権利と義務 VS 自由と責任 (2) Daily X #10
今回は「自由と責任」について考えます。前回の要点は…
・本記事は、いわゆる「意図が含まれた知識に基づく推論」
・権利と義務は、「契約的関係性」
・自由と責任は、「価値観・倫理観・世界観」によって左右
→今回の考察へ
まず結論から、なぜこの話をするのか?
私見、妄想かもしれませんが、ご笑納下さい。
似た「価値観・倫理観・世界観」の人々だけの社会ではなくなってきた。
「契約的関係性」を持ち込んで、社会的責任意識を形骸化する動きあり。
対抗するには、「価値観・倫理観・世界観」や、「ビジョン・コンセプト」をコトバ化・図式化して伝えるということをマジメにやらないと…
さて、それでは本題へ…「自由と責任」考
権利と義務との違いでかんがえる
個の自由が尊重される社会であっても、その自由は何をやってもいいというわけではなく「社会的な責任」と結びついています。
「社会的な責任」とは、対価としての制約を約束したり許可を得たりすることで果たされるというイメージではなく、社会の中の他の人たちや社会全体に対する配慮や理解がその人の言動を通じて示されるというイメージの方が、しっくりくる気がします。自分の行動が周囲にどのような影響を与えるかに気を配り、その上で同じ社会で生きる家族友人隣人たちの迷惑にならないように思慮深く行動することと言い換えてもいいかもしれません。
「自由と責任」には「社会」のことが間に入る
ちょっと乱暴に言い切ってしまいますが、「自由と責任」といった場合の「責任」は、誰かと交わす契約や約束事で果たされるのではなく、その「社会」における共通の「価値観・倫理観・世界観」を尊重し、「社会」の目指すところに貢献することで果たされると言う定義でもいいかなと思います。
「社会」が地域社会の場合は、日本人的な「価値観・倫理観・世界観」と、その地域特有の文化・伝統・歴史に照らして、ということになるでしょう。
また、「社会」を会社やチームなどに絞って考える場合は、その組織の「ビジョン・コンセプト」に照らして、というのが超重要となるでしょう。
現代の潜在的な危機 (既に顕在化?)
前回と今回、なぜこんなお話をしているかというと、現在の日本社会における「価値観・倫理観・世界観」、さまざまな企業の「ビジョン・コンセプト」が、「言わなくてもわかるでしょ〜」という日本人ばかりの集まりから、「言われないとワカリマセーン(言われてもワカランけど…)」という人がバンバン増えてきて、ごった煮の雑集団に変わってきてしまっているのではと思うからです。
これは、外国人というだけではなく、「価値観・倫理観・世界観」に関する教育を意図的に弱められてきた現代日本人というのも該当します。
「社会的責任」を置いてきぼりにした「自由と責任」(特に自由の乱用)は、悪意ある「権利と義務」で書き換えられていき、結果として「価値観・倫理観・世界観」でのつながりが消えていくのではと恐れます。
ビジョンとコンセプトの共有
そこで、研究室のテーマです。
ビジョンやコンセプトをコトバ化図式化してコミュニケーションしよう!
(手段:ドリーマー脳を鍛えることによって)ということですね。
最後に、しつこいですが、前回と同じ絵を載せておきます。
今回もご覧いただきありがとうございました。m(_ _)m
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せるとら攻略研究所
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