日記37 好きな人が死んだ時のこと覚えてるけど、思い出せない
自殺したいと思ったことがある私は、自殺したいと思ったことが無い人よりも、自殺してしまった人の気持ちがわかるかというと、きっとそんなことはなくて、毎日、いろんな人がいろんな気持ちで死にたくなっているんだと思う。一概には語れない。
ただ、一つだけ、死にたい人たちに共通していることを無理矢理見出だすとすれば、きっとみんな「寂しい」のだと思う。
家族がいても、友人がいても、恋人がいても、拭えない寂しさというものがある。
寂しさというものには孤独、悲哀、焦燥、憧憬、羞恥、自嘲、いろんな感情が含まれていて、とても大きい宇宙のブラックホールのようで、夢とか希望とかキラキラした大好きなものが全てそこに吸い込まれてしまって、最終的には宿主までも吸い込んで、その時、人は死ぬのだと思う。首を括り、錠剤を喉に流し込み、飛び出してはいけないところへ飛び出すのだと思う。
うさぎは寂しくても死なないが、人間は寂しいと死んでしまうのだろう。
私があの時抱えた途方もない寂しさよりも、もっと大きな寂しさを貴方が感じていたのに、私には何もできなかったことを、私は恥じ、悔やんでいる。
貴方が死んでしまったことを未だに、往生際悪く、受け入れずにいる。
でもそれは私のエゴで、自己愛だ。
優しい貴方が人々に与えた痛みを、私は忘れずに、持ち続けて、傷が化膿しても、捨てないようにしながら、でも、自分が幸せになることを諦めてはいけない、と最近思う。
ちゃんと「寂しい」と、誰かに言えるようになりたいと、感じる。
自殺してしまった大好きな人のことを急に思い出して、感傷的になってしまいました。
「ポエム、きもwwww」って馬鹿にして、笑い飛ばしていいよ。
詩(ポエム)は、元来、気持ち悪くて恥ずかしいものだ。
でも、書いた時、読んだ時に「気持ち悪くて恥ずかしい」とは違う感情を感じた瞬間に、人生を色づかせるものだと思う。
死にたくなったら、詩を書くと良いと思う。
おやすみなさい。