子供の純粋さが刺さる映画。『友だちのうちはどこ?』
イントロ
こんにちは!
女子高生のryncaです!
今回はイラン映画の『友だちのうちはどこ?』という作品を紹介します!
実はうちめちゃくちゃ久しぶりに書いてます笑笑 1年振りくらい??笑 毎週投稿を目指してたんですけど中々続かないものですね、、くそぉおー🥺ここからは頑張ります!!
ここから本編ですーー
子供の純粋さが刺さる映画。『友だちのうちはどこ?』
あらすじ
舞台は西アジアに属するイラン。
友達のノートを間違えて持ち帰ってきてしまったアハマッドは届けに行くために友達の家まで歩いて行く。早くノートを渡して宿題をしないと友達が先生から厳しい処罰を受けてしまう。そんな運命を回避するため、待ち受ける障害を乗り越え、懸命に走り続ける。何度も続くジグザグ道を全力で走るアハマッドの姿に誰もが心を奪われていく。アハマッドが友達にノートを渡すまでの純粋すぎるロードムービーが幕を開ける。
一見単純のように聞こえるこの物語。しかし監督キアロスタミによってこの物語は一種の道徳教育のような教材と化していた。見る人の忘れていた童心が最後のシーンに寄せられた純粋すぎる魔法のシンボルによって蘇させられる。
大まかな情報
この作品はイラン監督の巨匠キアロスタミの"コーカー三部作 "と呼ばれる相互に関連した3作品のうちの第1作目。題名の『ともだちのいえはどこ』はイランの高名な詩人であり画家でもあるソフラブ・セフェリの神秘的な詩から取られている。他作品同様イランの政情を揶揄しながら進んでいく物語は、時空を越え心に見る人に白い光を与える。それは作品から遠いところに位置する人であるほど実に色濃く深く焼き付けられる。まるで昔にやった実験のように。自然と幼い頃の自分を情景を記憶を思い出させる。
出演者の全ては現地の人でキャスティングしている。主人公アハマッドを演じるババク・アハマッドプールに映る瞳はその地での生活の全てを投影している。だからこそ私たちはその瞳に自然と惹きつけられていく。まるで催眠術のようなもの。もうその時点で我々はキアロスタミの術中に嵌ってしまっているのだろう。そんなキアロスタミの作品こそ超現実主義の感傷的ファンタジーと言える。
リアリズム
リアリズム(別名写実主義)とは理想感を脱ぎ捨て現実を直感そのまま描く表現技法である。このリアリズムが高校生の私の心を複雑に空回せていく。
友達の家に行く道のりは、いろんな人に話しかけ、かけられるを繰り返す。
そこには現地の人の暮らしが描かれていた。白に統一されたひび割れ剥き出しの壁。白高こそ際立つ鮮やかな青のドア。ベランダに吊るされた花の数々。私は違いの知らない見慣れたタワマンや目を焼き付けるほど夜も光るコンビニよりも、この特異な風景の方が何倍も魅力的に思えた。
そして登場する頭にバンダナを頭につけ身につけた女性。彼女たちにアハマッドが隣町の行き方を聞く。
「ネマツァデの家を知りませんか?」
「どこなのよ」
「ポシュテ」
「ポシュテにはマザヴァル区・ハネヴァル区・カシサル区・アセマル区があるのよ。どの区なの?」
「ポシュテ」
人々の生活の一部に組み込まれた、ちょっと異質の会話。友達の家に行くのに、人の発言に惑わされながらなんとか一歩づつ歩んでいく。今は電子の箱で3秒あれば調べられることを、こうして人に聞かないといけない経済的不便さに憧れを持ってしまう。いつの間にか秒単位の間隔が長くなっているこの映画はまるで”瞑想”しているように今を生きている実感が湧いてくる。
イランの子供が隣町に行くのは親を含む直属の大人たちに叱られる行為だ。
「どこへいく。タバコを買ってくるんだ。」
と祖父に抑圧され純粋すぎる目で向けるアハマッドと容赦無く釘刺す祖父の言葉のギャップに体調を崩しそうになる。
「大事なのはタバコじゃない。
孫を礼儀正しくしつけしないといけないんだ」
子供が離れた後、近くにいた友人にそう話す祖父。
そこからはイランの子供達の大人からの主導権に振り回される中で生きている様が伝わってくる。それがまた残酷なほどリアルで、自然と自分の子供の頃を思い出してしまう。場所が違えど、時代が違えど、程度が違えど、子供の頃に感じる大人からの権力の威圧は忘れることのない”純粋さ”なのだろう。その”純粋さ”を大人になりかけのこの時期だからなのか”純粋さ”の思うとは反対に、母がアハマッドに対する呆れたような態度が少し共感しえるようになっている。子供視点も大人視点も怖く共感できてしまうこの作品は”強迫観念的な探究”という言葉がひどく当てはまってしまう。
この作品の魅力はリアルすぎるほどに描かれる”現地の生活風景”とそこに生活する人々に置かれた”大人と子供”の関係性にある。巻き起こる疑問と懸念の渦の中に含まれる多くの共感が、子供でいたいと思う自分を大人の世界へと導いていく。
イランと日本
海外の映画を見ると、自然と今の日本と比べてしまう。
イランでは、街にニワトリがいて、くわくわと元気に鳴いている。牛や羊が道を塞いで、体が大きいが上に通りたいのに通らせてくれない。現地の人にとっては普通でなんなら嫌気もさしているであろうこの状況に、私は夢を膨らませてしまう。
外を見れば車が何台も通り、エンジン音を鳴らしている。都心に出れば人という波に飲まれ、進みたいのに進ませてくれない。呆れるほど美しくない日本から私を旅にださせてくれるこの映画は魔法だ。どこに住むかわからない誰かの心に魔法をかけられる映画の偉大さに驚愕すると同時に、どこか魔法にかかりたいとまた映画の中毒になっている自分がここにいる。
「イランに行きたい」キアロスタミの映画はそう思わせてくる。イスラエルのこともあり今の時代なかなか安易に行動できる話ではない。しかしだからこそ、映画の力が発揮されている。行けない分私は映画の魔法で世界旅行を楽しんでいる。
ラストシーン
キアロスタミは映画にまだまだ魔法を加えている。それがラストのシーン。
最終的にはアハマッドはノートを友達に返すことができず、その罪滅ぼしで遅刻してまで友達の分の宿題を終わらせる。そして先生に叱られる前にノートを差し出すことができ、ことなきを得た。それから続く静かなラストのシーン。そこには渡されたノートの中に一輪の白いお花が挟まれている様子が写し出されていた。
アハマッドは母からも祖父からもひどい言葉を浴びせられる中友達の家に向かっていた。そんな冒険の中で見つけたであろう花は少年の懸命さと優しさを静かに表していた。最後のシーンに隠されたシンボルが観客の童心を蘇らせ、最後まで魔法のかかった状態にすることを成功させた。
アウトロ
キアロスタミの映画好きすぎるるるる!
ほんとにイラン行きたいんだけどなーー、戦争とかテロとか怖いんだよな、、お父さんにめっちゃ反対されたし、友達に言ってもいい顔されないから辛い、大人になって自分で生計立てられるようになったら行きたいです!
何より男の子が可愛すぎるるるる!!
もう無理、かわいい、あの瞳に見つめられたい、、
やっぱ現地の人が出るのはずるいですよね、
そーいう映画作りたいですぅぅ
はい!ここまで読んでくれてありがとうございます🙇♀️
また良かったらうちの記事見ててって下さい!バイバイ👋
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