。
過去の自分から眺めたら、今の自分は今の世界で必要以上にバタバタと右往左往しているように見えた。もっと力抜けよ、と言われているような。
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母の読んでいた本
散歩を終えて家に戻り、お茶を飲みながら父と話した。5年前に他界した母の話など。
ふと、最近どんな本を読んでいるかの話の流れで昔、母はよく原田マハの本を読んでいたと父に教えてもらった。そのことはあまり知らなかった。
帰りの新大阪の駅で、ふとその会話を思い出して旅のお供に「生きるぼくら」という本を買って、新幹線に乗り込んだ。
降車する新横浜に近づくまで、集中して半分ほど読み進めた。とても面白い。
横浜線でも読んでいると、少しうるっときそうな場面があり、これ以上は在来線で読むのはマズいなと思って本を閉じた。
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母からの伝言
実家に帰ると、毎回、何かしら亡くなった母から伝言が届く。
最初の頃は、全く家事をせずに生きてきた父を残して先に逝ったのが余程心配だったのか、母はお風呂掃除やトイレ掃除に関する伝言をしてきた。
父の一人暮らしのお風呂やトイレが荒れ果てていたせいもあり、私は洗剤や掃除用具を買いに行きお風呂とトイレを掃除した。自分の家でもあまり掃除しないので、何故自分はこんなことやってるのだろうと思いつつ、ふと気付いた。
あ、これは完全に母に乗り移られているな、と。
しっかりとお風呂とトイレを自分で掃除するように、という母から父へのメッセージについて、私はどうやら伝言役にさせられたようだった。
それから、父は定期的に掃除するようになった。
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そんな感じで、毎回何かしら父に伝えるべきことについて私が伝言しているような感じだった。
その中で父は引っ越したり、膝の手術をしたり、色々と生活環境を変化させつつも、逞しく生きている。たぶん母からの伝言もあって。
それが今回は母から私に本を通じてメッセージを受け取った気がしている。
ようやく父のことはひと段落したのだろうか。
…
それはほんと良かったね。色々とお疲れ様。
俺もなるべく心配かけないようにやりますので、ごゆっくりどうぞ。