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『ロボット・ドリームズ』”ぼくらの住むこの世界には 太陽がいつものぼり 喜びと悲しみが時に訪ねる”【映画感想】
あらすじ
ニューヨーク、マンハッタン。深い孤独を抱えるドッグは自分の友人にするためにロボットを作り、友情を深めていく。夏になるとドッグとロボットは海水浴へ出かけるが、ロボットが錆びついて動けなくなってしまう。どうにかロボットを修理しようとするドッグだったが、海水浴場はロボットを置いたままシーズンオフで閉鎖され、2人は離ればなれになってしまう。
2024年・第96回アカデミー賞で長編アニメーション賞にノミネート。
レビュー
TBSラジオ『アフター6ジャンクション2』の人気コーナー【週間映画時評 ムービーウォッチメン】課題映画になったので感想メールを送りました。このレビューはそのメールの全文です。
以下、作品の内容に触れています。あまり事前情報を入れずに映画を鑑賞したい方は映画鑑賞後にご一読くださいませ。
1:デフォルメされたルックで実写的演出に成功しているのが凄い!
『ロボット・ドリームズ』見てきました。大傑作でした。
この映画の魅力は「デフォルメされたルックのアニメーションでありながら、計算されつくした実写的演出によって、人間が出てこない物語にもかかわらず普遍的な人間の欲求を表現できている」ことだと思います。
近年「絵」の表現に驚くアニメーション作品が多い印象を受けます。「絵」というよりもはや「線」にすら命を宿すアプローチのアニメーションが増えており、3Dアニメ表現の追究を続けるディズニー/ピクサー作品以外のもので特にその傾向が見られると思います。
絵巻のアニメ化に挑戦した『かぐや姫の物語』が巨大な金字塔としてあり、それ以降はコミックのアニメ化、つまり「コミックの絵がそのまま動いているように見える感動がある」映画の系譜として『スパイダーマン スパイダーバース』『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』などが誕生、当然ながら日本の『THE FIRST SLAM DUNK』もこれらの傑作群のひとつに数えていいでしょう。
2:原作からのアダプテーション
本作『ロボット・ドリームズ』も元はアメリカの作家サラ・バロンによる同名グラフィックノベルが原作であり、キャラクター・デザインや物語の基本的な進行は原作に忠実といっていいでしょう(映画を見たあと、このメールを書くにあたりKindleで購入しました)。
しかし先述した「コミックの絵がそのまま動いているように見える感動がある」系譜の方向ではなく、本作は「非人間のキャラクターたちから人間的な共感を得るにはどうすべきか」を考えつくしており、その演出が冴えわたっていると思います。
結果、アニメを見るときの根源的な感動である「人間や動物の複雑な動き、あるいは本来別の形態で表現されたものが、アニメーションとなりホンモノのように動いて見える驚き」を先鋭化させた先述の作品群とはやや異なる、「非人間しか登場しないアニメーションなのに人間の普遍的な情動が画面から伝わってくる」感動が生まれていると思います。
パンフレットでも言及されていましたが、まともにこの原作を映画にすると30分程度にしかならないところ、オリジナルシーンを追加することで長編に仕上げているのですがそのすべてに過不足がありません。
なんといっても白眉は冒頭5分の「ドッグが電話をかけるまで」のシーケンスではないでしょうか。
レンチンでサッと晩御飯を済ませる、真っ暗なテレビ画面に反射する「独りの自分」を見て孤独を深める、無音でもいいからとりあえずテレビをつけて寂しさを紛らわせる、仲睦まじいご近所さんを見て絶望する。
ドッグがロボットを購入するに至る「都会的な孤独」は、別にニューヨークの文化を知らなくても、80年代のことを知らなくても、今を生きる誰もが共感できるものとして見事に表現できていると思います。序盤のわずか数分、かつセリフなしでここまで登場人物の孤独に説得力を持たせている映画としては『カールじいさんの空飛ぶ家』なんかも連想しました。
そして「テレビ画面に反射する独りぼっちの自分」は後にさりげなく伏線回収されます。このあたりもスマートだなと思いました。
3:「目」の動きに注目!
ではアニメーション表現として何も新しいものがないのか、といわれればそんなことでは当然なく。
誰もが言及していると思いますが「目は口ほどに物を言う」を体現するがごとく「目」だけで語る感情表現、コミュニケーション表現がすごく新鮮に感じました。錆びついて動けなくなってしまったロボットにその演出が顕著に見られます。
身振り手振りの動きができなくなったロボットが鳥の親子と過ごす日々は原作にもあるエピソードです。しかしロボットの「目」の演技によって、ロボットが他の生き物とどう関わるのか、どんな感情で接しているのかが原作よりも伝わってきます。よくできた改変シーンだと思います。
ノンバーバルコミュニケーションは本作のキーポイントのひとつだと思います。一般的に日本人は「目」をみて感情を読み取り、欧米の方は「口」をみて相手の感情を読み取る、と言われますが、本作は目を見ることで感情移入させる仕掛けが多用されます。監督ご自身が日本文化に造詣が深く、また監督のパートナーが本作のミュージックエディターを務めた原見夕子さんであることもひょっとしたら影響があるのかもしれません。
4:連想した作品たち
ここまでアニメ的表現に言及しましたが、これらは全て名状しがたい「普遍的な感情」を物語として語るためのものだと思います。
シンプルなスートリーをセリフなしで語るので、見た人の中にはピンとこない人もいるかも知れません。しかし人によってはその人がいま、人生のどんなステージでこの映画を見ているのか、どんな人生経験をしてきたか、それによって色々と感じ方は変わるはずです。
ですからこれはあくまで私個人の人生経験などと照らし合わせた上で、なのですが、私がこの映画を見て真っ先に連想したのはオザケンの『ぼくらが旅に出る理由』でした。歌詞の中で”ぼくらの住むこの世界には 太陽がいつものぼり 喜びと悲しみが時に訪ねる”とありますが、それを体現するようなクライマックスだった気がします。
映画だったら『ラ・ラ・ランド』のクライマックスも近い気がします。『セプテンバー』は鳴り続ける、けれどドッグには新しい音楽が流れ、新しいダンスが生まれ、次の人生が始まっていることを示唆する音楽演出は『ラ・ラ・ランド』の「映画が終わる直前の7秒くらい」の演出に似ている気がします。
そして描こうとしているテーマや設定が最も近いのはスパイク・ジョーンズ監督の『her 世界でひとつの彼女』でしょうか。
非人間的なものにすがるのは滑稽で愚かにも思えるけれど、それでも「1人は寂しいし、誰かと繋がりを求めたい」という普遍的な人間の欲求だとか、結末も『ロボット・ドリームズ』に共通するものがあると思います。
こういう「喜び」と「悲しみ」が同時に押し寄せてワーッとなる幕切れに私は弱いなあと思っています。ご本人にぶつけるのは恐縮ですが、RHYMESTERの楽曲でいえば『It's A New Day』と『人間交差点』をマッシュアップしたような感情です。
"今日と同じはずの明日が ずっと続くはずが 金ピカの未来 中身は思ったよりスカスカ しかもそこにヤツがいないなんて 不公平っていうかこの物語は 確かにちと不安定 いざグラつくワンウェイ 未体験のワンデイに踏み出すさ 歌でも口ずさんで"
"そして今点滅するシグナル これでお別れだと思えば寂しくなる こうして誰もがすれ違ってく それぞれのさだめに各自 帰ってく その道はどこにつながってる? 何が待ってる? 始まってる? 明日も次のデカい出逢い願い目指す交、差、点!"
の両方が押し寄せる感じ……。伝わらないですかね(苦笑)
兎にも角にも、『ロボット・ドリームズ』は時折見返すことになるであろう宝物のような1本になりました。
あとがき
※以下すでに見た人向け部分あり
セリフのない映画で、言葉にならない感情を表現したこの映画。
こんな映画の感想を言葉にするのも激ムズだろ(汗)
音楽が魅力的な映画ですし、音楽と絡めた感想にしたいなあと思って、まあこんな感じになりました。
さすがにニッチすぎると思って挙げなかったのですが、私は『ロボット・ドリームズ』と、ゆらゆら帝国の『イエスタデイ・ワンス・モア(※カーペンターズの名曲をオリジナル日本語詞でカバーした曲)』も非常に近い感動があると思っています。
素晴らしい過去への寂寥感・焦燥感は抱いてしまうものだし、その素晴らしい過去さえもいつか忘れてしまうかもしれない。けれど、そこに執着して今目の前の「踊りだしくなる気分」を忘れたらもっと悲劇じゃなかろうか。
クライマックスでドッグが「忘れかけていたダンス」から「今目の前の新しいダンス」に切り替わるじゃないですか。寂しいけれど、人生の喜びの瞬間でもありますよね。こちらの感情をグチャグチャにしてきやがって・・・本当にいい迷惑な映画ですよ(涙)
圧巻の映画評とサムネイルのギャップがすごい宇多丸さん評はこちら。