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とらねこ村<トランスミッション>

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あなたと作る共同マガジン。総勢4000名が関わる大規模マガジンに成長中。グループ合計で参加者1,500名、フォロワ数2,500名、約18万記事が収録中。🥕コンテンツを広めたい方の…
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2020年9月の記事一覧

生存・表現の根源的問い

生存・表現の根源的問い 私には相対的意識状態のみに依拠する人物が表現の根源的問い、根拠を徹底して考察しているとは到底思われぬ。 人間存在の存在根拠は無意味こそ意味であるという方向無き人生観は単に一観点にすぎぬ。己の思考の不徹底を顧みぬ怠惰な自我、精神の所有者のみが言い放てる戯言である。 三島由紀夫も川端康成にも人生の方向性、死生観はしかと描かれている。そのような内容、物言いなど何処にあるというような人物は単に上っ面を読んでいるにすぎぬ。 何も言語表現に限らぬが洗練され

なんで逆に人と比べちゃいけないの?

皆さんも経験していることだと思うが、他人のいい所を見て、「あの人に比べると自分はまだまだだなあ」などと引け目を感じたり、逆に、同僚が仕事でミスをしたりトラブルを起こして上司に叱られたりするのを見て、「あの人に比べたら自分のほうがまだマシだな」などと、安心感を抱くということがあると思う 1つ例を出しますと ニコニコ生配信者で 『七原くん 』という配信者は32歳独身でフリーターです。その方は 仕事ができない お金があればすぐギャンブルをする 家賃 水道の滞納 仕事をサボる す

The Cranberries / Dreams(1994 UK:27)

アイルランドのロックバンド。 1993年アルバムデビュー。 女性Voドロレス(~2018)の他界に伴い2019年解散。 楽曲の良さはもちろん、やはりVoのドロレスの裏声を駆使しした 独特なヴォーカル、「歌いまわし」が唯一無二。 最初のおすすめ曲はこれ。 「 Dreams(1994 UK:27) 」 日本でもCMに使われたように、非常にキャッチーな1曲。 「名曲」だとやはり「Zombie」なのでしょうが、 入口はこの曲の方が入りやすいと思います。 他にも Zombie(

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"Requiem"

"Requiem"「レクイエム」

「作家の視点」上野の森美術館にて。私の絵の前で。

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"Requiem"

「自己愛の不徹底」2

「自己愛の不徹底」(2)拙著「小林秀雄論」より抜粋 極論すれば我々は此の地上に存する限り何ぴとといえども不具者である。聖者はもと より、天才と呼ばれた存在達は常に己の無力感を名状し難いほどに味わっている。 く どいようだが有能ゆえではなく自己の無力さゆえに苦悩する。 「天稟の倫理性と人生無常 に関する沈痛な信念とを心中深く蔵して、凝滞を知らず、俗にも僧にも囚われぬ、自在で しかもあやまたぬ、一種の生活法の体得者だったに違いないと思う。」(西行)と。 だが常に実生活のな

三浦裁判は疲労度2~3倍ある#132

<1986年(昭和61年)に書いた息子(小3)娘(小1)への連絡ノート> 🔶2月13日 晴れ あのね、昨夜、2人の古い友達と会いました。会社の友達の送別会で、中学の時の友達がやっているスナックへ行った時のこと。中学の同級生が一人で飲みに来ていました。 彼は警察官です。勤務中は多分、ピストル持っているよ(?)。すごいだろう。20年ほど会っていなかったので、お互いに最初は分かりませんでした。今日は送別会なので、日を改めて会うことにしました。 14日は「三浦裁判」です。前回1

創造と個性

表現行為に於いては個性云々が様々な視点観点から語られる。 この問題と自由、不自由という問いは不可分である。 唯物論的観点からはこの問いは徹底的に相対化されれば無意味な問いと化す。 世界、自然界を知覚する主体である「私」が消滅すれば一切は無に等しいという結論に導かれるからである。 さらに謂えば生存自体にも意味は無いという結論へと至る。 これは通常無常観とか空とか言われている概念である。 この観点からすれば、個人の一生など自然界の一部にすぎないし、この自然界の法則から

肩こりに視力低下、悩みは果てしない

鍼を打って頑張るぞ(07年4月8日) 毎日、パソコンに向かっている。1日、10時間以上なので肩がこってしょうがない。ついに3月から整骨院に通い始めた。68万円磁気ネックレスの効用は今のところない。 葛西(東京・江戸川区)の整骨院を選んだのは予約なし、年中無休、午後8時30分まで営業しているから(正月は休む)。通院している割には良くならないので、こちらが恐縮してしまう。 朝行ったり、夕方行ったり。今となっては葛西は通勤に支障がある。それでも通院しているのは整骨院の先生たちが

結構重労働そのうち体壊しそう#138

<1986年(昭和61年)に書いた息子(小3)娘(小1)への連絡ノート> 🔶2月19日 曇り 学校に行く途中、転ばなかったですか。こんなことを書くより、朝早く起きて「転ばないように気をつけてね」と注意して子どもを送り出すべきでしたね。歩くのが大変だったでしょう。 朝日新聞の夕刊に、滑って転んだ人の写真が載っていました。お父さんは慣れているからへっちゃらですけどね。でも、夜は寒いから凍っていてツルツル滑り危なかったです。この雪は1週間はとけないよ。 明日はまた「三浦裁判」