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書籍:『美術/中間子:小池一子の現場』、オルタナティブであること

先日15日で、新型コロナウイルスの感染者が国内で確認されてからちょうど1年が経ったという。当初、新聞記事でも扱いが小さかった。たしか、同じ時期にアメリカで別のインフルエンザが猛威をふるっていて、わたしはしばらくそれとコロナを混同していた。そして、クルーズ船での感染があった。聞こえは悪いがそれまでは「リアリティーショー」のように眺めていたが、その後、あっという間に無関係ではなくなった。今年も何が起こるか分からない。ひとりにできることはまず、じっとしていることだ。今年も本を読み続けよう。

さて、本日は書籍。

■ 『美術/中間子:小池一子の現場』
作 者 小池一子
発行所 平凡社
発 行 2020年 
状 態 レイアウトも楽しんで読んだ

一年前までは金曜日の夕方、美術館の夜間開館に行くのが楽しみだったが、このコロナ禍でめっきり足が遠のいている。いま、美術館は開いてはいるのだが、夜間開館はどこも中止になっているし、昼間に行けるときがあったとしても、来館するためには予約をしなくてはならず、気軽に行ける感じが失われている。わたしとしては、ふらっと行けるのが大切だったのだ。

こうなると毎週チェックしていた展覧会情報にも、「どうせ行けないから」と疎くなり、昨年は行くべきだった展覧会をいくつかスルーしてしまった。そのひとつが、群馬近代美術館の「佐賀町エキジビット・スペース:1983-2000 現代美術の定点観測」だ。

この展覧会は、タイトルにあるように、江東区の佐賀町にあった貸し展示スペースのあゆみを紹介したもの。や、たんに「貸し展示スペース」といってしまうとミもフタもない。ここは、美術館とも商業画廊とも異なる作品発表の場=「オルタナティブスペース」だった。

立ち上げたのは、小池一子。1970年代、西武の「セゾン文化」を作り上げたひとりで、パルコの広告のディレクターをつとめつつ、ファッション関連の展覧会を手掛けた。そういった大きな舞台での仕事の傍ら、小池は佐賀町エキジビット・スペースという小さな舞台でも活動を展開したのだ。

この展覧会について、わたしは都築響一の魅力的なレビュー(注)で知ったが、こんなユニークな活動をした人がいたなんてそれまで知らなかった。このところ「文化・芸術で『オルタナティブ』であることはどういうことだろう、どうしたら実践できるだろう」とぼんやり考えていたが、その観点からいってもなんと面白そうな展覧会だったではないか……観に行けなかったことを悔やんだ。そう思ってたところ、小池一子の活動をまとめた本書が刊行されていたので、さっそく手に取った。

この本は「著者・小池一子」となっているが、彼女のキャリアを追う本文は別のライターが書いている。その間に、同時代に小池が雑誌などに書いた短い記事が挟まれる。この構成が分かるまですこし混乱したが、こうすることによって、多面的な小池の仕事が分かるような仕組みになっている。

本書で、佐賀町エキジビット・スペースを紹介されている章を読んでみる。1980年代当時、日本でアーティストを支援する場をつくろうとすると、国に申請して公益法人を設立することがまず考えられたが、その場合、億単位の資金が必要なうえ、審査にも膨大な時間がかかり、設立のハードルが高った。そこで、欧米の、自治体や有識者、非営利団体が運営する「オルタナティブスペース」の在り方を目指したのだという。

そして1983年、日本ではまだなじみのなかった「オルタナティブスペース」としてオープンし、それからジャンルに囚われないアーティストや、まだ評価の定まっていない新しいアーティストを紹介、サイトスペシフィックな作品を展示し、佐賀町エキジビット・スペースは独特な場所になっていった。

わたしが気になったのは、このスペースをどう運営していたのか、ということだ。本書によると、当初は運営資金は小池の持ち出しだったという。ただ、「やはり活動を続けるには経済的に苦しい状況で、頼りにしたい公的な支援や民間による基金も望む内容」ではなかったという。その結果、17年間でこのスペースは止む無く閉じることになる。

それでも17年間。すごいことである。文化芸術の分野で持続的に活動するとなると、それは出資サイドと企画サイドのすり合わせの連続だ。出資サイドが「金は出すが口は出さん」となれば良いが、現実はそうもいかない。これはいつだってある対立構造なのだが、どこも予算が厳しくなっているいま、企画サイドの発言力が下がっている雰囲気がある……と、後ろ向きになってしまうが、小池粘り強い活動を知ると、そんな気分に浸っている場合じゃないなとなる。小池は、佐賀町エキジビット・スペースが閉まる際、以下のような言葉を残している。

「佐賀町エキジビット・スペース」というのは、美術現場を作るという運動でもありました。運動は必ず風化していきます。そして活動も惰性化していきます。そうなる前に次の行動へ。アートには『永久革命』という言葉がふさわしい。(本書198頁)

オルタナティブであること、それは時代のなかで「定まったもの」や「大きな流れ」とはまた別なやり方を常に示していくことだ。ゆえに定石はない。本書を手に取ったとき、もしかしたら参考にできる良い方法があるのかも、それはムシが良すぎた。真摯に試行錯誤を続ける小池の活動を見せつけられた。そうだよな、そうしてやっていかなきゃ、ちゃんと「オルタナティブ」じゃないよな。よし。

(注)「ROADSIDE DIARIES 移動締切日24」『scripta』 winter 2021。

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