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#180:アレグリアとは仕事はできない

読書感想文である。津村記久子さんの2冊目。
(1冊目は↓)

機械にイラつく

大型コピー機との確執を描くという、この本も着眼点があまりに秀逸である。

皆さんも機械やパソコンなどにイラついた経験はないだろうか。特に古い機械ほど、無慈悲で意味不明の挙動やエラー状態となるため、まさに叩き壊したい衝動に駆られる時があるはず。

そんな誰しもある(?)経験を想い起こさせる題材を切り取って、それを主題に物語が進む。

それにしてもなぜ機械にイラつくのだろうか。イラついても仕方ないのに。

思うに、我々の仕事の流れの中に機械を使う工程がしっかりと組み込まれていて分離できないようになっている。しかし、彼ら(この小説でアレグリアは彼女)は、人間と違い自由な意思疎通ができない。一方的にエラー状態となる。

その唐突で一方的な反逆に人はイラつく。

本当は何にイラついている?

この本がスリリングな展開となっていくのは、アレグリア(大型コピー機)を通して吐き出される悪意には、何か原因が存在するのでは?と主人公が気付いていく過程にある。

それは、この本に閉じた話ではない。

仕事の中で何かうまく進まない時、もしそれが機械の絡むところだと、機械は融通が効かない分、より醜悪な形で不具合に現れる時がある。

これはまさにシステムトラブルの話だ。

例えば、ATMや航空会社のシステムトラブルがトップニュースにピックアップされる理由は社会的影響だけでなく、そのトラブルの現れ方が無慈悲で醜悪な形になりがちだからだ。

話が逸れた。

人が本当に怒りを覚えるのは、その機械その物より(この本の主人公は機械に怒っているが)そこに込められた人の悪意や怠慢、無責任さに対して、である。日常でも皆それを直感する。

小説の中ではその実態が徐々に暴かれていく。その展開も読み応えがある。

それにしても、人と機械の関わり合いにフォーカスを当てることで、その裏に流れる人々の思惑や作為/不作為を映し出すなんて天才的だ。

でも世の中で大きなシステムトラブルが起きた時、同じようにトラブルの背景や文脈(下世話に言うと、そこの人たちが何をやらかしたか)を読み取ろうとする自分に気付かされた。まあその読み取り方が、システム屋として1番の勉強のタネになるから仕方ないのだが。

対話型AIでイラつかない?

ところで最近現れたAIは対話型である。あたかも人のようにコミュニケーションが取れるならこれまでみたいに、機械(AI)にイラつかないようになるのか?

ぜひ古い機械たちと、人間との間を取り持つAI(対話型AI、ChatGPTとか)に期待したい。

それはともあれ、また津村さんの他の作品も読んでいこうと思う。

長文をお読みいただきありがとうございます。


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susumu.y
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