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教育は嫌いだけど、勉強は好きな話。

コーチングの仕事をさせてもらっているときによく言われること。
『ほかの人はこんなに優しく教えてくれなかった』
その理由は何かを考えていた。現象には必ず理由がある。

この現象は私のスタンスが『勉強の仕方や勉強で得たコツ』をシェアするのが得意だからだろうと思う。テスト前にノートをまとめたり、毎日自主的に課題を見つけてノートに書いて提出することをしていた。

もちろん成績はいいので先生からは優遇されていた。課題も出すので勉強熱心だと思われていたのかもしれない。
でも、私が好きなのは勉強の内容であって先生のいう事を聞く気はさらさらなかった。体調悪いときは保健室でサボってたし、授業は興味がある時期だけ前で受けたり、どうでもいいときは後ろの席で爆睡していた。

大学も短大を受けた。専門学校でもよかったのだが、私が知りたい知識が得れそうな場所がなかったので短大になった。当時、食事が苦手だった私は食べ物がそもそも人間の体にどういう影響を与えているのかを知りたかった。
栄養士という免許をとるのを建前にして学校に行った。(目的地は似てるので建前でもないけど)見栄えのいい4大を受けなかったのは、2年で学習できるものを4年かけて勉強するのが嫌だったからだ。時間の無駄すぎる。

2年で国家資格を取って、実習に行ったけれど『栄養士』というのはあくまで職業であって向き不向きがあることがわかった。
細かい計算をずっとできる人でないとあの職業は務まらないと思う。調理場のおばさまたちに指示だせる人間力も必要かもしれない。
残念ながら私にはどちらも存在しない。

今となってはスピリチュアルを学び始めて、肉体と精神の関係性などを調べているが、それももともとはいわゆる健康的な生活を送っても体調がいっこうによくならないことが多々あったからだ。

つまり、行動の源は『知識を得ること』にあって『考え方を強制するための教育システム』は私には不要ということになる。
ここがごちゃごちゃになったので、無駄に優等生扱いされたりしていたような気がする。私には純度の高い学習意欲しかないし、質の悪い教育でこんな面白い勉強という遊びができないのが悲しいといつも思っている。
この世界のほとんどのことの答えが本に載っているし、それが叶わない場合は最定義などして知識の整理整頓をすればいいからだ。

天才という人はこの世界に存在しない。勉強が好きになるタイミングがあったか、嫌いになるタイミングがなかったかのどちらかである。

そう考えると、私は教育システムに自分が殺されてると感じる場面が小さい頃から多かったので苦手になってしまったのだろう。それが得意な人はどこの会社でも出世するだろうが、尽くしまくった挙句に人が人の形を成さないようになることも多々ある。どちらがいいかは一目瞭然だ。

わたしは教育が嫌いで勉強は好きなので、教育者にとっては一番相手にしたくない相手だろうと思う。教育者は『知識で人々をコントロールすること』が目的だから、それが叶わない場合はこちらがいかに悪者であるかを流布するという非情な行為に出てしまうこともあるのだろう。とんだ災難だ。

日本が出る杭打たれまくるのはそういった背景があると思う。逆に言えばしっかり教育システムが機能している社会だともいえる。

ここからは抽象度の高い話をついでに書いていこうと思う。信じるか信じないかはあなた次第。これは教育システムでは到達できない情報である。

世界の各国、太陽系から影響を受けているという話がある。
日本は水星なので『水』を扱う。日本が綺麗なのは山々が連なり湧き水や温泉が湧き出ているからだ。海に囲まれているし水の恩恵を多大に受けている。水を取り扱う代わりに『病気』というものもセットで備え付けてある。
日本は異常なほど健康に対して執着している。死ぬことよりも病気になることのほうが怖い人が多いのではないだろうか。

病気というのは体の機能としては悪いものを排泄していたり、もしくは自分を見つめるタイミングとして設けられていたりする。逃げ腰の時は病気になりやすい。恋の病とはよくいうもので、何かに恋をしているときも体調をくずしやすくなる。自分から逃避している状態がつまり病気だ。
日本は美しい水の恩恵を受ける代わりに病気にかかりやすい土地の意思がある。先ほど話した『教育システム』が上手く稼働してしまう理由も、日本人はすぐに自分を忘れて何かに没頭するというのが大好きだからだ。

ここから導き出させる日本人の特徴をまとめてみる。
・綺麗好きで見た目を気にする
・教育が行き届いているが勉強が嫌い
・自分を忘れることが大好き

といった感じになる。だいぶ特徴を掴んでいると思う。

超悪くいうと『中身がなくて頭の悪い他責思考』が日本人の最たる種類だ。
流行りがすき、わかりやすいのがすき、人のせいにするのが好き。
といった特徴を持っている。

私のnoteを読んでいる人は変わった人だろうと思う。
質が高いものがすき、難解だとわくわくして、自己責任の意識がある
という感じなので日本人とはまるで出会えない。話が合わない。

勉強というものが本来全てのベースになっているにも関わらず
真逆をひた走る日本に私が生まれたことになにか意味があるのだろうか。
ということが今後の課題である。


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