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文学鑑賞・夏目漱石『虞美人草』


 前回、憤死しかけた話をしたわけですが、フィクションの世界において憤死したキャラといえば、やはり夏目漱石『虞美人草』の藤尾でしょう。いや、これネタバレちゃうんかいと思いますが、漱石作品ではやや文章が難解で現代では読まれてる方も少なそうなので、逆にぶっ飛んだ内容を紹介する事で今作に興味を持っていただけるのではないだろうか。青空文庫等で、ネット上でタダで読めますしね! 藤尾は、『虞美人草』の一応の主人公である甲野欽吾の義妹であり、発表された時代を考えるとなかなか挑戦的な子悪魔タイプのキャラとなっております。いうて、漱石作品の女性キャラクターは男を翻弄するタイプのキャラクターが多い気がしますが、『三四郎』の美穪子しかり『こころ』のお嬢さんも本人はおっとりしているが、男2人を死に追いやるというとんでもない女性だし。これは漱石の奥さんの鏡子さんが今でいうメンヘラ的な女性で、なんか衝動的に池だか川に飛び込んだエピソードとかもあった気がする事と関係があるのでしょうか。

 さて、藤尾の話に戻ると、2章で彼女が初登場するときの描写がこれである。



 紅(くれない)を弥生(やよい)に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んずる紫(むらさき)の濃き一点を、天地(あめつち)の眠れるなかに、鮮(あざやか)に滴(したた)らしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶(あでやか)に眺(ながめ)しむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢(びん)の上には、玉虫貝(たまむしかい)を冴々(さえさえ)と菫(すみれ)に刻んで、細き金脚(きんあし)にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸(ひとみ)のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴(はんてき)のひろがりに、一瞬の短かきを偸(ぬす)んで、疾風の威いを作なすは、春にいて春を制する深き眼(まなこ)である。この瞳(ひとみ)を遡(さかのぼ)って、魔力の境(きょう)を窮(きわむる)とき、桃源(とうげん)に骨を白うして、再び塵寰(じんかん)に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊(もこ)たる夢の大いなるうちに、燦(さん)たる一点の妖星(ようせい)が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉(まゆ)近く逼(せま)るのである。女は紫色の着物を着ている。



 意味わかりますか?わたしも最初に読んだ時は、漱石は狂ったのかと思いました。漢文調で、藤尾がいかに妖艶な魅力を持つ女性であるかを書いているのですが、職業作家第1作目の新聞連載作品で、こんな難解な表現を多用するのは、さすがに無茶だったのか、この絢爛豪華な漢文風文体は次回作以降なりを潜めていくことになるのでした。そらそうだろ。

 で、『虞美人草』の物語は、この妖艶な美女藤尾を中心に展開していく。藤尾には、ボーイフレンドの小野さんがいる。小野さんは生まれは貧しかったものの、井上狐堂という著名な学者に師事し、彼の援助の元で今は博士号を取得しようというほどの学界のホープなのである。第2章はシェイクスピア作のクレオパトラの物語を読む藤尾に対して、インテリ文学者で詩人でもある小野さんがああやこうやと講釈を垂れながらも、すっかり藤尾の魅力に参ってしまう姿が、仔細に渡る心理描写を交えて書かれていて、この辺は現代における『かぐや様は告られたい』のようで、興味深い。

 この作品って、登場人物紹介をした方が解説もわかりやすいと思うんで、ちょっと紹介します。ネットで『虞美人草・相関図』って調べて出てくる画像も参考にするとよいですよ!

甲野さんー主人公。隠キャ。資産家の息子。哲学者。神経衰弱で病んでた。高等遊民(ニート)。両親はなく、後妻の謎の女とその娘の藤尾と一緒に住んでいる。
藤尾ーヒロイン。事実上の主人公。甲野さんの義理の妹。すごい美人だが、結婚適齢期も過ぎたため、甲野さんと宗近くんのどっちにしようか天秤に掛けている。
小野さんーもうひとりの主人公。ギャルゲーの主人公的ポジで、この作品は彼の恋愛を中心に展開する。貧しい生まれだったが、学者の井上に師事し、今では若手有力な学者になった。金持ちの娘でしかもすごい美人の藤尾と結婚したいが、師匠の娘であり5年来の許嫁であった小夜子が自分を追いかけてきて、どっちを選ぶか悩んでいる。
宗近くんー甲野さんの親友で従兄弟でもある陽キャでガチムチだが、脳筋ではなく勉強もでき外交官を目指すほど。甲野さんの父親は彼を藤尾の結婚相手に指名していた。一癖ある登場キャラクターの中では良心的な癒し系ポジション。物語のラストは彼の言葉で締められるのだが、これが名言。
糸子ー宗近くんの妹。甲野さんが好きで、兄もその恋を応援している。
井上狐堂ー京都の偉い学者。小野さんを育てて、彼の学費も援助した。
小夜子ー井上狐堂の娘。小野さんの許嫁。小野さんを追っかけて京都から上京。
謎の女ーって、なんやねんというキャラクター名だが、藤尾の母親の事である。作中でも「謎の女」表記で登場する。甲野さん父の後妻なのだが、遺産をひとりじめしたいため、甲野さんを追い出したい。そのため藤尾と小野さんを結ばせようと企んでいる。物語の黒幕ポジション。


 はい、私なりの登場人物紹介をしましたので、作品内容をあれこれ批評するよりは、皆さんにもぜひ読んでいただきたい。基本は、小野さんが金持ちの美人娘藤尾と幼馴染の小夜子とどっち選ぶの?というわかりやすい話です。なお、この作品の次回作である『坑夫』では、恋愛問題でやらかした主人公が、当時のブラック肉体労働にチャレンジするルポルタージュ的作品なんですが、この恋愛問題ってのは『虞美人草』の内容を示しています。直接的な設定は引き継がないものの、漱石はテーマ的に前作を意識して話作りをするものが多いですよね。

 それでは、『憤死』って綿矢りさの小説にもあった気がするけど、積んだままだったなあと思いつつ、今日はこんなところで!

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