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サイコパスさんから学んだ闇の存在理由とは!?
サイコパスさんと出会ってこの世には愛や光の届かない場所があると気付かされた翌日、私はソファーでずっと寝て過ごしたのですが、前から気になっていたエルピスというドラマをなんとなく再生しました。
すると、1話でこんなセリフが出てきたんです。
「闇はそれ相応の理由があって、そこに存在してんだよ!!生半可な気持ちでお前ごときが手出ししていいもんじゃねーんだよ!!」と!!
このセリフ聞いたときの衝撃は相当なものでした。タイミング良すぎて導かれてるというか、メッセージだとしか思えなかったですね。
そして、これまで闇と光についての考察を重ねてきましたが、ついに1つの答えにたどり着きました。
光も闇も、それぞれ単体だけでは意味がないというか、光だけでも闇だけでも不完全なんです。
光と闇はセットで完全体です。
光という概念は闇があるから存在しているので、
闇があるから光が存在できるんです。
どっちが悪くてどっちが良いとかもありません。
闇がなくなれば、光もなくなるのです。
私達はもともと純粋な光の意識でした。
私が以前に幽体離脱で体験したのは、純粋な幸福感しか存在していない光の世界でした。
だけど、光だけの世界にずっといると光のことが分からなくなってくるんです。
だから光は自分をよく理解するために真反対の性質の闇を自分自身で必要としたんです。
あの世からすれば地球は、あえて闇を体験するための魂のテーマパークのようなものだとおもいます。
もしも闇がこの世に存在しなくて1000年間、争いも競争も奪い合いも、愚痴も文句も病気も老いも死ぬこともない純粋に平和な地球が続いたらどうなるでしょう?
それが当たり前になって、なんの有り難みも慈しみも存在しない世界に必ずなります。
ただ、淡々と無があり続けるでしょう。
愛は存在しているのに、愛が一体どんなものか分からない世界になる訳です。
感謝や愛(光)には、どうしても当たり前になってしまうという性質があります。(明るさにも暗さにも人は順応できる)
つまり、私たちの周りに常に大量に当たり前に存在しているのが光です。でも、それを感じたり知るためには闇が絶対に必要なのです。
昼間に星の光を見ることができないのとおなじで、闇がなければ光はあっても分からないのです。
そして、どんなに小さな社会にも大きな社会にも悪役は存在します。悪役を魂に担って生まれてきてくれている人がいるから、世界は愛に満ちているんです。
つまり!!
先天的サイコパスさんは、闇役担当として周りの気付きのために生まれてきてくれているわけです。(先天的サイコパスは親の責任とかでもない。)
だから、サイコパスさんに生きている意味は必要ありません。(本人もそう言ってましたが。)
でも、サイコパスさんに関わって何かしら過剰に反応する人の方に気付き(意味)がある訳です。
そして、闇は光に変えなくてもいいんです。
闇が自分自身から光に転じたい!と思って覚悟が決まった時、変わるのはいいんです。
でも、誰かが変える必要は全くない。
例えば、サイコパスさんは愛を知らないことに全く困っていませんでした。変わらなければならないとも変わりたいとも思っておらず、日々に満足して過ごされているわけです。
それをもし、闇を放っておけなくて光に変えたいと無理に関わればどうなるか分かりますか?
もし、私があのままサイコパスさんに興味本位で会い続けることを決めていたら、恐らく私は今頃、闇に飲み込まれていたはずです。
今回の人生では私は光を追求したい。幸せになりたい。それなら、決して無理矢理誰かの闇を光に転じさせようなどとは思わないことです。
もし、誰かの闇に過剰に反応してしまい救ってあげたい!などと思うなら、それは自分の闇が救われたいだけだということに気づかなければなりません。
光だけの人も闇だけの人もこの世には存在しない。人間である以上、どんな悪人や善人と呼ばれる人にも必ず光と闇が存在します。(例えばサイコパスさんでも99の闇と、1の光を持っています。)
そして、大いなる光のために今回の人生で闇役として存在してくれているサイコパスさんには、心の中でこう祈りました。
「今回の人生であなたと関わることはできないけれど、元を辿ればあなたも私も光の存在。お互いの天命を全うして、全体の光を強めることに貢献できたらいいね。今世ではなくても、きっといつかまたどこかで会いましょう。気付きをありがとう。」と。なんか、泣けました。
今後私が興味本位でサイコパスさんに近づくことはありません。私も気を抜けば闇に転じる可能性は大いにあるからです。(私は光に生きたいので関わらないことにした。)
そして今回の出会いで愛や光が届かないところがあってもいいと心の底から納得できました。
昼を知ることが出来るのは夜があるからだし
笑顔が美しいのは涙を知っているからだし
生きることが眩しいのは、いつか必ず死ぬからです。
光には無限の価値があります。
でも、光の価値に気づかせてくれる闇にも無限の価値があります。
光と闇の価値は同等なんです。
こういうことを書くと「自分や大切な人を傷つけられても闇が必要だと言えるか?」ということを聞かれます。
言えるわけないですよ。
だって私は神様じゃないし、人間だもん。
闇なんて怖いし嫌に決まってます。
だって私達は元々は皆、光なんだから。
対極の闇が恐ろしいのは当然です。もし大切な人が傷つけられたら許すことなんてできないし、大暴れしてやるし、復讐するかもしれません!
そこに理屈を介入させられるほど、愛は軽いものでも簡単なものでもありません。
そして、なぜ私がこんなことを書こうと思ったのか。闇を拒絶することほど、無駄なことはないからです。拒絶はエネルギーを増大させます。
闇を拒絶すれば、闇のエネルギーが増大します。
光と闇のバランスを失いつつあるのが、今の世の中です。それは、人々が闇を拒絶してあまりにも強い光を求めてしまった結果です。
私は光が怖いのでも闇が怖いのでもなく、その2つがバランスを保てなくなることが怖いんです。
闇を受け入れることができなくてもいい。
でも、闇と戦うことを皆でやめてみたい。
その一心で書きました。
たぶん、伝わる人は少ないだろうなと思いますが、それはそれで面白いからいっか〜
きっと分かりにくいと思うので質問や感想など、お待ちしてます♡♡♡
今回のサイコパスさんの話も長くなってしまいました!でも書いてて最高に面白かったです!!
ありがとうございましたっ