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星に願いを、月に祈りを、人は寂しい生き物だから。

夜の散歩をしていた。寒いので星がやたらと目についた。遠くで光が動く。
『あ、飛行機ってあんな高いとこ飛んでるのか、すげぇ。』となぜか飛行機に『おーい!ご安全に~!』と手を振った。田舎の暗闇が私をいい人にする。流れ星でも見れたらなぁ。と思っていた10分後に、反対側の空に流れ星が見えた。『え!?えっと‥願い事叶いますように、願い事叶いますように、願い事叶いますように。』とわけのわからない願い事をしていた。

読書は散歩だ。

遊べる本屋

と、昔働いていた本屋の社長が言っていた。私にとっての読書とはなんだろう。先日行った高志の国文会館の庭に、赤くなった葉が沢山落ちていた。その間を縫うように石の道を歩く。木の上から落ちてくる、たくさんの言の葉の間を歩くために小説家は道を作る。その庭はぐるりと回って元の場所に戻ってくる。何も変わっていないように感じる。言葉という目に見えないものの中を歩いて帰ってくる間にはこんなにたくさんの葉っぱがあったのかと驚いたり、似たような葉っぱもあるなと共感したりする。ニュートンが昔、林檎が落ちて重力を発見した、というのは文学的に解釈すると『宗教には人を惹きつける重さがある』という事なんだろうかと想いを馳せる。科学者はこの世界より人間の立場を確立させるように、小説家は言葉の合間を縫って人を歩かせて前に進ませてくれる。私の中で読書は簡単にできる輪廻転生だ。

たくさんの木の中を歩ける
文字を綴るのは道を作ること

もしも、あなたが歩けなくなったときはきっと寂しさを感じているときだと思う。そんな寂しさを感じたとしても大丈夫。小説家は本という形であなたを前に歩かせる。本は人をなぐさめる。みんなXにある文字の羅列を追いかけてしまうのは寂しいからだ。私はどうにかひとりくらい歩ける道を舗装できないものかと毎日苦悩する。それは自分自身が歩けるように。そして適当な感じで散歩して楽しめるように。脳にある大量の文字を掻い潜っている。


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surume
最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!