鮨職人を目指してから現在までのキャリア②
こんにちは!
六本木で「鮨 × 音楽」をテーマにした鮨屋
Sushi Bar Mugenを営んでいます、irugoと申します。
ちょっと間が空いてしまったのですが、前回のお話の続きになります。
ちなみにSNSなどで良く使うこの写真のポーズはご存じ、「るろうに剣心」から齋藤一(はじめ)の必殺技「牙突」(がとつ)です。
このポーズは北九州の「照寿司」渡邊大将のキメポーズを意識したのですが、残念ながら全く流行りませんでした。(むしろこの写真を投稿すると毎回フォロワーが7〜8人減ります)
さて、今回は「おたる政寿司」を退職してからのお話しになります。
退職の旨をお店に伝えてからいきなり辞める訳にもいかないので、それまでの約1ヶ月はなんとなく都内の鮨屋の求人などを眺めていたのですが、一応海外の求人も視野に入れていたので、東京すしアカデミーの運営する、海外向けの求人サイト「Sushi Job」にも登録だけはしていました。
すると直ぐに担当者さんから連絡があり、未公開求人を2.3件ご紹介していただきました。
たしか全てアメリカでのお仕事だったのですが、なんとなくfeelingで選び、面接をお願いしたお店がNew Yorkにある「Sushi Yasuda」でした。
面接は東京すしアカデミーで行い、実技試験もありました。
鯵を卸して握り、かっぱ巻きを巻く試験だったと思います。
面接も終えてSushi Yasudaでの心得のようなアドバイスを頂き、とりあえずアメリカを観光visaで滞在できる3ヶ月の間でトライアル(試験?)を受けることになりました。
それが決まったのが9月の半ばだったのですが、向こうの都合もあり、実際に渡米したのは12月に入ってから。
JFK空港をでると日本とは違う乾いた寒さもあり、柄にもなく不安になったのを覚えています。
Sushi Yasuda はニューヨークのミッドタウンに位置しており、GOSSIP GIRLでおなじみの地下鉄の駅「Grand Central」から歩いて5分程の場所にあります。
1999年にオープン以来ミシュラン、NY Times、ZAGATなどからも常に評価されており、Sushi restaurantの中での知名度はNYで1番のお店だと思います。
内装は「和」を感じられるシンプルで清潔感のある造り、カウンターが2つで16席と8席、テーブル席が10〜14あり、満席になるとカウンター、テーブル合わせて80〜90名のお客様が入るかなり大きいお店です。
定休日は日曜日とnational holiday
ランチは月曜日〜金曜日で2回転
ディナーは月曜日〜土曜日で3回転
当時を思い出してよくやっていたと感心するような殺人スケジュールです。
鮨を握る板前は全て日本人で、9〜10人いるような気がしましたが、入れ替わりが非常に激しく、少ない時は非常に忙しく、みんなレッドブルを飲みながら営業していました。
お客様から見えない調理場では「アミーゴ」と呼ばれるメキシコ人達が働いていて、前菜、賄いなどの調理、ドリンク、洗い場などを担当していました。
彼らと仲良くしないと意地悪されたり揶揄われたりして仕事に支障がでるので、スペイン語を覚えて話したり(彼らが喜ぶお下品なジョークなど)、日本のお菓子をあげたり、ハラペーニョをいれた巻物をあげたりして仲良くなると色々手伝ってくれました。
メキシコ人と働いたのは初めてだったのですが、陽気そうに見えても意外とプライドが高く、仕事の縄張り意識もかなりあり、自分のルーティンが乱されるのを嫌い、ヘソを曲げるとなかなか厄介なところは日本の鮨屋の板前と似ていましたね。
ランチではメニューにあるコースを頼む方が多く、チラシ、握り10貫と巻物1本、握り5貫と巻物2本などの「お決まり」が良く出ていました。
ディナーではほとんどの方が「おまかせ」を頼むのですが、これが実にフワッとしたコースであり
その日にあるネタの中から我々シェフが全て選んで流れを構成する内容でして、値段、貫数など一切決まってない中で色々探りながら1組90分以内にお会計まで終わらせなきゃいけないので中々大変でした。
お客様は8割がニューヨーカー、2割が旅行者、日本人の方はたまに見る程度。
ネタは常時40種類以上、日本からも空輸で週に2回大量の魚を仕入れており、「赤ムツ」「真鯛」「カンパチ」「ブリ」「シマアジ」などの白身「鯵」「小肌」「鯖」「サヨリ」などの光り物を羽田市場、九州方面から
貝類は全てアメリカ国内から「ホタテ」「白ミル貝」「蛤」「牡蠣」「アオヤギ」など
「ヤリイカ」はニューヨークから
マグロはスペインの「蓄養本マグロ」かボストンの天然
鮭鱒類はアメリカ、北欧、ヨーロッパから常時8種類以上、イクラは塩イクラを塩抜き後に醤油漬け
ウニは北海道とメイン州の「バフンウニ」、カリフォルニアのサンタバーバラから「ムラサキウニ」
アナゴは長崎対馬産、鰻はアメリカ国内から
卵は厚焼きとカステラ
巻き物は15種類くらい
と、かなりの種類のネタを用意しており、仕込みも大変でしたし、冷蔵、冷凍設備も充実していました。
オーナーは日本人とユダヤ人の2人、サービスのマネージャーが日本人で3〜4人、アルバイトが15人程度(1/3が日本人)いて、営業時には従業員だけで40人近くいる非常に大きいお店でした。
仕事内容については、、、
とにかく疲れました。
辞めた人間がお世話になったお店の内情をアレコレ話してもしょうがないと思うのであまり詳しい仕事内容は書きませんが、とにかく毎日ヘトヘトでストレスのせいか怒りまくっていました。笑
今考えると、何故あそこまで怒っていたのか不思議なほどキレまくって色んな人と揉めていた気がします。
「若かった」という言い方はあまり好きじゃないのですが、パワーがある上、精神的に未熟でとにかく必死でした。
今思えばとっても良くしてもらっていましたし、色んな意味で成長できた4年間でした。
お店を離れたのは僕のworking visaの更新がうまくいかず、アメリカ国内で働くのが難しくなったのがきっかけでした。
当時はトランプ政権に変わり、移民に対するvisaが厳しくなっていたのもあり、半年間日本で待った上に大使館での面接で落とされた時はめちゃくちゃショックだったのを覚えています。
しかし、帰国してすぐにコロナ騒動が始まり、結果的には非常に良いタイミングでアメリカを離れたのかもしれません。
かなり簡単に書いてしまったのですが、今回はSushi Yasudaでお世話になっていた2015年〜2019年くらいのお話をさせて頂きました。
お仕事のお話ばかりでしたが、もちろんお休みの日には観光にも行きましたし、帰国前は1ヶ月かけて車で西海岸を周ったりしました。
アメリカに4年間住んでみて、色々ありましたが本当に大好きな国になりましたし、またいつか行きたい場所、お店、会いたい人達もたくさんいます。
なかなか気軽には行けませんが、チャンスが来た時のために英語も勉強し直そうと思います。
ここまで読んで頂いた皆様、
読みにくく、長い文章にお付き合い頂きありがとうございます。
次回は日本に帰国してからSushi Bar Mugenをオープンするまでのお話をできたらと思います。
Sushi Bar Mugen
irugo