タイムスリップ自分ログ 第7回 青春編
※2007年2月15日に執筆された記事から一部抜粋
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――愛してるの響きだけで強くなれる気がするよ
そんなスピッツの『チェリー』の歌詞が脳内をリフレインする春。
僕は高校生になった。
中学時代の3年間クラスが同じで、席もほとんどが隣だったSさんや、部活が同じ卓球部でいつもつるんでいたIや、頭に障害があり、小学生時代から面倒を見てきたOとも離れ離れになった。
義務教育が終わり、高校という、受験によって学力が同程度の生徒たちが集まる場所。
同じ学区内でも、ランク的には下から2番目という偏差値は低めの学校。
中学時代は、優秀な大学へ進学希望の人間が多くて、その独特な競争社会が好きになれなかった。
我が家は貧乏なもので、塾に行く金などなかったのだ。塾に行く者がテストで高得点を取る。そんな理不尽な教育が、中学ではまかり通っていた。単に教師の教え方が下手なだけなのだが。
はっきりいって低レベルな高校である。だから、勉強面では気楽なはずだ。その点はいい。しかし、懸案事項はある。
ヤバい連中が大量にいたらどうする。気合いが入ったヤンキーの方々と、自分はうまくやっていけるのか?
内面的には、かなりのアナーキストたる自覚がある自分だったが、表面的には、善良な小市民である。しかも当時はポッチャリ系だった。
とにかく期待と不安が入り混じる中――いや不安の割合が圧倒的に多いのだが――、僕は通学に利用する自由が丘駅南口へ向かう、坂道を歩いていた。
閑静な、という形容詞がまさに的確な住宅街を、早朝のまどろんだ空気の中、脳内ではヒット曲などを歌いながら歩く。
朝の6時起きは、しんどいものがある。かったるい。
そんなネガティブな気分で歩いていたら、ひとりの女子高生が自転車で僕の横を通り過ぎた。
Sさんだ!
こないだ友人のOに、Sさんの自分への思いを聞いたのだった。
「なにか僕の事について、言ってなかった?」 と。
Oは言った。
「「好き」って言ってたよ~」と。
飛び上がって喜ぶも、時すでに遅し、卒業後の一幕だった。
思い出として終わるはずだった。
しかし、たった今自分の横を当のSさんが通り過ぎたのだ。
通り過ぎるSさんは、どこか思い残した事があるような素振りを見せていた。
後ろ髪を引かれるような。
自分の都合のいい解釈だって?
まあ、それでいい。
あの頃の自分にとっては、Sさんとの関係は終わってしまうのは、あまりにも早い関係だった。
駅に向かう坂道で、ただ一瞬のSさんとの逢瀬。
その数秒の時間が、新しい高校生活への不安をどれだけ和らげてくれただろうか。
新しいなにかが始まるのだと思った。
――続く。
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