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文学鑑賞・電車に轢かれた男、原民喜の『鎮魂歌』



 都会では自殺する若者が増えている


 と、井上陽水の『傘がない』を歌いたくなるくらい人身事故が多い今日この頃ですが、皆さんお元気ですかぁ? 私は死にたいです。発作的に電車に飛び込みたくなるときも多々ありますが、痛いのは好きじゃないのでなんとか我慢しています。不甲斐無い自分に対し、自己嫌悪に陥る毎日です。せめて、せめて、自分の生きていた意味はあったんだ!と心底思えるような圧倒的な作品を生み出してから死にたいものです。

 で、今日の本題になるのですが、鉄道事故死で亡くなった作家に原民喜という人がいます。一般的には、原爆文学の作家として知られていて、広島での被曝体験を元に書かれた『夏の花』『心願の国』が有名です。戦争、最愛の妻の死、原爆。常に死と隣り合わせにいる環境によって書かれたその作品群は、今読んでも切迫する彼の心のあり様が伝わってきて、胸に来るものがあります。私は『鎮魂歌』という作品が好きで、原民喜でしか書けなかっただろうあまりにも美しい文章に心惹かれるのです。

 以下に、私の好きな場面を引用します。


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……救いはない。
 僕は突離された人間だ。還かえるところを失った人間だ。突離された人間だ。還るところを失った人間に救いはない。
 では、僕はこれで全部終ったのか。僕のなかにはもう何もないのか。僕は回転しなくてもいいのか。僕は存在しなくてもいいのか。違う。それも違う。僕は僕に飛びついても云う。
 ……僕にはある。
 僕にはある。僕にはある。僕にはまだ嘆きがあるのだ。僕にはある。僕にはある。僕には一つの嘆きがある。僕にはある。僕にはある。僕には無数の嘆きがある。
 一つの嘆きは無数の嘆きと緒びつく。無数の嘆きは一つの嘆きと鳴りひびく。僕は僕に鳴りひびく。鳴りひびく。鳴りひびく。嘆きは僕と結びつく。僕は結びつく。僕は無数と結びつく。鳴りひびく。無数の嘆きは鳴りひびく。鳴りひびく。一つの嘆きは鳴りひびく。鳴りひびく。一つの嘆きは無数のように。結びつく、一つの嘆きは無数のように。一つのように、無数のように。鳴りひびく。結びつく。嘆きは嘆きに鳴りひびく。嘆きのかなた、嘆きのかなた、嘆きのかなたまで、鳴りひびき、結びつき、一つのように、無数のように……。
 一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ……。戻って来た、戻って来た、僕の歌ごえが僕にまた戻って来た。これは僕の錯乱だろうか。これは僕の無限回転だろうか。だが、戻って来るようだ、戻ってくるようだ。何かが今しきりに戻って来るようだ。僕のなかに僕のすべてが。……僕はだんだん爽やかに人心地がついてくるようだ。僕が生活している場がどうやらわかってくるようだ。僕は群衆のなかをさまよい歩いてばかりいるのではないようだ。僕は頭のなかをうろつき歩いてばかりいるのでもないようだ。久しい以前から僕は踏みはずした、ふらふらの宇宙にばかりいるのでもないようだ。久しい以前から、既に久しい以前から鎮魂歌を書こうと思っているようなのだ。鎮魂歌を、鎮魂歌を、僕のなかに戻ってくる鎮魂歌を……。

(中略)

 僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失った僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。
 明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀さえずるだろう。地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもってそこを通りすぎるだろう。


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引用終わり。

 私からグダグダと解説は致しません。とりわけ私の好きな部分を引用して紹介しましたが、この『鎮魂歌』は青空文庫などで無料で読めるので、是非皆さまも読んでみてください。

 それから、自死に至るまでに原民喜は年少の友人である遠藤周作(『沈黙』で知られる作家)や亡き妻を想わせる祖田祐子と親交を深めたのだが、彼にはもうこの世界で生きる力は残されていなかった。

 友人らに、遺書や遺稿を残し、彼は国鉄中央線の吉祥寺駅ー西荻窪駅の線路に身を横たえ鉄道自殺したのだった。1951年3月13日、午後11時31分の事だった。




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 ここは僕のよく通る踏切なのだが、僕はよくここで遮断機が下りて、しばらく待たされるのだ。電車は西荻窪の方から現れたり、吉祥寺駅の方からやつて来る。電車が近づいて来るにしたがつて、ここの軌道は上下にはつきりと揺れ動いてゐるのだ。しかし、電車はガーツと全速力でここを通り越す。僕はあの速度に何か胸のすくやうな気持がするのだ。全速力でこの人生を横切つてゆける人を僕は羨んでゐるのかもしれない。だが、僕の眼には、もつと悄然とこの線路に眼をとめてゐる人たちの姿が浮んでくる。人の世の生活に破れて、あがいてももがいても、もうどうにもならない場に突落されてゐる人の影が、いつもこの線路のほとりを彷徨つてゐるやうにおもへるのだ。だが、さういふことを思ひ耽けりながら、この踏切で立ちどまつてゐる僕は、……僕の影もいつとはなしにこの線路のまはりを彷徨つてゐるのではないか。

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遺稿のひとつである『心願の国』より引用

なお、『心願の国』の中にU子として登場する祖田祐子に、彼は以下のような遺書を残していた。

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 祐子さま
 とうとう僕は雲雀になつて消えて行きます 僕は消えてしまひますが あなたはいつまでも お元気で生きて行つて下さい
 この僕の荒凉とした人生の晩年に あなたのやうな美しい優しいひとと知りあひになれたことは奇蹟のやうでした
 あなたとご一緒にすごした時間はほんとに懐しく清らかな素晴らしい時間でした
 あなたにはまだまだ娯しいことが一ぱいやつて来るでせう いつも美しく元気で立派に生きてゐて下さい
 あなたを祝福する心で一杯のまま お別れ致します
 お母さんにもよろしくお伝へ下さい

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 自由になった雲雀は、どこに飛んでいったのだろうか。解き放たれた美しい作品群は、今でも私たちのこころになにかを与えつづけているのです。

 私もこのような素晴らしい作品をいつか書きたいと思いながら、どうにかこの世に踏み留まっているのです。

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