#18 “オス”的なものを探して
この時代の風潮に合わない話。
はじめに
オスであることが重要であろうという話。
性別ではなくて、物事にはオス的なものとメス的なものがあって、その中でオス的にすこしでも力強くなろうとしている話。
オス的なものとはなんだろう?沢山の人と性行為を行うこと?億万長者になろうとする人?冒険をする人?
どこか、諦観した人の話です。
(1)二郎系を喰らう。
まずは沢山食べることから始めようとした。二郎系ラーメンの暖簾をくぐると、ニンニクや脂が混ざり合った嗅ぐだけで喉が渇くような匂いが充満していた。ガタイのいい口の悪そうな店員のお兄ちゃんが場を支配して、同年代より少し歳のいった人たちのラーメンを捌いていた。どうして店員さんは無愛想で口調も強いんだろうか。子供の頃に見た忍たま乱太郎の給食のおばちゃんも残した児童に怒っていたことを思い出していた。
そんななか、ラーメンが届く。見るだけで嗚咽しそうな量に『これは食べきれないだろうな。』という心から漏れ出た感情は、自分が老いと向かい合うはじめの一歩だった気がする。
ふと横を見ると、隣の恰幅のいいおじさんが、まるで千と千尋に出てくる豚のように食べている様を見て、なぜか火がついた。オス的なものを探しにきたんだ。負けられなかった。
完食した。これは小さな達成感。確かにオスだった。ここにいる店員さんもお客も、みんなオスだった。
(2)投資を始める。
老後の資金に2,000万円が必要らしいと金融庁が言ったあと、時の財務大臣は火消しに追われた。それから何年か過ぎて、投資を始めた。億万長者になって、幸せに暮らすんだ。きっとオス的なものにはお金が必要なはずだ。
新NISAとETFを初めたばかり、8月に株が暴落した。どうやら金額の落ち幅は歴史上類を見ないらしい。金融機関の端くれで働いている私は忙しくなった。証券口座の評価損益がマイナスになる。株を始めるには遅すぎるスタートダッシュは最悪だった。
足元では、数百万円の証券口座がプラス数万円程度になった。大儲けするような話も、大損するような楽しい話もなく、リスクを最小限にして乗り切った。
定年が伸びていく中で、くるか来ないかわからない老後に向けて蓄えておくことにした。
備えあれば憂いなし。
この分野は私はオスではなかった。
(3)冒険の対義語
尾田栄一郎は冒険の対義語を母親と言ったらしい。冒険はオス的なもので、母親はメス的なものなんだろう。私が絶対に経験できない冒険的エピソードとして、上京というイベントがある。このエピソードはオス的ななにか。冒険的な何かがある気がする。
別れの電車や、知らない街の匂い、初めての新居、ニュースで流れてくるような標準語を喋る人たち、コンビニの外人の店員、期待と不安。
大学生や新社会人の頃に親元を出て見ず知らずの土地に行き、自分と対峙する。こんなエピソードにはすごく憧れる。
さいごに
オス的なものとはなんだろう。千鳥足のような文章はオス的なものなのだろうか。
〝自分が何か成功したものを知らせたい〟はオス的な文章で、〝なんとなく書いてみる〟はメス的な文章なんだろう。
決して昨今の男女間の問題を記載したいのではなく、何かに挑戦する心を小さく宿していきたいと思った。
久しぶりに書いたnoteはいいものだと感じました。
最後まで読んでくれた方には感謝申し上げます。