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小説・Happy birthday


※この作品は2007年頃に執筆されたものです。拙作『明青高校シリーズ』の番外編の一作でありますが、単体でも読めるものになっておりますので、こちらでも公開致します。本編約12000文字を一括掲載していますので、御了承ください。分割掲載版はステキブンゲイ様にて公開致しております。


君に出逢えてよかった

だから歌ってほしいの あの唄を

そう 

それはわたしが生まれた喜びを歌う唄

happy birthday to you……

・・・・

俺が君にした最後のキスは

血と涙の味がした


0

 世の中には、どうにもツキのない奴ってのがいるもんだ。

 例えば、常にクジ運の悪い奴。

 おみくじを引けば凶ばっかりで、大吉なんて出た試しがない。

 席替えしたら、なぜか最前列のアリーナ席だったりする訳だ。

 それで隣りには口うるさい学級委員長様。

 麗しき学級委員長様と偉大な先生様の、熱い視線を浴びながら授業を受けなきゃいけないわけだ。

 で、付き合う女は変な女ばっかり。

 個性派揃いで、俺は振り回されてばかり。

 それに、……いや、待てよ。

 いつの間にか俺の個人的な愚痴になっていた。

 話を戻そう。

 世の中にはツキのない奴がいる。

 例えば、誕生日とクリスマスが同じ奴。

 プレゼントはまず2日分は貰えないだろうな。

 まあ、御両親は経費削減で、家計簿にも優しい親孝行者ってわけだな。

 そんな記念日が重なってしまった、クジ運の悪い奴。

 タチの悪い事に、自分から進んでそんな状況に陥ってしまった奴がいたんだよな。

 そいつの名は…………。


1

 昔話をしよう。

 といっても、じいさんが山に芝刈りに行ったり、ばあさんが川に洗濯に行くとかそういう類の話じゃない。

 人生のうちで、最もくだらなくてバカバカしい時間。

 そう、青い時代。

 これはそんな時を過ごしていた俺の昔話だ。



      †††


 高校生の男子なんてものの大半は悪ぶったり、バカをやったりするわけで、御多分にもれず当時の俺も素行不良生徒代表として、先生方から熱い視線を送られる毎日を送っていた。

 まあ俺が通ってた学校は、当時それなりに校則の厳しい学校として名高いところだったから、それほど無茶をしたわけじゃないけどな。

 そんなわけで、屋上で雄大な空をバックに、昼寝をかましていた高2のある日の事だった。

「ぶべらあっ!」

 鼻の穴に異物感を感じた。

「あっ、起きた!」

 女の声とともに目を開けたら、俺の鼻の穴から赤いチューリップが咲いていた。

「ちょっと待て、俺の鼻の穴は花瓶かなんかの仲間なのかっ!」

 俺は眼前にそびえ立つ、白い2本足に怒りを表した。

 なかなかの美脚だった。 

「随分と気持ちよさそうな寝顔で熟睡してたからさ。つい思わず花を活けたくなっちゃって」

「普通の人間はひとの鼻の穴に花なんて活けるかっ!」

 俺は、可愛らしく花を咲かせていた赤いチューリップを自分の鼻からぶっこ抜いて、美脚に向かってブン投げた。

「わたし、華道の家本[いえもと]だから。なんだか妙にかわいい寝顔だったから、つい」

 そりゃ物珍しい作風の家本さんがいるもんだな。

 って、どうせ冗談だろうが。

「ちっ。……で、なんの用でわざわざあんたがこんなとこまで、起こしにきたんだ?」

 俺は美脚の上空に光り輝く、魅惑のトライアングルゾーンを眺めながら言った。

「席替えしたからさ。その報告にね。キミの荷物とかは、さすがに勝手に動かせないしね」

 俺はしぶしぶ立ち上がる。

「そりゃわざわざご苦労なこった。学級委員長様のお手を煩わせてすまないね」

 伸びをして、欠伸[あくび]をして、潤んだ目を擦る。視界がはっきりとしてきた俺の目に映ったのは、2年B組学級委員長こと岸田美琴の笑顔だった。

「ねぇ、キミはチューリップの花言葉知ってる?」

「知らねえ」

 男盛りの男子高校生が、女々しい花言葉なんかに興味あるわけないだろうが。

「そっ、ならいいや。あっ、ひとつ言っとくけど、新しいキミのお隣さんはわたしだから。よろしくね~」

 マジかよ。

「しかも、最前列中央の特等席だよ~。よかったね!」

 よいはずがない。

 何の陰謀だよ、これは。

「終わった……。俺の人生」

「さあ、ボーっとしてないで行くよ!」

 岸田は俺の手を強引に掴み取り、俺を階段方面へと引っ張っていく。

「委員長、早退したら駄目ですか」

「駄目です。午後の授業はちゃんと受けてくださいね~。わたしが監視するから」

 悲しい事に、俺は保護観察付きの学校生活を余儀なくされたようだった。

 力強く俺の手を握ったまま、岸田は階段を降りていく。

 その黒い髪が鮮やかに揺れていた。

「さっきの家本の話は、嘘だからね」

「わかってるよ、そんなこと」

 依然、手を熱く握ったままで状態で、俺は2Bの教室へと引っ張られてゆく。

 昼休みの賑やかな廊下を、周囲の人間の奇異の目を受けながら歩く俺たちだった。 

 この羞恥プレイ丸出しの状況を恥ずかしくないのか、岸田は堂々と歩いて行く。

 俺はとてつもなく、恥ずかしい。

 だから岸田も仲間にしてやろうかと思った。

「なあ、委員長様は水玉模様が好きなの?」

 さっき見た魅惑のトライアングルゾーンの話を振ってやった。

「なっ……」

 こちらに振り返り、恥じらいの表情を見せる岸田に、同士誕生!と喜んだのも束の間、俺は次の瞬間、宙を舞うのであった。

 こいつなら、キックボクサーのチャンピオンになれると俺は思った。






 それは、馬鹿馬鹿しくて、思い出すのも恥ずかしい青春の日々の始まりだった。


2

 
 あなたは神を信じますか?

 占いや宗教にすがる人間は思いのほか結構いるもんで、ガキの頃は否定派だった俺も、今では出社前に朝のテレビ番組の占いコーナーは欠かさずに見ていくという始末だ。

 これは、ある女の影響だった。


      †††


「ねえ、朝のめざわりテレビ見た?」

 黒板の文字が見えすぎる自席に着いたばかりの俺を見て、開口一番出た声がそれだった。

「軽部さんがセクシーだった」

 豊穣な肉体に軽妙な語り口。まさに軽部さんはセクシーと言わざるを得ない存在だった。

「それ男のアナウンサーじゃん。ホモなの?」

「じゃあ、あれか。今日のにゃんこ。あのコーナーに出てた家の小学生の女の子のパンツが見えてた」

 録画しとけばよかった。

「ロリコンなの?ちがうよ、わたしが言ってるのはめざわり占いのコーナー!わたしの射手座は今日1位!キミ、星座なんだったっけ?」

「牡牛座」

「あ~、最下位だね!」

 嬉しそうに言うなよな、委員長様。

「占いなんて、興味ねえよ」

「ふ~ん。わたしは結構当たるんだけどねえ」 
 占いなんて、例えば同じ星座占いでも、テレビ番組によって全然結果が違うことがあるぞ。

 実は一回わざわざ、朝のテレビ番組をザッピングして見比べた事があるのだ。

 ……暇だな、俺も。

「まあ、占いなんて、当人の思ったように解釈すりゃいいんだよ」

 そんなもん、いちいち気にして生きていけるかってんだ。

「しかしそんなんだったら、お前ノストラダムスの予言とかも信じてんの?」

 世紀末を3年後に控えていた。

「あれはたぶん外れるよ~」

「都合の悪い事は信じないんだな」

「占いなんて、当人の思ったように解釈すればいいんでしょ?じゃあ、希望的な観測をしたいよね」

 もっともだった。

「でも、ちょっと心配かな~」





 だが、彼女のその心配も杞憂に終わる事になる。

 1999年の世紀末に恐怖の魔王などはやって来なかったし、俺はこうして無事に生きている。

 そう、俺は。

3

 最近はどうにも、世知辛い世の中で、自殺する奴が増えているらしい。

 俺には、頼むから死なないでくれと言うぐらいしか出来ない。

 こう言い返されるかもしれない。

 自分の命ぐらい、好きなようにさせろって。

 だとしたら、俺も言い返そう。

 残された者は悲しいんだ……と。


      †††


 季節は移り変わる。

 俺が鼻の穴に赤いチューリップを咲かした春から、夏になり、秋を過ぎ、冬へと変わろうとしていた。

 その間、俺と岸田の間にはいろいろな事があった。

 俺が水泳大会で優勝し、岸田は市民プールで溺れた。

 俺がバンドを始めて、岸田はピアノのコンクールで優勝した。

 俺が骨折で入院して、岸田は盲腸で入院した。

 俺がバイトして買ったプレステを、岸田が次の日にはジュースをこぼしてぶっ壊した。

 俺は岸田の事を、『お前』から『美琴』と呼ぶようになった。

 岸田は俺の事を、『キミ』から『浩介』と呼ぶようになった。

 そんなある日の事だった。

 いつもと変わらないはずの1日だった。

 その日、俺は風邪を引いて休んだ美琴の家に見舞いに行ったのだった。
 
「大丈夫かよ。こないだ盲腸になったばっかだからな。今度は妊娠でもしたのかと思ったぜ」

 美琴の部屋は鉢植えやら押し花やら、とにかく花がいっぱいある。

「ただの風邪だよ~。全然たいしたことないし。って妊娠って誰の子?」

 赤面しながら美琴が答えた。

「松尾カンパニー」

 美琴は飲みかけのハーブ茶を、俺の股間に向けて吹き出した。

 ちなみに松尾カンパニーとは、うちの学校の古典教師でハメ撮りAV監督のカンパニー松尾にそっくりなのだ。

 もう直視するだけで妊娠しそうな腰つきの授業で、我が校では有名だ。

「どこに向かって吹き出してんだよ~。ズボンが濡れちまったじゃね~か。こんなんだと、おもらししたのか我慢が効かない変態さんじゃね~か」

「松尾カンパニーって……。普通、そこは『俺の子を妊娠か~』とか言うんじゃないの?」

「予定調和的な発言は俺のプライドが許さない」

 だいたいそんなバカップルみたいな事、言えるか。

「とにかく、こんなんじゃ外を出歩けねーぞ。どうしてくれる」

「脱いで乾かしとけばいいよ。わたしは別に構わないよ?」

 そんな、まいっちんぐな事を言わないでください。
 
「下半身パンツ一枚でいたら、俺の野生が目覚めるけどいいのか?」

「いいよ~。どうぞ、ご自由に~」

 都合のいいことに、現在岸田家には俺と美琴しかいなかった。

 だとしたら、やることは決まっていた。






 夕方。俺はクリスマスのイルミネーションが目に痛い、商店街を歩いていた。

 数々の花の匂いと美琴の匂いが、残り香のように残る中、俺は考えていた。

 いろいろと。

 行為の最中の美琴は、なぜか寂しそうな顔をしていた。

 なぜだろう。

 前と比べると、かなり痩せたような気がする。

 入院したばっかりの病み上がりだしな。

 なんとなく、胸も縮んでいたような気がする。

 これは、非常に困る。

 あと、非常に重要な事がある。

 俺、避妊してないぞ?

 ていうか、中で出しちゃったぞ。

 よかったのだろうか。

 美琴はなにを考えて、いるんだろう。

 まあ、万が一の事があったら、責任取るしかないか。

 あ。

 ………………。

 俺は馬鹿か。

 忘れていた。

 取り返しのつかない過ちを犯すところだった。

 今日は……

 美琴の誕生日じゃないか。

「おうっ!亭主様のお帰りだコラっ!はやく開けねえかコラっ!」

 再び、インターホーンを押してもやはり、応答はなかった。

 ふと、さっきの美琴の寂しげな顔が脳裏に浮かぶ。

 嫌な予感がした。

 俺はドアを豪快に開けて、美琴の家の中に入った。

 美琴の部屋に向かう。

 寝てるのなら、いいんだけど。

「美琴!いるのか?」

 花が色めくその部屋の主は不在だった。

 ただ壁時計の時を刻む音が、虚しく響いていた。

 どこにいったんだよ。

 家中をしらみつぶしに捜すしかないのか。



 廊下に出たとき、水道から水が流れる音がした。

 その音の方向に向かって、走る。

 ちょっと待て。

 ドラマとかだと、この後は……。

 俺は首を振って、嫌な考えを否定する。

 まさか。

 そんなはずはない。

 美琴に限って。

 …………。



 風呂場のドアのガラス越しの向こうに、人影が映っていた。

 影は、動かない。

 冗談だって、言ってくれ。

 ドアを開けたら、『キャー!ヘンタ~イ!』とか言って裸の美琴がタライを俺に向かって投げてくるんだ。 
 そんな微かな期待を胸に、俺は風呂場のドアを開けた。

 赤。

 服を来たままの美琴が左腕から、真っ赤な血をダラダラ流して浴槽にもたれ掛かっていた。

 水道から流れる水の音が耳に痛い。

 冗談、だよな。

 迫真の演技にも、ほどがあるぜ?

「美琴!」

 抱えていた花束がこぼれ落ちたが、そんなもんはもはやどうでもいい。

 俺は美琴を抱きかかえた。

 さっきよりも、さらに軽くなったような気がした。

 畜生、縁起でもない。

「……浩介、……来たの?……どう……して?」

 俺を見る美琴の目は、焦点が定まっていなかった。

「誕生日だろ?さっきまで忘れてたんだ、ごめんな」

 ははは、何を当たり前に言ってるんだ、俺は?

 美琴が、今にも死にそうな時に……。

「……嬉しい。……覚えてて……くれたんだね。……あの花束、……誕生日プレゼント?」

「ああ、なにを買っていいかわかんねーからさ。とにかく、適当にいっぱい買ってきた。美琴、花好きだしな」

 だから、それになんの意味がある?

 俺はどうしたら、いいんだ?

「……浩介」

「……どうした?」

 美琴が、どこかを見ていた。
 
「……指、……血が出てるよ」

 買ってきた花束のトゲかなんかが刺さったのか、右手の人差し指から血が出ていた。

「……だいじょうぶ?……マヌケだね」

 そうだな。俺はどうしようもないマヌケだ。


「……ねえ。……お願いがあるの……」

「なんだ?なんだって言うことを聞いてやる」 

 ……だから、どうか死なないでくれ。

「……お誕生日に、……うたう歌、……うたってほしいの」

 誕生日にうたう歌?

 ああ、あれか。

 ガキのころダチの誕生日会で、よく周りのみんなが歌ってたやつか。

 俺はかったるいから、歌った試しがなかったけどな。

「……美琴にうたうのが初めてだぜ、心して聞け」

「……嬉しい。……ありがとう」



 happy birthday to you♪

 俺は思い出していた。

 バカバカしくて、くだらない毎日を。

 美琴とのかけがえのない思い出を。

 happy birthday to you♪

 あの屋上で、赤いチューリップを俺の鼻に差したときの美琴の笑顔。

 プールで溺れた美琴を助けた時の事。

 初めてキスをした雨の日の事。
 
 happy birthday dear mikoto♪

 どうして、こうなった?

 俺は今、何をしているんだ?

 美琴は、美琴は何を望んでいるんだ?

 happy birthday ……

 どうして、祝福の歌をうたっているのに、こんなに悲しいんだ?

「……トゥ、……ユゥー……」

 美琴の顔を見つめた。

 美琴は笑っていた。

「……ありがとう。……わたしは……幸せだよ。よかった……。最後に……浩介に……逢えて」

 最後だなんて、言うなよな。

「美琴……」

 俺のほうを真っ直ぐに見据えて、美琴は両の手を俺の顔に伸ばして来た。

 そして、愛おしそうに俺の顔を撫でようとするのだが、もう力が入らないのか、うまくいかない。

 そうか、もういってしまうんだな。

 美琴は、いなくなってしまうんだな。

 だから、俺はもう一度強く美琴を抱きしめ、

 美琴の顔をもう一度、けして忘れないように、目に焼き付けるように見つめて、

 そして、

 キスをした。

 最後の瞬間まで、

 ふたり、

 いっしょに。

 美琴の唇は温かかった。

 俺は泣いていた。

 涙が止まらなかった。

 涙がふたりの唇のところまでこぼれ落ちて、しょっぱかった。

 花の匂いがする。

 血の匂いがする。

 美琴の匂いがする。

 世界はとても静かで、時はゆっくりと流れていき、

 いつの間にか美琴の唇から暖かさがなくなって、

 もう、俺の目から涙がこぼれなくなった頃には、

 抱きしめた美琴の体さえも、冷たくなっていった。




 そうして、美琴は誕生日のその日に死んでいった。

 10年前の話だった。  


4

 架空の物語には結末がある。

 しかし、現実の物語はハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、俺たちが死ぬまで続いていく。

 幸せな結末を迎えた、おとぎ話のカップルたちは、その後どうやって生きていくのだろうか?


      †††††


 それから。

 俺はどういうわけか素行不良生徒代表から、優等生代表になっていた。

 水泳部も、バンド活動もすっかりやる気を無くしていた。

 美琴を亡くした高2の12月から、高3になるまでの間の記憶は今でも思い出せない。

 あの時、俺はいったい何を考えていたのだろうか。

 高3になった俺は、ある理由で大学進学を志す事となる。

 ただ、何も考えずに受験勉強に集中していった。

 そして、俺はW大学に現役入学する事になり、そこである女と出逢う事となるのだが、それはまた別の話だ。





 あの日から、ちょうど10年経っていた。

 俺は会社を有給休暇を取って、幾多の人々が眠る明青霊園へとやって来ていた。

 ここに、美琴の墓もある。 

 美琴の誕生日でもあり、命日でもあるこの日に花束を手向けに来るのが、俺の年間恒例行事のひとつになっていた。



 名前すらわからない、大量の花束を美琴の墓前に添えようとした時だった。

「南野さん……、今年も来てくれたんですね」

「おばさん……」

 美琴の母親だった。

 既に一社会人である俺が、おばさん呼ばわりするのも失礼な話かもしれないが、他にどう呼べばいいのか見当がつかなかった。

 『岸田さん』なんて、他人行儀な呼び方をする事のほうが、俺には失礼な気がしていた。

「3年ぶりですね。すっかり立派になって。あれから仕事は順調かしら?」

「ええ、それなりにトラブルもあったりしますが、いい調子でやってますよ」

 3年ぶりに会った美琴の母親は、以前よりも老け込んだような気がした。

 俺も、他人から見ればかなり変わったのかもしれないが。

「あれ、おばさん『今年も』って、去年もここに来たことご存知だったんですか?」

 去年も一昨年も、美琴の母親には会わなかったのに。

 
「ええ、毎年たくさんの花束を美琴に供えに来てくれますし。それに……掃除の方なのかしら?麦わら帽子をかぶった綺麗なお嬢さんが、南野さんが来てくれた事を報告してくれたんです」

「麦わら帽子のですか?」

 おいおい墓場には、場違いな格好すぎないか?

「ええ、今年はいらっしゃらないのかしら?とても不思議な方でしたわ……」

 そりゃ、墓場に麦わらスタイルなんて不思議ちゃん以外には考えられないよな。

 まあ、そんな事はどうでもいい。

「……もう、あれから10年になるんですね。南野さん、よかったら家にいらっしゃいませんか?いろいろお話したいこともありますので」

「いいですよ」

 断る理由はなかった。



 美琴の家に入るのは、葬式の日以来だろうか。

 あれから、何度かおばさんには会ったのだが、あの日の記憶をどうしても思い起こさせる家の中にまでは入る気はしなかった。

 だが、もう10年だ。

 思い出は思い出として、向き合わなければならない。

 久しぶりに入る、美琴の家はまるで昔と変わらなかった。

 ふたりでバカをやったあの頃のままだった。

 懐かしい空気の中で、俺とおばさんは話をした。 

 俺の事。

 美琴の事。

 穏やかに時間は過ぎ去っていった。


「美琴の部屋、今も昔と同じままにしてあるんです。ご覧になりますか?」

 その中は、本当にあの日のままだった。

 一瞬、自分が高校生であるかと錯覚するぐらいに……。

 思い出に微睡[まどろ]んでいた、その時。

「南野さん……、いいですか?実はあなたに美琴からの贈り物があるんです」

 おばさんに声を掛けられた。

「贈り物?」

 なぜ、今になって?

「ええ、もしあなたが10年経っても美琴に会いに来てくれるようだったら、渡してくれって……。美琴が遺していた手紙に書いてあったんです」

「10年経っても?手紙?」

「はい。これを……受け取ってもらえますか?」

 おばさんが両手に大事そうに抱えて持っていたのは、木製のちょっと大きなオルゴール。美琴が得意だったピアノの形を模してある。

「はい。美琴からのプレゼントなら、もちろん もらっていきます」

 見た目より重量感のあるそれを受け取った俺は、ふと左手の腕時計を見る。

「もう15時か……、すいません、ちょっと寄らなきゃいけない所があるんで、今日はこの辺で失礼していいですか?」

「ええ、今日は本当にありがとうございました。天国の美琴もきっと喜んでくれると思います」

 天国の……か。

 ひとつだけ、おばさんに聞きたくても聞けなかった事があった。



『美琴は、あの日、なぜ自殺したんですか?』


5

 
悲劇の主人公にも、その先の物語が待ち受けている。

 それが再び悲劇になるのか、あるいは喜劇になるのかは、人生というページをめくるまではわからないのだ。



 昔話の続きをしよう。

      †††††


 W大学に入学した俺は、心理学科の講義でひとりの女と出会う。

 眼鏡の似合う、知的な才女といった印象の女だった。

 当時の俺は、美琴が死に至ったその心境を知りたいがために、心理学を学んでいたのだ。

 講義の最中、ふと隣に座ったのをきっかけに、その女との交友が始まった。

 生真面目だったそいつは、俺の影響なのか、いつしか煙草を吸い始め、ギャンブルにまで手を出すようになっていった。

 そいつとの付き合いで、俺は美琴を亡くしたショックを癒す事ができた。

 そして、何の因果かそいつは卒業後、俺の母校の学校医になるのだった。





「しかし最近の女子高生は乳がでけえな!さっきツインテールのいい感じの娘がいたんだけど、口説いていいか」

「1年ぶりに会った第一声がそれかいっ!」

 こいつがその、大学時代の盟友である。

 ぶっちゃけ、元カノでもあったりする。
 
 もう、別れて3年になるけど。

 とにかく、俺は母校である明青高校の保健室内にいた。

 しかし、なんなんだこの常軌を逸した煙草臭さは……

 現在禁煙中の俺への嫌がらせですかい。

「で、ツインテール巨乳ちゃんに、大人の渋み溢れるこの俺の魅力を体当たりで教えてやっていいのか?」

「いいけど、あの子いま同棲中よ~。ちなみに現在の2年B組クラス委員長です」

 2Bの委員長……。

 美琴と同じか……。

「同棲かよ!そりゃ毎日毎日、夜中は祭りだワッショイ!ってにぎやかだそりゃよかったね!って感じだな」

「まあ、同棲って言ってもお互いの親も同居してるんだけどね~。……あんた無理してない?あの子の事、思い出したの?」

 さすが、校医兼スクールカウンセラーの喜多原夕果さまには、なんでもお見通しってわけか。


「なあ最近、末広涼子ってあんま見ねえよな。俺らと同期にW大に入学したけどろくに大学来ないうちに辞めちまったやつ」

「話をそらさなくてもいいわよ。今日はあの子の命日なんでしょ。まったく、過去の女の墓参りのついでに来るのが、1年ぶりの再会なんてね~」

 嫌みたらしく、夕果は言うのだった。 
「別にもう、付き合ってるわけじゃないんだからいいだろうが」

「……とにかく、今日はなんかあったの?なに?そこに置いてあるのは?」

 ろくに片付けてない書類まみれのテーブルの上に、無造作に置いておいた俺が持参した荷物を指差して、怪訝そうに夕果は言った。

「ああ。実は美琴の家に今日寄ったんだけど、そのときおばさん――母親な――にもらったんだ。なんか10年経っても、俺が美琴の墓参りに来るようだったら渡してくれって、おばさんに書き置きしてあったらしい」

「10年……。中身はなんなの?」

 俺は、和菓子屋の紙袋に入っていたそれを取り出す。

「ピアノの置物?いや、オルゴールね?」

 グランドピアノを模した、オルゴール。

 美琴が得意だったピアノ。

 そういや、合唱大会のピアノもあいつが弾いてたな。

「ふうん、ここの横から出てるゼンマイを巻いて音を出すのね~」

 おいおい、煙草臭い手でベタベタ触るなよな。

「……あれ、ここ開くようになってるのね。あれ、中に……手紙?」

 なんだって?

「ちょっと貸せっ!」

「あっ、なにすんのよ~」 
 
 確かに、そのピアノ型のオルゴールは上蓋が開くようになっていた。

 そして、その中には四つ折りになった紙切れが入っていた。

「手紙……。美琴が俺に遺したのか?」

 この手紙の中に、あの突然の美琴の自殺の真相が隠されているのだろうか。

 俺は、オルゴールのゼンマイを巻き、手紙を開き、目を通す。

 オルゴールから流れるのは、美しく、そしてどこか物悲しい旋律。

「これ……、ショパンの『別れの曲』ね……」

 覚えている。

 美琴がピアノコンクールで優勝したときの曲だった。

 でも、別れの曲だなんて……

 ちくしょう、縁起でもないこと言いやがって。

 とにかく、手紙を読まなければ。


      †††††


 浩介へ。

 キミがこの手紙を読んでくれる事を信じて、今のわたしの想いを記して置くことにします。

 わたしは正直者だから、キミにもいつも言いたい事を言ってきたし、嘘もついた事はなかったけど。

 ごめんなさい。

 たったひとつだけ、キミに嘘をついていた事があります。

 こないだ盲腸で入院したって、言ったよね?

 あれ、嘘だったんだ。

 本当は、白血病。

 言ってなかったけど、中学の時もそれで入院した事があって、治療したんだけど。

 こないだ、また再発しちゃって。

 で、言われちゃったんだその時。

 あと数ヶ月の命です。

 ってね、まるでドラマみたいでしょ?

 自分が悲劇のヒロインになるなんて、思いもしなかったなあ。 
 似合わないよね?

 キミはわたしがなんで自殺しちゃったんだろう、って思ってるだろうけど。

 わたしは最後の瞬間まで、幸せでいたかったの。

 キミに愛される喜びを噛みしめながら、逝きたかった。

 もし、わたしが白血病だって事をキミが知って、それでキミが悩んだり苦しんだりするのを見たくなかったの。

 ただ、いつものように明るくて、笑っている、そんなふたりのままでいたかった。

 だから、自分からお別れする事にしました。

 わがままで、ごめんね。

 本当はもっと、長生きしたかった。

 ふたりで、生きたかった。

 でも、運命なら受け入れなきゃいけない。

 これも、ドラマとかでよくある言い回しだけど、でも言うね。

 キミといっしょに過ごした時間は一年にも満たなかったけど、それでも今までのわたしの人生の中でいちばん幸せな時間でした。

あの日、屋上で寝ていたキミの鼻に赤いチューリップを活けた事。

 わたしがプールで溺れたとき、人口呼吸してくれた事。

 それがふたりの最初のキスだった事。

 他にも、文化祭や、合唱コンクールや、いろいろあったね。 
 すべては、たいせつな思い出です。

 本当にありがとう。

 キミに逢えて、よかった。



 最後に。

 この手紙を読んでるって事は、10年経った今(わたしにとっては未来だけど)でも、キミがわたしの事を少しでも気にかけてるって事だよね。

 もしかしたら、キミはわたしが突然いなくなった事で、悩んだり苦しんだりしてるかもしれない。

 だから。

 どうか、わたしの事を忘れてください。

 これからは、キミの自由に生きてください。



 もういちど、言います。

 ありがとう。
 
 
 

      †††††


 オルゴールからの旋律は、もう聞こえなくなっていた。

「……バカやろう……忘れられるわけ……ないじゃないかよ……」

 はは……人口呼吸かよ……あいつにとっては、あれもキスにカウントされてたんだな……。

「あんた……泣いてるの?」

「ちげえよ……目にゴミが入っただけだ……あれ?なんだ……これ?」

 目を拭ってはっきりした視界に、オルゴールの中に残っていた何かが映った。

「……押し花?……これはチューリップか?」

 食べ物の防腐用に使うジッパー付きのビニール袋に、紫色のチューリップの花びらの押し花が入っていた。

 
 なんか妙に生活臭漂うところが美琴らしかった。

「ねえ、知ってる?」

 ふと、夕果が口を開いた。

「チューリップには色によって花言葉が違って、紫色の花言葉は……」

 そして、寂しげな顔をしながら言った。

「永遠の愛情」

 ……美琴、また嘘をついてるじゃないかよ。

「悪い夕果、今日はこれで」

 俺は手早くオルゴールを紙袋に戻して、ケツの痛くなる安物パイプ椅子から立ち上がる。

「どうしたのよ」

「急用を思い出した」

 そして、挨拶も早々に保健室を後に、学校の横に停めてあった車に乗り込む。



 まったく、俺は大馬鹿野郎だ。

 忘れていた事がある。

 また10年前と同じ過ちを繰り返す所だったのだ。


6


 はるか昔から、人々が抱えたであろう悩みのひとつにこんなものがある。

 愛に永遠はあるのだろうか。


      †††††


 俺が再び、美琴の眠る明青霊園に舞い戻って来たとき、時刻はすでに夕方を過ぎていた。

 用事をこなしつつ、急いで車を飛ばしてきたので危うく婆さんをひき殺すところだった。

 とにかく、美琴のもとに早く行かなくては。

「あれれえ?また来たんですね~」

 竹ぼうきを持って掃除をしている姉ちゃんに声を掛けられた。

 12月だというのに、薄っぺらい白のワンピースひとつで平然としているが寒くないのか。

「また……って、あんたに会った事あったっけ?」

 ふと昼に会った美琴のおばさんの言葉を思い出した。

 ああ、そういうことね。

「あの子の事、許してあげてくださいね。あなたを気遣ってしたことなんです。きっと」

 ワンピースの姉ちゃんは、優しい笑みを浮かべながら言った。

「全然、気にしてないぜ。なあ、麦わら帽子は今日はかぶらないのか?」

「うふふっ。あれはたいせつなひとにプレゼントしてあげたんです」 

 子どもみたいにはにかんで、元麦わらの姉ちゃんは笑っていた。

「そうか。そりゃ残念。さぞかし似合っていただろうから、一度見てみたかったんだけどな。じゃあ、俺は美琴んとこ行くから」

「ええ、頑張ってくださいね」

 頑張るような事かよ。

 そう突っ込もうと思った時には、おせっかいな姉ちゃんは既に消えていた。

 俺は頭の中で礼をしつつ、美琴の眠る墓へと向かった。
 

 美琴の墓は、全面紫色のチューリップに覆われて、なにがなんだかわからない状態になっていた。

 実は造花だったりする。

 なんか時期がずれてんのか、その辺の花屋見てもチューリップは売ってなかったし。

 だから、100円ショップに行けるだけ行って、紫色のチューリップの造花をかき集めてきた。

 どこの店の店員も、俺を異常者を見るような時の目つきで見てきやがった。

 ま、こんなんも俺らしくていいよな?

 そういえば、ついでに本屋に寄って、美琴が好きだった花言葉をちょっとだけ、勉強してきたんだ。

 とりあえず、ひとつ新しく覚えた花言葉がある。

 あのとき、屋上で美琴が俺の鼻の穴に差した赤いチューリップの花言葉だ。
 
 赤いチューリップの花言葉は『愛の告白』って意味なんだってな。

 じゃあ、あのときから、美琴は俺の事を……
 
 おっと、言い忘れていた事がある。

 これを言わなきゃ、なんのためにここに来たのかわからなくなっちまう。

 来年も、この言葉を言うために、またここに来よう。

 その時は、自家栽培でもして紫色のチューリップをたくさん持っていくから。

 だから、待っていてくれよな。

 誕生日、おめでとう。


「Happy Birthday 」






以下、喜多原夕果のカウンセリングノートより抜粋


 私の知人のいまは亡き友人のひとりに、自殺した少女がいた。

 彼女は白血病に侵されていて、自殺した当時、既に余命いくばくもない状況だったことがわかっている。

 なぜ、彼女が自[おの]ずから死を選んだのか、それは当の本人でないとわからない事である。
 
 だが、私はこう推測する。彼女は遺書とも取れる書き置きを母親に遺していて、そこには、こう書かれてある。自分が白血病だったことを当時交際していた彼氏――私の知人でもある――に、言わないで欲しい、もし10年間欠かさず自分の墓参りに訪れたら、その時は改めて、自分が書き残した手紙を彼氏に渡してほしい。

 彼女のその行動の経緯には、どこか幼稚めいた印象を抱かせる。生前の彼女は占いが好きだったようだ。そこから私が推測するに、死に至るまでの一連の行動は彼女にとって、一種のまじないのような物だったのではないか。そう、幼い子供が願いを込めるおまじない。

 自分の事を永遠に忘れないで欲しいという願いを込めた、おまじない。

 そして、そのおまじないはおそらく成功している。

 彼、南野浩介の心は彼女、岸田美琴に永遠に捕らわれたまま。

 私は、それが少し悔しかった。



 ―了―


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 最後まで、お読みいただいた方ありがとうございました。この作品は、当時私の作品を応援してくれていた女の子(声優志望でキャラクターの台詞に声をあててくれたりしました)の誕生日プレゼントとして執筆したものです。プレゼントのわりには、この内容はいかがなものとは自分でも思いましたが、当時自分が発表した作品群ではいちばん反響が大きかったので、まあいいではないかと。1週間もかからず執筆したわりには、なかなかのものではないかと思います。私の作品は、しょうもないギャグ描写が多いわりには、自殺をテーマにする作品が多いのですが、この作品の執筆の少し前に父親が自殺してしまい、それをきっかけに執筆作品にも影響が出てきました。これが第一弾だというわけです。この物語の主人公のその後や喜多原との出会いを描いた続編的短編も構想はしていたのですが、果たして執筆されることはあるのでしょうか? 読みたい方は応援のコメントを作者まで届けてくださいね! ちなみにまじないを漢字で書くと呪いとなります。先頃最終回を迎えた呪術廻戦を読んだときは、自作を思い出してしまいました。というわけで、当作もこのタイミングでnoteに公開することに致しました。

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