#3 わくわく海外への旅 懐の深いスペイン
初めてのスペイン旅行
心強い友達とのコンビ
イスラム教とキリスト教の文化が共存するメスキータ。完全に破壊せずに生かすという考えは類まれだ。『いくさ』というものは、たとえ他国の優れた文化でも徹底的に破壊するのがほとんどだ。
スペインへの旅はハプニングもあるが、思い出深くて何度でも行きたくなってしまう。
2001年、友達と初めてスペインを訪れた。ニューヨークのテロが起こるまでは、交通手段とホテルだけ予約をしていた。美術館を中心に気に入った場所をゆっくり訪ねる、自由気ままな旅。
友達は元バレー部の体育会系。2人とも、ブランド物にはあまり興味がなく、歴史的な建造物や美術館巡りが好き。体力的にも同等で、おいしいものが好きなところも似ている。こんな旅仲間はそうそうにはいない。
私はお腹がすくと、口数が減って省エネモードになるらしい。そんな変化を敏感に察知してくれ、
「そろそろ食事にしようか」
と声をかけてくれるありがたい存在でもある。
一週間以上、海外で過ごすなら、お互いに、あまり気を遣わないですむことが条件だ。
彼女と旅行していることを知り合いに話すと、周りは驚く。私の株がグーンと上がって
「あなたは、見かけによらず、結構タフなんだ」と。
サクラダファミリア 思いもよらぬ事件
スペイン2日目。憧れのサクラダファミリアに。旅行前にテレビで特集があり、長年働いている彫刻師の外尾悦郎さんの活動が紹介された。そこで私はお土産代と寄付のお金(一万円程度)を持ち、あとはホテルのセーフティーボックスに貴重品を預けて出発した。
教会の上を目指し、一方通行の狭い階段を上っていくと、なぜか上から夫婦と子ども二人が降りてきた。
「ちょっと待って」
と言っても通じない。少しわきに寄ろうとする間もなく、「ワーワー」と何か言いながら、もみ合い通り過ぎて行った。その後、絵葉書を買おうと思ったら、財布(クレジットカード入り)をすられていた。
教会に寄付をするお金が無くなったのが、ショックだった。
ホテルに戻り国際電話でクレジットカードを停止した。まだ旅は始まったばかりというのに。
友達は私に向かって
「今回のことはきついけど、私に頼っているから、狙われたと思う。これからは、自分たちだけで旅行をしているという緊張感をもって」
その友人とは1999年にもイタリアのベニスやフィレンツェを旅していた。3歳年下だが、個人旅行であちこち回った経験のある彼女に、私はすっかりお任せモードになっていた。だから、別にブランド物を持っているなど狙われやすい外見的要素はないのに、ターゲットになってしまった。
ガウディの足跡 グエル公園にて
ガウディの建築は粉砕タイルが特徴で、丸みを帯びているため、温かみがある。グエル公園で有名なトカゲは、カラフルでユーモラスだ。また回廊の柱は微妙に曲がっていて、まるでヤシの木のようで、命の息吹さへ感じられるのだ。
バルセロナでは、ランブラス通りをうろうろした。いろいろな品物に色があふれている。大道芸人もいて、楽しいところ。ピエロの扮装をした人もいる。近づいてみても呼吸が感じられない。時々突然ポーズを変えて、間近で眺めていた人を驚かせている。
はずれがない おいしいスペイン料理
スペインの料理は、パエリアやタパス(スペインオムレツなど小さなおかず)など美味しいものがものがいっぱい。ただ時々あっさりしたものが食べたくなる。そこでランブラス通り沿いのスーパーをのぞいて、カヴァ(発砲ワイン)イワシの酢漬け、クロケット(ほぼコロッケ)生ハムを少々買った。あとは野菜や果物がほしい。様々な商品がきれいに積み上げられた市場をのぞくことにした。ところが単価が違うのに、私の指差しに応じて 品物を一つの袋にポンポン入れていく。計算はどうするのかと思ったら、一番安いものにそろえ重さを計って終わり。にまっと笑う店員さんに、⦅こんなことってあり?⦆と愉快な気分になった。
美術館めぐり 【プラド美術館 ピカソ美術館、国立ソフィア王立芸術センター]
プラド美術館やピカソ美術館では「地球の歩き方」を事前に読んで付箋を付けた名画を中心に見ていったが、聞いたことのない画家の作品がそれこそ宝のようにあちこちにあって時間がいくらあっても足りない。
「ゲルニカ」は想像していたサイズよりずっと小さかった。ピカソ美術館で初期の作品もたくさん見ていたので、彼が到達した『域』というものをその作品から感じた。
観光地では音声ガイドがつきもの。しかし、音声ガイドに 英語がない。帰って伯母にそのことを話すと
「そんなのあたりまえ。スペイン語は世界で通用する言葉だから。なんといっても、太陽の国だ」と。
伯母は、いったいどの時代を生きているのだ?その話にも一理あるが、小さいころ得た知識が、今もなお更新されないままなのだ。
ツアーに参加した2回目の旅
2回目に行ったのは、2005年の冬、バルセロナに降りた後、風車で有名な
ラマンチャ地方を抜け、ロンダ、ミハス、クエンカ等を訪れるもの。
バスでの移動距離が非常に長く、どこまで行っても途切れることのない
オリーブ畑を延々と見ながら、フラメンコギターをBGMにしていた記憶しかない。
初めてセントレアからルフトハンザに乗り、フランクフルトに入ったが、前日まで雪で空港は閉鎖されていた。その影響もあり、最初から名古屋の出発は4時間遅れ。
帰りはスペインからフランクフルトへの飛行機遅延のため、なんと広いフランクフルトの空港内をダッシュで走って乗り込むというおまけつきだった。私たちが乗り込むのを皆が待っている状態なのだ。職員の誘導でふだん乗客が入らない場所をショートカットでひた走る。
結果として73歳の両親も走らせてしまったが、振り向けば、ものぐさな母もちゃんとついて来ていた。
印象的だったのは断崖にある町ロンダ、冬場は閉まっている闘牛場の見学。ガイドブックでもよく見かけるミハスの美しい村をゆっくり散策できた。冬空でなく、夏の青空だと白い街並みが映え、どんなにきれいだろうか。ただ、このあたり、夏は暑くて日中の観光は難しいだろう。
マドリッドの象徴の一つとも言えるマヨール広場。
「写真を撮ったらすぐ乗り込んでください」
とのこと。この時期は、治安があまりよくなかった。
思い出あるランブラス通りの紹介では、(危険だから近づかないように)
日々更新される現地情報を添乗員さんは受け取っているのだろうが、
一抹の寂しさを感じた。
冬しか行けないアンダルシアをめぐる3回目の旅
2015年 雪での遅延を心配してフィンランド航空を選んだ。ここは雪対策が万全だろうと。この時期には、旅行の比較サイトを利用するようになり、両親の年齢(83歳)を考え、初めてのビジネスクラスを検討した。
ちょうど企業によるビジネスクラスの需要が減り、ツアー参加者も格安で乗れる時期だった。そこでホテルや食事はエコノミークラスと同等で座席だけがビジネスを選び行くことにした。
驚いたビジネスクラス
搭乗時から名前を呼ばれ歓迎のあいさつ。コートの預かりから始まり、ウェルカムドリンクの選択。2m近いフラットシート。
選べるごちそう。美味しそうなワイン。機内は酔いやすいので、自制心が必要だ。はじめは隣の席の母の世話をしていたが、ちゃっかり食後酒まで楽しんでいたのにはびっくり。(言葉がわからず、お勧めのまま受け取ったのかもしれないが) おもわず、
「甘いけどアルコール度数は高いから気を付けて」と声をかけた。
温暖な冬のアンダルシア
夏は『スペインのフライパン』と言われ、日中の観光が不向きのアンダルシア地方。そこで、冬にゆっくり回るツアーに参加した。行程にゆとりがあり、アルハンブラ宮殿やメスキータをゆっくり見学。あちこちにある噴水はイスラムの民にとっては貴重で、特別の意味をもつ。
最終目的地はバルセロナのサクラダファミリア。2001年にはまだまだ完成には遠いと言われていたが、急ピッチで工事が進み、2026年ガウディ―の没後100年を目指しているらしい。3回目の2015年は、礼拝堂が完成していて、きれいなステンドグラスを見ることができた。
旅の余韻を味わいながら
このように3回の旅を振り返ると、20年以上前のことにも関わらす、一回目が一番鮮明だ。初めて行った感激や感動に加え、自分たちで計画して回ったからだろう。
今後も最新情報の収集、言葉の問題、緊急時の対応を考えるとツアーに参加することになるだろう。ただ観光地を厳選し、移動のしやすいホテル、自由行動の機会のありなしで選ぼう。
せっかく旅をするのだから、駆け抜けるのではなく、立ち止まってその土地の雰囲気を味わいたい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?