寿司屋に3億円を投資する中国人オーナー!?ラスベガスのクレイジーなSUSHI事情
在米25年の講師・津本が語るアメリカの寿司ビジネスの四半世紀の変遷をお伝えします。
今やフードビジネス大国とも言われるアメリカ。競争の激しいこの国で生き残れるにはどんな戦略が必要なのでしょうか。
津本 浩嗣 (つもと ひろつぐ )
建築事務所勤務を経て和食レストランの内装デザインを手がけたことをきっかけに寿司の道へ。在米中はラスベガスの和食レストラン”Aburiya Raku Las Vegas”などでシェフとして勤務。
2016年夏、25年ぶりに帰国。現在は東京すしアカデミーで主に外国人対象クラスの講師を務める。
寿司職人を目指したきっかけ
私が寿司職人を目指したのは28歳の時。寿司に興味を持ったのは建築事務所で日本食レストランの内装を手がけたのがきっかけです。
学生の頃から家に人を20〜30人も呼んでパーティをよくやっていたんです。料理は好きだったのでいろんな料理を作って人をもてなしていました。
海外でアジア人の顔の人は寿司や天ぷらは当たり前にできると思われるわけです。日本人の自分が和食をできないのもどうかなと思ったので、設計の仕事をしながら寿司屋で見習いとして無給でレストランを手伝っていました。
見習い中に鯖の締め方などを教えてもらって、それをアメリカ人の友人に振舞って喜ばれたりしました。こうして和食への興味が強くなった頃にオーナーに仕事としてやってみるか、と声をかけられました。それが私の和食・寿司シェフとしてのキャリアの始まりです。
90年代のラスベガスの食文化
90年代半ばつまり私が寿司を覚えた頃、ラスベガスの食文化は遅れていました。正確にいうと、90年代はアメリカ全体の食文化が遅れてたんです。
あの当時、時代的には「カリフォルニアキュイジーン」と呼ばれる西欧料理をアメリカ料理に融合したような料理が流行っていたんです。フレンチやイタリアンの職人はこれをニセモノだ、とバカにしていました。
それが2000年に入った頃に「カリフォルニアキュイジーン」のレベルは急激に上がって行きました。現在の「フュージョン」と呼ばれるジャンルの確立期です。
西海岸にシェフが押し寄せ、次々にカリフォルニアキュイジーンの本格的なレストランをオープンして行きました。ラスベガスに関しても同じような状況でした。ことラスベガスの人口増加率は年5%。
年間新たに6000人の人がくらい入ってくるため労働力も潤沢です。この影響で90年代のラスベガスには新しいレストランが続々とオープンしていきました。
本格的な和食&寿司ブーム
アメリカに本格的な日本食が入ってきたのは2004年〜2005 年頃です。この時期には、日本食のトレンドが「フュージョン」か「クラシック」の二手に分かれていきます。
フュージョンはつまりカリフォルニアキュイジーンの流れを組む伝統に縛られないスタイルの融合料理。クラシックはいわゆる日本でカウンターで食べるような伝統の寿司です。
アメリカでフュージョンスタイルの寿司が流行った一つの理由がユニークです。当時、巻いた寿司にシェフがお客さんの名前をつけてくれるような店が流行っていました。
デイビットロール、スコットロールといったように(笑)こういうの、アメリカの人は好きなんですよね。お寿司がアメリカ全体で突然広まったのはこれがきっかけだったんです。
一方でクラシックな寿司店と言うのはかなり昔からあって、伝統を重んじる大将の多くはフュージョン寿司の台頭には苦い顔をしていました。
アジア人オーナーの台頭・投資家の違い
この時期から日本人以外のすし店オーナーも増えていきます。言うまでもなく日本人の方が寿司の正確な技術を持っている人は多いわけですが、日本人はビジネスがうまくないんです。
日本人経営の店は圧倒的な資本力と仕組み化のノウハウで他の国、主にアジア系のオーナーに圧倒されていきます。日本人オーナーの投資額の平均はだいたい4000〜5000万円。
一方中国や韓国のオーナーは2億円〜3億円を投資します。彼らの多くは職人ではなくて本業が投資なのでそのくらいの金額は当然出せるわけです。
アメリカで大成功している日本人シェフは必ず後ろにこのような有力投資家がいます。この頃は、有力投資家に出会えないと成功の可能性はほぼなかった時代です。
特にラスベガスの場合は有名ホテルにテナントで入るなどの良い場所を得られるかも成功の鍵でした。もちろん、有力投資家のコネクションがないとそのような良い場所で開店することは不可能・・そんな仕組みです。
インターネットの普及、個人店にもチャンス
ところが2007年頃から個人でも顧客を集められるレストランが出てきます。なぜか。インターネットやスマホの普及です。これらを使ってザガットサーベイ、ジェームスビアードアワードなどのレストランの格付けを個人が簡単に知ることができるようなりました。
Yelp(アメリカの食べログのようなレストラン評価サイト)が出てきたのもこの頃。個人客が場所やネームバリュー以外の観点から良い店を探す仕組みができて行ったわけです。
「あのレストランでヘッドシェフをしていたシェフがレストランを開けたらしい」などという情報を元に個人店に情報通の個人客が殺到するようになりました。
こうして2010年以降は個人店でも大型レストランを凌ぐ勢いの店が出てきました。今では全米で展開しているようなレストランオーナーでもこの時期に個人で名をあげて、そこから投資家に発掘された方もいます。
全米の富が集まるラスベガス
ラスベガスはそのイメージ通り、超がつくお金持ちが集まってくる場所です。国内外問わずセレブリティが来てはお金に糸目をつけず寿司を楽しんでいきますので客単価は軽く5万円を超えます。
例えば今流行りのクラブの中にある寿司バーに西海岸のベンチャーの社長が若手の社員10数名を連れて来たことがありますがその席は一晩で4万ドル(約480万円)遣ってましたね・・
社員の鋭気を養うために一晩でポン、とそんな金額を出せてしまうわけです。全米中の富が集まってくるこんな場所でシェフとして成功したら・・
想像を絶する規模の夢が描けますよね。まさにここにアメリカンドリームが存在しているんです。
アメリカンドリームの代名詞、Nobu氏のケース
Nobuさんのケースはまさに理想ですよね。アメリカではNobuと言うブランドが絶大な影響力を持っています。このレベルになると全米、全世界の超一流テナントから「ぜひ入って欲しい」と熱烈にオファーが来ます。
Nobuさんはオーナーシェフ時代、あのロバート・デ・ニーロから時間をかけて熱烈に口説かれ巨額の資本から成る経営集団にプロデューサーとして参加しました。
この事業から彼に入るロイヤリティは全体売上の約1%。と言っても数億円の単位です(笑)
当然、シェフにとってもNobuの名のつく店で働くという事はステイタスになります。これから寿司職人を目指すみなさん、特にアメリカでの就業を目指している方に伝えたい事。
アメリカでは個人でできることが限られている分、実力をつけてネームバリューのある店に入ることが重要です。有名店で働き、スカウトされ、強力な投資を得てレストランを次々展開する。これが理想的なサクセスストーリーです。
※この記事は2017年7月に東京すしアカデミーのWEBサイトで公開されました。
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