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【敵は〇〇】「映画クレヨンしんちゃん、ヘンダーランドの大冒険」を無駄に深読みしてみた
※映画「クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険」の若干のネタバレを含みます!ネタバレが嫌な方はすげーなすごいですしてください。
こんにちは、なにするため、すらぷるためです。
国民的アニメと言えばどのタイトルが思い浮かぶでしょうか?サザエさん?ドラえもん?名探偵コナン・・・?
いやいや、やっぱクレヨンしんちゃんでしょ!
クレヨンしんちゃんと言えば、子供向けの下ネタを含めたギャグ、野原家の絆、家族愛などがよく話題になりますが
映画シリーズとなるとそれだけに留まらず、当時の時代の空気が色濃〜く出ているのが多いです。
それで先日クレしん映画を見直してみたら、家族の枠のテーマを超えた「社会派アニメ」だったということに気がつきました。
ということで今回はクレしん映画シリーズの中でも初期の傑作と言われており、自分も1番好きな「ヘンダーランドの大冒険」を無駄に深読みしたいと思います。(なぜ「無駄」なのかは後述します)
「映画クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険」は、90年代後半の日本の空気が閉じ込められていて、その不気味さが最高なんですよね。
映画に出てくるヘンダーランドとは「不気味な遊園地」または「嘘にまみれた虚構の存在」として出てきます。園のキャッチコピーの「近頃、何か変だ」も背中がゾワゾワしてきますね。
何故映画の舞台が遊園地なのかというと、おそらく日本のバブル経済という「夢の国の遊園地」が崩壊したからで、96年公開で、現実の日本では暗い終末思想真っ盛り。
その「夢の国の遊園地(バブル)」も弾けて表層では楽しげに見えていても深層では不安が蔓延していた状況だったのだと思います。その感じをヘンダーランドと重ねている、ということではないかなと思いました。なのでその時代の人々の気分としては「近頃、なんか変だ」と思わずにはいられないですね。このキャッチコピーが本当に的確すぎる!
そんなわけでクレしん映画大好きな自分ですが、ふんだんにギャグが込められてるアニメに宿る社会的な背景まで観ると「ギャグアニメのクレヨンしんちゃん」としては楽しめなくなってしまいます。
その意味で裏に込められたテーマみたいなものを「無駄に深読みor勘違い」すると映画が滅茶苦茶つまらなくなることもあるのですが、子供向けではない当時のシリアスな部分も確かに感じられて、その部分も面白いと思ったので、特に、凄いと思った箇所を早速書いていきたいと思います。
ヘンダーランドのテーマ=大きな物語vsニヒリズム(虚無主義)
映画の冒頭で登場し、悪のドラゴンと戦うゴーマン王子。王子は戦いに勝利し、姫は助かるはずでしたが、最後は本編の悪側のボス「マカオとジョマ」(二人組のオカマの魔女)の罠に嵌り敗北してしまいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1676990601348-Acd8IdOsIE.jpg?width=1200)
そして次のシーン、しんのすけの通う幼稚園では「王子様が悪者を倒して姫を助けました、めでたしめでたし」というお話に、園児たちが「そんなふうに上手くいくわけがない」と総ツッコミを入れます。
ゲームでいうと「マリオがクッパを倒しピーチ姫を救えばハッピーエンドになる」のような、よくある勧善懲悪な物語は「大きな物語」と言われたりしますが、映画の冒頭ではこの大きな物語を否定するところから始まります。
ここで、本編の悪側の立場がニヒリズム(虚無主義)ということが解ります。ヘンダーランドはニヒリズムの塊で出来ていたんですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニヒリズム
本当でも嘘でもどっちでもいいでしょ、大差ないことよ
この、何に対しても虚無を感じ斜めに構えて本気に「熱く」なることができない、そしてその虚無の部分を誤魔化すように「常にふざけた態度をとってしまう」というようなニヒリズムの「冷めた心」が、冷たい雪だるま「ス・ノーマン・パー」というキャラクターになっているのだと思います
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よく話題になる、ス・ノーマンがしんのすけと野原家に「侵入」してくる展開はとてもリアルで怖いシーンです。1番怖いポイントは、みさえやひろしが、家族のしんのすけを信用せずにス・ノーマンを信用してしまう点です。つまり「外からの力(ス・ノーマン)に家族の仲間意識や絆が負ける」ということですね。
少し話が逸れますが、家族の絆を破壊する「外からの力」というのは現実で言うと例えば「法律」や「借金」、「宗教のマインドコントロール」「マルチ商法の勧誘」だったりします。そういうのを利用して、実際このパターンと同様の凶悪事件が映画公開の前後で起きていますね。(現在も統一教会とかヤバいけど)有名なものだとオウム真理教事件でしょうか、、、?
ちなみに冷めたニヒリズムと対照的な「熱いハート」を持っていたゴーマン王子、おそらくゴーマン→傲慢だと思いますが、何故「傲慢」の名が付いているのか??
それは「これさえすればハッピーエンドだ」といった勧善懲悪的な一つの価値観に向かっていく大きな物語は、見方を変えれば「一つの価値を押し付けている点で傲慢」ということからゴーマン王子という名前になっているのではないか?なんて思いました。
ヘンダーランドが湖に浮いている理由
物語の舞台となるヘンダーランドは群馬県に作られたテーマパークですが、なんと言っても「湖の上に作られている」というのが重要な点というか、この設定がヤバすぎて、これはいわゆる皮肉なんですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1677043058401-0y0bV59C7P.png?width=1200)
それを確信させるシーンが、しんのすけが通う双葉幼稚園の遠足として、先生含め皆でヘンダーランドに行く場面です。幼稚園のバラ組担任の松坂先生がヘンダーランドに住む狡賢そうな(?)猿達にナンパされるシーンがあります。
ナンパ猿達は黄色い帽子と黄色いオーバーオールを着ていて
機関車を操縦しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1677039977976-7AT0029J7H.jpg?width=1200)
この猿達が来ている服の色で確信してしまいました。
つまり、湖の上にあるテーマパークとは「島国」という意味であり、そこに住んでいる「黄色い服を着た猿」というのはまさにこの猿達は「日本人(黄色い猿)」という意味で、そうなるとヘンダーランドというのは当時(90年代)の日本を表しているんですね。
なので、日本全体がヘンダーランドのような「虚構のテーマパーク」のようになっていた、というメッセージな訳で、これは子供向けのアニメとは思えないくらいエグいとこついてます(いい意味で)
そして、何故90年代の日本がヘンダーランド化していたのかというと、これは80年代から始まる「記号だけを消費する価値観の流れ」が関わってくると思うのですが、話が長くなりすぎるので割愛します。
先ほど述べたニヒリズムから理由を妄想してみると、ス・ノーマン・パーのように、何事も本気になれずに全てを斜めに構えてしまうと、自分の周りのものがだんだん空虚になってしまうのじゃないかと。志みたいなものや「熱さ」を失うということは、例えば会話する時でも本音を言わず建前「だけ」を言うようになるんじゃないかと。
こうなってくると世界がどんどん表面だけを繕っているような「実が無く記号だけのハリボテの世界」人間自身も表面だけの「キャラクター」のような存在になってしまい、遊園地のような作り物の世界=ヘンダーランドのようになっていくのではないかと思いました。
それとは対照的に野原家や、トランプで召喚されたアクション仮面、カンタムロボ、ぶりぶりざえもん(奴は本編ではほとんどギャグ要因)が、ある種の「熱さ」を持ち、身体を動かしていた、というのが良いですよね。終盤のダンスバトルでも、上品で冷めたようなバレエに対して熱い阿波踊り(心で踊ればいいんだゾ!)というしんのすけのセリフもニヒリズムに対抗する情熱、という図式なんだと思いました。
そしてラストの城の頂上をめぐる爆笑の追いかけっこは、敵側のニヒリズム的なものも消失し、全員「熱い」追いかけっこなんですね。空虚なニヒリズムには最終的には「熱い心が勝つ!」という名シーンですね。
このシーンは僕はおそらく100回以上は観ています、いつ観ても最高です。
時には「熱さ」大事!
おわり
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