気が上る
頭が緊張することを、日本のボディーワーク業界では「気が上る」という。
これは東洋的な理想の身体像とは、真逆だ。
「上虚下実」が東洋人には理想とされるボディバランス。
気が上がると知性の機能にブレーキがかからず、えんえんえと取り越し苦労をしたり、メンタル面に脆弱性が生まれやすい。知性とはシミュレーション機能のことだが、不要な妄想を止めることができなくなる。
武士や禅僧がこれを嫌っていたのも、考えすぎは体に良くないから。
だが気が上がって大丈夫な民族も、じつはいる。
インド人がそう。インドの特にバラモンクラス。
ああいう人たちは、昔から(それこそ3千年前から)複雑なサンスクリット語を駆使したりして、頭に気が上っている状態に耐性がある人々が、社会的に選別されてきた。
この人たちは気が上がったまま瞑想をしても、問題が出ないことが多い。
体質なので。
でも同じことを日本人がいきなり真似しても、身体的な耐性がない人が多い。禅病とかクンダリーニ症候群に陥りやすい。
私の瞑想教室やタントウ功教室では、まず気を下ろすことから始める。
日本の公務員業務や官僚の仕事も、気が上がった状態をずっと維持し続ける仕事だ。ITワーカーやAIエンジニアもそう。
それにはもともと身体的な適性があって、外れている人が無理にやると健康を害す。
野口整体だと、頭脳活動にもっとも相性がいい体癖がある。
上下型1種。このタイプの人は頭をいくら使ってもほかの体癖より疲れにくい。頭の回転それ自体も異様に早い。
これは先天的な体質なので、知性というのはほぼ遺伝によって上限が決まっている。学校で決して教えない真実。
日本人にとって瞑想は、気を下ろすことによってはじめて成立する。
哲学者の永井均が寝禅(寝たまま瞑想をやるやり方)をやって健康に問題が出なかったと報告している。
もともと気が上がっても大丈夫な上下型1種の体質に加えて、かかとに集中するタイプの瞑想をやっていたためだろう。
あれは頭の緊張をゆるめる効果がある。
みんな瞑想で失敗するのは、気が下せないからなのだった。