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『太鼓の社会的価値』についてツラツラしてみた。出てきたのは『お山の取り合い』に飽きちゃった僕だった。~後編~

★前編


この続き。
なお、特定の人を指して何かを批判したくてツラツラしてないのです。客観的に見たら出てきたことをツラツラしております。

↓↓

目次
~前編~
▪️『経済活動としてのプロ』と『趣味としてのアマチュア』
▪️『プロ』は何を提供しているのか?
▪️食うか、食われるか?食えるのか?で止まっている
~後編~
▪️太鼓ビジネスだけの問題ではない
▪️(グチ)太鼓の発展は終わった??
▪️文化芸術(生きがい)ドリブンを証明できるか
▪️『こなす』をやめるという姿勢
▪️最後に

太鼓ビジネスだけの問題ではない

以上のような両義的な議論は世の中に山ほどある。この問題解決を急ぐことではなく、もはや答えがないということが答えなのかもしれないとも思う。
こういった矛盾を内包できる、多角的視野で物事を捉える人間力を養うことが大切だと思う。そこで『芸』という分野の活用は大いに期待したく、これからも文化芸術の新しい価値を探したいと思う。

また太鼓界で起きていることをスライドして考えてみると、他業界で起きていることと類似している。社会全体が共通の課題を持っていて、それに対して業界や個々人が問いを立て、チャレンジしていく姿勢が必要だろう。

経済活動(ビジネス)としての太鼓の社会的価値は、文化芸術の価値を社会全体がどれだけ認識しているかに影響されると言える。
社会の知覚がプロモーションにあるのか、本質的なコンテンツを求めているのかなどによって太鼓ビジネスも大きく価値変動する。

ビジネスの存在意義自体が大きく変わりつつあり、旧構造からのゲームチェンジが起きている。『ビジネス』の方向がいつの間にか変わってしまい「人から奪う」「利益を創出する」といった旧価値観、言い換れば『競争を疑わない社会システム』や『バランスシートの表面のみで判断される』というような、"人間"を置き去りにした旧ビジネス構造が文化芸術の社会価値をも歪めた。そして歪んでいることに気づかなかったのだと思う。
ビジネスの本質には「人のコトを思いやる」という職人的温もりがあったことを忘れていた。

★山口揚平さん Twitter記事


★パーパス 「意義化」する経済とその先 


(グチ)太鼓の発展は終わった??
こんな発言を聞いたことがある。
危険だと思う。それは一人が決めることではない。
諦めは自分のなかだけにしまっておかないと、次世代の芽すらも無意味に潰すことになる。

常にこの瞬間も、各次世代のために活動があり、各次世代が価値を塗り替えていくのだから。



■文化芸術(生きがい)ドリブンを証明できるか

文化芸術(いきがい)ドリブンの時代が来るのかどうかは分からないが、文化というジャンルに属している僕たちは、そのポジションにいるだけでは次の時代には残っていかない。
(文化が大事だ~和文化を大切にしよ~という発信、食うためだけの我田引水では何も起きない。)

例えば、
僕たち伝統と名のつくモノを生業にしている人たちは、何が伝統文化の力で、何を刷新すべきなのかを虚心坦懐に見つめていく姿勢を発信することが必要なのではないか。
伝統に背を向けることを革新だと信じる傾向は、僕たちにはまるで意味がない。

『文化が人を進めてきた!』と現代に向かって大きな声で言えるように準備すること。守ることと刷新、どちらか一方では仕事(※)は起きない。

文化というキーワードは非常に広義だが、残すべき文化をつくるには、文化の力を知っている人がそれを伝え、変えるべきルールは何なのかを描くことだ。

太鼓ビジネスは、
文化芸術(いきがい)ドリブンだったら、どれだけ人や社会が優しくなれるのかを、小さく小さくずつ社会自体の腑に落としていく活動が必要だ。

企業が「やってまっせ」とやっているSDGsの取り組みや、社会問題に対する表面的な提言をするようなことではない。それを突き抜けた先だ。目の前で起きていることをマジで自分ごとに見れるかどうか。

マジで自分事にする。

そうしないと、僕たちは次の世代にカッコイイ背中は見せられない。大人のカッコイイ背中を見れない次の世代は、人間力を探すのに余計な苦労をしてしまう。

全てを一人ではできない。より多くの人に知ってもらい、個人が社会を考えて行動する風潮に価値がある。これは理想だが、1億歩が1歩前に進むような物語を描くのが文化芸術の役目である。

※(仕事=力×距離)
単なる努力、試み自体には意味がなく自己満足・浪費に過ぎず生み出す変化がなければ仕事はゼロ。完遂されない仕事は意味がない。

★『シン・ニホン』229Pより


『こなす』をやめるという姿勢
僕たち太鼓のプロを名乗る人が一つ身近にすぐにできることは、『こなす』ことをやめることだろう。その姿勢を舞台を通して社会に発信することが価値になる。
目には見えない。確かではない。
けど、『こなすこと』をしてしまったら芸が腐っていく。
それは便利なモノと、生きがいの本質のバランスを見誤った時に少しずつ腐食が始まる。
一つ一つの舞台や活動を大事に取り組んでいくことに集中するべきだ。その姿勢すら、これからのお客さんは見破ってくる。


最後に
エネルギー問題、貧困、ジェンダー差別、衛生。。。。それは各々専門的な分野にしか飛躍的改善ができないことがある。

この世界が大きな舞台であり、一人ひとりがそこに立っているということ。自分の分野に、自分自身が没頭する。

僕たちがやっている舞台は、その大きな舞台の具象化にすぎない。
僕たちは舞台の使い方をまちがってきたけど、まだ間に合うはずだ。


自分を生きること、自分でつくること。
自分が自分である証明を、誰かに任せてしまわないような生き方が価値となり得るかもしれない。

大きなゲームチェンジを怖がらなくていいはずだ。
時代を愛すると、時代も愛してくれる。

★古舘恒介  
エネルギーをめぐる旅  文明の歴史と私たちの未来




自分と自分たちの太鼓界ビジネスは何ができるのか?を見つめなおしたかった。
とにもかくも、太鼓界でのお山の取り合いは意味がない。

お山の取り合いに、僕はもう。。
ちょっと。。飽きちゃった。

新しいお山を、新しい場所で見つけていきたい。

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