#66:本を読む楽しみ(続き〜乱読のセレンディピティ)
先日、本を読む楽しみについて書いた。要約すると「知識を得る喜びではなく、普段は活性化されてない脳のある部分に響く文章」に出会うために本を読んでいる、という結論だった。
不勉強というか、一度読んだ本なのにすっかり忘れていた本に同じことが、いや、もっと明確な定義が書いていた。それは外山滋比古さんの「乱読のセレンディピティ」である。少し本の紹介をしつつ、関連するところを書いていく。
知識信仰
この本をひと言で要約すると「本を乱読すれば思いがけないことを発見できるかもよ(=セレンディピティあるかも)」ということである。
要約、つまり知識になる本の要点は、それだけなのだが、むしろ、本を読む意義が「知識を溜め込むこと」に偏っている点を警告している。
知識信仰、知識第一主義、知的メタボリック、よくものを知っているバカ…。
あらゆる言葉を使い、読書の目的が知識収集に偏ることの危うさ、不健康さを警告している。
そして、知識を溜め込む目的より、思いがけないことを発見するような(=脳を刺激するような)本の読み方を推奨している。
書物は心の糧
それだけに留まらず、読書に伴う、他のあらゆる効能(意義)についても説いている。
•生きる力に結びつく読み方
•書物は心の糧
これは本当にそうなのだ。本は、心に糧を与えるし、生きる力に結びつくこともある。
あらゆるものの見方、考え方、文章や言葉に触れること(乱読すること)により、ふかふかの土壌が出来上がる。それはまるで落ち葉が積み重なり、やがて、時の経過とともに栄養と空気をたっぷり含んだ肥沃な土壌となるように。
それがなぜ生きる力に結びつくかというと、そのような土壌があれば、色々な逆境や受け入れ難い人などを受け止めるベースになるからだ。
狭い視野で固い土壌では、なかなか受け入れ難く思い詰めるしかない。
実際の糧(栄養分)
そしてこの本の中にも、栄養になるたっぷりの素敵な言葉が随所に含まれている。
・本は、風のごとくさわやかに読むべし。
・言語は、人間の話すものである
・アルファ読みとベーター読み
あえてひとつずつの説明は割愛するが、どれも読んでて、ハッとさせられた。(ご興味ある方はぜひ本を読んでみてください↓)
ベーター読
この本の中で一番「おぉ!」と思った箇所は、このベーター読みだ。
□アルファ読み:
読む側が予め知識を持っている時の読み方
□ベーター読み:
内容、意味が分からない文章の読み方
日本の教育ではアルファ読みしか、教えないとのこと。読めば、おおよそ事実として受け止められる範囲のことを読む。字面を追うに近い。
一方で、ベーター読みは、まず読んでも何のことか分からない。分からない、知らないことを読むから当たり前だ。そこからどう噛み砕いていくのかも含めて、ベーター読みである。
ベーター読みの方法
本の中では、詳しくベーター読みの方法論が語られているわけではない。そのため、個人的な経験や解釈になるが、このベーター読みには、大きくふた通り読み方があると考えている。
ひとつは読んだ後、そのまま放置する読み方。
まずは、字面、表面的な言葉だけを読む。その先の深い理解、何を意図するかは、基礎知識の不足や読解力不足で読み砕けないことがある。
ただまずは読んで、その時点で放置する。
放置してても、本の全体を通して読むと、自然と文脈などで後から分かる時もある。また他の本を読んだり何か学んだ後、知識のつながりが出来た後に何となく分かることもある。
あるいは、いつまでも分からずのままということもある。ただ、それはそれとして割り切る。
果たして、全てを分かる必要があるだろうか。知識として溜め込むことができないものを「読む価値がない」というのはまさに知識信仰だ。
もうひとつの読み方
もうひとつのベーター読みは分かるまで読む、である。ただこの「分かるまで」加減が大事。
知識として吸収できるレベルまで、細かく噛み砕くことは必要ない。ここでいう「分かるまで」はもう少し粗くてよい。
心の糧(栄養)として吸収できるレベルで「分かるまで」読んでみる。放置せずに繰り返し読み返すか、手がかりを探しつつ、調べつつ読んでみる。心に、カラダに、染み込むまで。
離乳食と普通食(食べ物の例え)
たぶん抽象度が高すぎて、うまく説明できていない。少し食べ物に例えてみる。
アルファ読みは、離乳食ようなもの。噛み砕く必要はない。よく噛まずに摂取できるので、子供の時から誰でも食べられる。
ベーター読みは、離乳食を卒業して食べ始める普通食。(この言葉が正しいかは不明だが…)噛み砕く必要があり、食べられるようになるまで最初抵抗感がある。たまにべえーっと出す。
ベーター読みで、表面的だけ読んで放置するのは、飲み込める程度に噛んでゴックンしているようなこと。うまくいけば胃腸で消化する。
ベーター読みで、分かるまで読むのは、よく噛んでから食べること。やはり一番上手な食べ方はよく噛むこと。そうすれば身になる。
少しは補足になっただろうか…。
本を読む喜び(食べ物の例え)
ぐるっと話が一巡して、主題である、なぜ本を読むのが楽しいかという話。
知識をつけることだけでなく、生きる力に結びつく、心の糧になる豊かな読書をしなさい、というのが「乱読のセレンディピティ」の結論。そうすれば脳が活性化し、本と本が結びついて思いがけないことを発見することもある、と。
先ほど食べ物に例えたので、続けると、知識だけを求める食事は、まるでサプリメントで栄養を補う発想に近いかもしれない。
必要最低限の栄養素は摂取できるが、本来、食事を通して味わうことのできる、豊かなエトセトラは伴わない。味の記憶、香りや温かさ、料理の仕方、誰と食べたかの思い出など。
食には、生物として生きていくための栄養素以外にも、情緒面や思考面などの人として生きていくための糧が含まれている。色々な食べ物を味わうことは、それ自体が豊かな営みだ。
…
話は逸れたが、本を読む楽しみもそれに近い。
知識という栄養摂取の面ではなく、本を読むこと自体がとても豊かな営みであり楽しい。
長文をお読みいただきありがとうございます😊