川が、流れるように。川は、流れるように。
以前、NYのアップステイトの森の近くに住んでいた。
大きな敷地の中に、主人のお父様が建てた小さなお家。
その近くに小川が流れていた。
雪解けの頃、
小川には、山の上のほうから雪解けの水が、
いつもより少し多めに流れてくる。
当たり前の事ですが、、。
そして、大自然の中では、
最悪は、雪解け時期と大雨も降ると、、
小川の水がいっぱいになる。
小川は、元々、ちょろちょろ流れるから、
川は、細いのです。
だから小川なのです。
では、沢山の水がいつも流れれば、
小川は、川幅が大きくなり、
大きな川で存在するのです。
では、小川に、想定外の水がくれば、
氾濫です。
大雨の日は、
山からは、山林で樹木から折れた枝が土地の上で動き、
折れた枝が今度は、立っている木も押し倒して、
低いほうに流れるのです。
自然な事です。
それが想定外になる事は、人間の想定外。
でも自然から見たら、自然の成り行き。
開発されていく土地を考えてみて。
その小川を人間がすきなようにと、
こちらに小川を流そうと作る。
でも、小川の行きたい場所(自然な流れ)は、
元あった小川の流れです。
無理やりつくる人工の小川は、
自然力が発揮した時、
水が人工の小川に流れるのには、難しいのです。
でも、人間は、それを作り出す。
人間が住もうとした時、そんな場所を作る。
自然の流れでない場所に、、。
どうなるか?
大自然が大きく動いた時に、
小川は、行きたい場所に流れて行き、
人工物を壊してしまいます。
小さな家は、お父様が建てた家。
たぶん50年ぐらい経っていたと思います。
主人の子供の頃、そして私たちが住んでいた頃、
その間、何事もなく、、過ごす事ができていた。
ある日、3月だっかな、急に暖かくなり、雪解け、
そして大雨、小川の氾濫。
その小さな家が流された。
その時、私たちは、別の州に引っ越していたので、
その時、だれも住んでいなかった、、、。
夜中の出来事だったよう。
夜明け、少し離れて住んでいる主人のお姉さんが、
私たちが住んでいた小さな家を見にいくと、
そこは、なにもなかったと。
義理の姉がゲートにたつと、
ドライブウェイがあり、
その先に小さな家があるはずのところになにもない。
なにもない景色が家がどこにあったのかもわからないほど、
家ごとなくなったようです。
小川ではなく、
大きな川になった水量で小さなお家は、崩され、
その先には、道路が橋になっていましたから、、
その下を流れようとして、
橋までこわしただろう、、。
私たちがそこに住んでいた時、
主人は、庭のころがって普通の石を見て、
ここに丸い石があるのは、以前川だったら、、。と、言っていた。
道路を挟んで、向こう側に、
小川に平行した位置にある教会の敷地にも、
丸い石があった。とも。
その意味は、川からころころ転がって角が取れた石。
そうなのです。私たちの小さい家も、昔は川だったってこと。
言いたい事は、2つ。
自然力は、想定外になった時、人工力より強いのです。
もちろん、シュミレーションされていると思いますが、
そのシュミレーションは、
人間が観察し始めてからしか、できていない。
100年でしょうか、200年でしょうか?
その土地の歴史は、もっともっと長い。
人工力を強くする為には、
長い歴史の自然力に勝る強いものを作らないと負けるのです。
でも、1つ人工物を作ったら、
1個の副作用では、すまないでしょう。
補う100コの人工物が必要かも。
自然を大切にすること。
自然への敬意。
それでも、今現在、開発は、進んでいる。
自然は、人工物の中で、自然を進行している。
あまり、人口も増えていないのであれば、
ここらで、自然をそっとしておいてあげましょう。
今回のコロナ渦で海がきれいになったように、
自然の流れで、
自然に世界がきれいになっていくでしょう。
長い歴史でみたらね。