連絡帳でのやり取りの話
2年前の連絡帳
先日息子が紙ゴミとして出してきた紙束の中に4年生の頃の連絡帳が混ざっていました。
パラパラめくり、最後の方、
好中球減少入院後、学校登校許可が出て、微熱、身体が痛い状態
息子の病気がまだ何か分からなかった頃の連絡帳で私から当時の担任の先生宛てに息子の状況を伝えていました。
『12月5日
おはようございます。
ご心配をおかけしております。
退院後は発熱することなく過ごしています。ただ、体の局所的な痛みは少し残り、
右親指が痛い状態が続き鉛筆がにぎれない、など勉強面へのやる気や体力が回復するまでには至ってなく、
まずは白血球中の数値が正常に戻っていることが先なのですが、
戻っていたとしても完全復帰までは時間がかかるかもしれないと思われます。
まずは水曜日の検査次第というところでまた出ましたらご連絡いたします。
(息子同様の乱筆申し訳ないです。)』
読んでみて、当時の記憶が薄れていることに気づき、こんなこと書いていたんだな、当時は必死だったな、息子の状態も最悪だったな、と思いました。
そして、切羽詰まっていたのか、私の字も字ではないような、書き殴りの字でした。
当時から読み返して酷すぎると最後に付け足して書いてしまうくらい、字にも心が表れていたようです。
当時、得体のしれない息子の状態に私もやられていたのですね。
先生からのお返事は心配と労いの優しいお言葉が丁寧な文字で綴られていました。
学校との連絡のペーパーレス化について思うこと
連絡帳、はコロナ禍で形を変えたもののうちの一つかもしれません。
息子の小学校もIT化が進み、保護者から先生への連絡もシステム化され文書の場合はオンラインでするように移行しました。
当該年度分の履歴は確認できますが、次年度には前年度のものは破棄され以前のものは見れません。
息子が病気になった頃はまだ少しあいまいで、連絡帳でのやり取りも残っていて、保護者から学校へは電話か連絡帳が主流だったと記憶しています。
息子が病気になったのが1年後であったら、
私が、連絡帳を12月よりさらに9月、4月と遡り、もっと以前の体の痛い話、体調不良の話の内容、当時の息子の訴えを思い出し、
時間が経ってじわじわとまた病気の恐ろしさが蘇ることもなかったのだな、と思いました。
大事だと思うことは積極的にメモはとりますが、改めて手にした古い記録へのふとした気づきも減ってしまうのかもな、と。
元々私は、連絡帳に限らず、
ペーパーレス、IT推進万々歳だ!
という立場で長年いたはずなのですが、
息子の病気を経験して、少し感傷的になった部分もあるのかもしれませんが、
"文字を書く”こと自体が伝えることがあること、例えば感情や体調も字で伝わること、
を思い出し、
自筆のやり取りも大事なのかもしれないな、と少し足踏みしています。
また、最近、学校のおたよりがデジタル化したことで、今までなら自然と子どもの目に触れていたものが、あえて子どもと共有しなければならない機会が増えてきました。
家族で共有するなら、紙で頂いた方がありがたいな、と思います。
ペーパーレスの方が圧倒的にメリットが大きく動き出している時代の流れを止めたくは無いのですが、
こういうことがあるとふと立ち止まったりするものなのですね。