創作小説・鳥の唄ー歌えない歌姫ー第2話
※2012年に執筆された作品です
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俺が初めて森野美鳥と出会ったのは、今から2年前の9月1日のことだった。東京駅地下、銀の鈴広場の前でただひとり呆けた顔で例の巨大な鈴を見上げていた少女。それが、森野美鳥だった。
「よう。東京に来るのは初めてか? そんなに、その鈴が面白いか?」
俺は、動物園のパンダでも見るかのようにオブジェの鈴を見る美鳥の姿が面白くて、自己紹介するのも忘れて話し掛けていた。
「ドラえもんの付けてる鈴みたいだな~って、思ってました」
「そうか。本来は、そこに巨大なドラえもん像を作る予定だったんだが予算がなくて鈴だけになったんだ。ほら、昔の駅の再現とかで今工事してるだろ? そっちに予算を持っていかれてね」
「そうなんですか!? へ~」
目を見開かせて、俺の顔を見た後、再びまじまじと鈴を舐め回すように眺める美鳥。どうやら、俺のホラ話を本気にしているようだった。
「ふ~ん、は~、へ~、ほぉ~。あれ、これってもしかしてナンパとかいうやつですか?」
ひとしきり鈴を眺めて満足したのか美鳥は、唐突に俺の方に顔を向け、こう言った。
「そうだよ。ベイマックスという芸能事務所から、君をナンパしにきた古井隆介という者だ。ほら名刺だ」
ナンパと間違われても困るので、手っ取り早く名刺を渡す俺。俺が迎えに行くという話は、既に前もって伝えてある。
「ありがとうございます。わたしからも、はい、名刺です」
卒業式で校長から卒業証書を受け取るかのごとく、うやうやしく名刺を受け取った後、美鳥は俺にもなんか紙切れを渡してきた。なんだこれ?
「こんなこともあろうかと名刺作製機で作ってきた、わたしの名刺です! どうですか?」
その安っぽい紙切れには、派手々々しい蛍光色の丸文字で「森野みどり」と印刷してある。どうやら、プリクラの亜種の名刺作製機で作ったらしい。喧嘩を売ってんのかと美鳥の顔を見るも、その瞳は真っ直ぐに俺を見つめ、肯定的なリアクションが返ってくるのを期待しているようだった。
「ああ、ありがとう。わざわざ作ってくれたんだな。でも、今から会う社長には渡さないでいいからな」
社長の杉浦は、こういう冗談が嫌いなほうではないんだが、今は経営不振でピリピリしているからな。
「社長さんにも会うんですか! 凄いですね!」
「ああ。おまえは、とりあえずニコニコしてりゃいいから。おまえの歌手としての実力に、ウチの社長も期待してるんだ」
いくつかのメディアにも出てたが、歌手『森野美鳥』のデビューが社運を賭けたプロジェクトだってのは、本当の話だ。実は、地方大会のボーカリストオーディションが開催された時点で、最終的に美鳥が優勝することは決定していた。美鳥以外の参加者には悪いが、あの決勝大会は完全にデキレースだったのだ。
決勝大会の意味、それは華々しい新人歌手誕生という、単なる演出上のものでしかない。
「社長さんと会って、なにを話すんですか?」
ウキウキとスキップをしながら俺の横を歩く美鳥は、とても中学生には見えない。どうみても小学生だ。まあ、マネジメントする若いアイドルと歩いてると、陰で「あれって援交じゃない」と道行くマダムから囁かれること多数の俺だ。美鳥なら、娘と歩いてる父親のようにしか見えないから警察に通報される心配はないだろう。
「なあに、たいしたことはない。どんな歌手になりたいとか、デビュー曲のプロモーションについてとかだな」
「もうデビュー曲の話しちゃうんですか!?」
天然キャラらしい美鳥も、さすがの急展開に目を丸くしていた。
「ああ。もうデビュー曲の、タイトルも歌詞も決まってる。曲は複数案あって今から決めるとこだけどな」
「そうなんですか~。うわ~凄いな~」
これから待ち受ける未来も知らずに、美鳥は両の目を期待で輝かせていた。
——あのフェイクの決勝大会には、実はもうひとつの意味がある。「保険」としての意味だ。
地方大会で優勝後の美鳥の身辺を、俺たちベイマックスは徹底的に調査した。美鳥の生い立ち、非行歴、犯罪歴は無いか、はたまた学校のクラスメートの噂話まで。デビューして売れっ子になれば、いずれマスコミの連中が嗅ぎ回ることだ。実はヤンキーだった過去とか、派手に男遊びしていた過去がゴシップ誌に発掘されたらCDの売り上げにも響くからな。鉄は熱いうちに打て。石橋を叩いて渡るのが、俺がアイドルをプロモーションするに当たっての信条だった。
調査の結果、問題は特に無し。仮に問題があった場合は、決勝大会に出場した別の誰かに適当にグランプリを贈るが、プロジェクトとしては縮小するという手筈だったので、俺たちベイマックス陣はひと安心。
しかし、ひとつの懸念材料があった。美鳥の特殊な生い立ちの中に、その要素が隠れているというのが俺の見立て。まあ、 不要なモノは潰せばいいだけ。それが、俺のやり方だ。
「デビュー曲のタイトルって、なんですか?」
「『さよなら』さ。デビュー曲にして、こんなタイトルなんて変わってるだろう?」
幼なじみの少年に別れを告げ、新しい世界へ旅立っていく少女、美鳥に用意されたデビュー曲『さよなら』はそんな歌詞の歌だ。
まったく、俺たち業界の人間はろくでもない。
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2010年、9月8日。
おれと美鳥は兄妹のような関係だ。というのは、誇張でもなんでもなく事実そんな関係なのである。おれの両親は、おれが小3のときに交通事故死した。それで孤児院に入る予定だったおれを無理言って引き取ったのが、死んだ母さんの親友だった万里子さん。既に旦那さんを亡くして、美鳥ひとりを育てるのだって大変なはずなのにおれを引き取ってくれたのだ。おれは、万里子さん以上に優しい人をこの世でほかに知らない。朝から晩まで、パートを2つ掛け持ちしておれと美鳥のふたりをここまで育てくれたのだ。だからおれは、万里子さんと美鳥になにかあったときは命がけで守る気でいる。
そんなわけで、美鳥が上京した後おれは毎日、万里子さんのもとに挨拶に行くようにしている。本当は挨拶だけのつもりだったのだが、万里子さんなぜかわざわざご丁寧に食事まで用意してくれてるので、おれはありがたくいただくことにしている。いいのか、これで。
「美鳥ちゃん、昨日の『ワッコにおまかせ』に出てたわよね~。マモルくんも見た~?」
熱々のご飯と味噌汁を乗せたお盆を持ちながら、おっとりした調子で嬉しそうに万里子さんが言う。
「見ましたよ。番組の放映時間には、バイトしてたんでYouTubeでですけどね」
「『ゆう中部?』って、なにかしら? 中部地方の番組?」
万里子さんは、機械にうとい。携帯も持たないし、当然パソコンなんか無い。ビデオは一応あるが、録画とかの操作関連は全ておれの担当だ。
「ネットでテレビ番組を後から見れるようなのがあるんですよ。それにしても美鳥のやつ、あのワッコに向かって堂々としてましたね」
芸能界の女番長と呼ばれる、あのワッコの前で彼女の代表曲『あの蟹を食べるのはあなた』をアカペラで歌ってみせたのだ。短気なワッコを怒らせやしないだろうかと、リアルタイムでもないのにヒヤヒヤもののおれだったが、結果は想像以上のものだった。涙流してワッコは大感激。
「おまえは立派な歌い手になるでー」と、赤白歌合戦常連の歌手から直々に太鼓判を押されたのである。
「『赤白歌合戦で待ってる』ってワッコさん、言ってたわよね! どうしよう、ビデオをまたマモルくんにお願いしないと~」
箸に取ったたくあんを味噌汁の中に落としながら、慌てた調子で万里子さんが言う。
「慌てなくて大丈夫ですよ万里子さん。美鳥のデビューは年末だから、赤白に出るのはたぶん来年になると思います」
「よかった~」
サンマの塩焼きにソースをぶちまけながら、安心した調子で万里子さんが言う。
「それでですね。おれ、こうしてまた飯までご厄介になってるわけですし、来月の美鳥の誕生日にはなんか盛大なパーティーでもしてやりたいと思ってるんです」
高校に上がるのを機に、おれは美鳥の家から出たのだが、久々に食べる万里子さんの手料理はやはり美味い。しかし、ひとつに減ったとはいえ、いまだパート生活の万里子さんにおれの分の食料費まで出させて、のうのうとしているわけにはいかない。せめて、派手に美鳥の誕生日を盛り上げてやろう。おれは考えていた。
「じゃあ、わたしは美味しい料理を作ってあげよっと!」
味噌汁をぶっかけたご飯をかき混ぜながら、元気に万里子さんが答えた。
「じゃあ、おれは……どうしようかな?」
派手に誕生日を盛り上げようと思っても、貧乏バイト生活のおれには皆目見当がつかないのであった。
「そういうのは、深く考えなくていいのよ~。マモルくんらしい方法で、美鳥ちゃんを祝ってあげたらいいのよ~」
普段、何も考えてなさそうな万里子さんのおれに対するアドバイスだった。
「おれらしい方法……」
食事を中断して、思案するおれ。
「バーカ! バーカ!」
考える人のポーズで、考えていたら頭が痛くなってきた。つうかリアルにガチ痛ぇぞ! 顔を上げたら、目の前にはふざけたツラをしたインコが一匹。ふざけた言葉を繰り返しながら、頭を突っついてきやがったのだ。
「バーカ! バーカ!」
ガツン! ガツン! と、おれの頭を嘴[くちばし]で突っつく音が狭い部屋にこだまする。
「こら! 痛いから! この野郎しつこいぞ、焼き鳥にするぞ!」
ひっ捕まえようと思ったら、天井のほうまで逃げて、おれを見下しながら「バーカ」「バーカ」と連呼しやがる。誰だよ、こんな言葉インコに教えた奴は! ……おれだった。
「まったくサブローちゃんも困った鳥ねえ。マモルくんが、わたしの手料理を食べないでボーッとしてるから怒っちゃったのかしら」
人様を小馬鹿にするような頭の良い鳥でも、さすがに閉められた籠から脱走できるはずはない。ニコニコと笑顔で、人と鳥の異種格闘戦を眺める万里子さんが試合の仕掛け人なのは間違いなかった。仏様のような顔して、万里子さんは怒らせると怖いのである。
「でも不思議ねえ。わたしや美鳥ちゃんが、言葉を教えても全然喋らなかったのに、マモルくんが教える言葉はすぐに覚えるのよ」
ソースが掛かったサンマを平然と食べつつ、珍獣でも見るような顔でおれを眺めながら万里子さんが言った。
本当に伝えたい言葉は、口で言えなかったりする。じゃあ、どうすればいい?
美鳥の誕生日を目前に控えながら、おれはそんなことばかり考えていたのである。