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栗仕事と秋のギフトエコノミー
山のふもとのおすそわけ。末っ子の同級生が、庭の柿や栗を持ってきてくれて、しあわせな秋時間(10/19)。
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栗ごはんに、マロンシャンティイのクレープ、渋皮煮。栗って本当に手間がかかる。「栗を買う=この手間に自ら飛び込むってことだから、こうやっておすそわけいただいて、待ったなしで強制スタートできるの、ありがたいよね…」なんて夫婦で話しながら皮を剥く。やりはじめたら不思議とたのしい。
いちばん好きなのは渋皮煮。まさかの渋皮まで捨てずに食べてしまうというスピリットが好き。
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皮を剥かない渋皮煮は、可食部分が増える。それは、じゃがいももにんじんも同じこと。玄米も、精米してしまうとずいぶん量が減る。「食糧危機のためにも、家計のためにも、なるべく皮まで食べよう」と思う。皮の辺りは栄養も豊富らしいし。剝かないと調理もラクだし。
おすそわけ=ギフトエコノミーの豊かさは絶大で、単に「あたたかい心」とか、「ローカルのありがたさ」とか、そういうのを凌駕している。値段も介さない、流通も介さない。フードマイレージとか、食品ロスとか、別世界(食べられる分だけ食べ、残った分は落ちて土に還る、しごくシンプルな自然の循環)。いっとき、「現代」というありがたくも複雑怪奇なシステムから、ひらりと逃れられる魔法みたいな…。
「プライスレス」って、暮らしの中に本当に死守したい要素だなぁと、おすそわけの栗や柿を満喫しながら、つくづく実感するのでした。
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