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エウレカ 私は見つけた 第6話

6 ニ人だけの暮らし

 ロドリゴはミケーネが余計なことを言ったから、息子夫婦が島を出て行ったと思っていた。子供が生まれたら、また元通りの楽しい生活にも戻ったのではと、頭の隅で考えていたからだ。ロドリゴも、いつかは夫婦だけの暮らしになると、漠然とは考えてはいた。しかし、いざ現実にそうなってみると、週末もまるで明かりが消えたように寂しかった。今となっては、たわいのないことで笑い、楽しく食事をしていたのが、遠い昔のことのように思える。
 
 今晩もミケーネがジャガイモと魚卵それにおろしニンニクとオリーブオイルを加えて練り合わせ、最後にレモン果汁を加えるタラモサラタ、ひよこ豆のスープ、鶏肉のスブラギ(オレガノやニンニクで香りづけした肉を漬け込んで焼いた串焼き)のご馳走を作ったにもかかわらず、ほとんど会話をすることなく、食事が終わってしまった。元気がないのはロドリゴだけではない。ミケーネも時々ぼんやりしてることが増えてきた。

「ロドリーゴ。おかわりいらない?私ちょっと作りすぎたみたい」
彼女はどことなく重たい雰囲気を変えようと、作り笑顔で彼に声をかけたが、
ロドリゴは「もう十分」と彼女の顔を見ることもなく答えた。

 ミケーネは以前から刺繍の店に出入りしている。彼女の若い頃には、まだ嫁入り前に母親から刺繍を習い、そして自分の結婚に合わせて、テーブルクロスや枕カバーなど身の回りのものに刺繍する習慣が残っていた。そんな彼女が最も手本にしたのは、クロスステッチの美しい祖母のベッドカバーだった。一体どれだけの時間がかかったのだろう。祖母は、裕福な暮らしをした人らしく、ミケーネは母から祖母の持っていた宝石をいくつか譲り受けたが、大半は生活が苦しいために、手放してしまった。

 刺繍の工房は、ミケーネと同年代の女性が多く、ニコラオスがソフィアを追いかけて島を出て行った時、そのことが、ずいぶん話題にのぼった。
 「だから、島以外の女性と結婚するといけないのよ」とか「結局、息子さんは奥さんを選んだのよね」などと、気の毒そうな顔をしながらも、よその家のことを、『ああでもない、こうでもない』と詮索した。

 ある日、おしゃべりの中心人物であるレベッカが、ミケーネに顔を近づけ、小声で言った。
「ニコラオスは、いい時に島を離れたよね。あの後、みんなが旅行ができなくなり、観光客が来なくなるなんて、一体誰が予想できた?」
 
 「うちの旦那もロバタクシーの仕事は収入も上がらず、先細りだと言っていたわ。この島で、物資の移動にロバは、なくてはならないものだけど…。よその人たちは、動物愛護の精神に反するなどと言いたい放題だわ。この島では、狭い坂道をロバを使ってものを運んだ長い歴史があると言うのに…。『ロバに人を乗せる』 そのことだけを切り取って、批判する人がいるのは、本当に困るわ。 
でもこれは今の世の中では、よくあること。将来、ロバタクシーの運営が、大変になるかもしれない」

「そうか。ニコラウスたちは、いい時期にサントリーニ島を離れたんだ」
初めは、興味本位で私たち家族のことを見ていた人も、ひとたび風向きが変われば息子たちの決断を認める。
「つくづく人の評価は、あてにならないものだ」
と、ミケーネは気づいた。

 最近、ミケーネは、目がかすんで手元がよく見えないこともあり、刺繍の腕が落ちていた。今日も少し頭が痛く、目の前がぼーっとしている。
『私も歳をとって根を詰めるデザインは無理かもしれない』
 
 実は、ミケーネと息子夫婦は、こっそり連絡を取り合っている。だから2番目に生まれた長男ヤニスの写真も彼女は持っている。ロドリゴもそのことになんとなく気づいてるようだが、自分が『出て行け』と言った手前、孫の写真を見ることもできない。
 
 ニコラオスは、現在ホテルに勤めながら、マネジメントの資格をとっている。もともと体を動かす仕事には不向きの息子だった。アテネにはホテルも多く、仕事も充実しているようだ。一方、ソフィアは子育てをしながらも、在宅で少しずつデザイン関係の仕事をしているようだ。ミケーネのに時代には考えられなかったが、小さな子どもがいても、仕事の量はセーブしながら働くことができるいい世の中といえよう。
 
 ソフィアも、自分の力が活かせて、楽しそうだ。
 先日、目がかすんで、刺繍がしづらくなったことを嫁に話すと、
「お母さん、今はデザインの軽いものが流行っているよ。今度、スケッチ送るね』といい、オリーブの実をくわえた小鳥のデザイン画を送ってきた。『若い人は、こういった軽やかなものを好む』と言う。伝統的なクロスステッチを重ねる重厚なものと現代的なデザイン。これからは、これら両方が必要なのかもしれない。
 
 工房で、デザインを話し合うときに、
『一度、ソフィアのデザイン画をみんなに見せてみようか』
とミケーネは思った。


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