#聴いてみた Schubert交響曲第3番ニ長調
NHKFM[「音楽の泉」のSchubert作曲『交響曲第3番ニ長調』を聞き逃し配信で聴いてみた。
曲目
「交響曲 第3番 ニ長調」
シューベルト:作曲
(管弦楽)ドレスデン国立管弦楽団、(指揮)コリン・デーヴィス
(22分20秒)
<BMGファンハウス BVCC-38307>
「八重奏曲 ヘ長調 D.803から 第1楽章」
シューベルト:作曲
(合奏)ウィーン室内合奏団
(15分31秒)
<PONY CANYON PCCL-00241>
「セレナード(歌曲集「白鳥の歌」から)」
シューベルト:作曲
(バイオリン)ルノー・カプソン、(ピアノ)ギヨーム・ベロン
(3分33秒)
<ワーナー 0190296520013>
曲解説(奥田佳道先生解説からの抜粋)
シューベルト18才の作。第1楽章楽譜にはアレグロコンブリオ、いきいきと速くと記されている。アレグロコンブリオはベートーヴェンが好んだイタリアの速度や表情を示す言葉。
シューベルトの交響曲は近年演奏の機会が増えている。リッカルド・ムーティー指揮 ウイーンフィルハーモニー管弦楽団による交響曲第4番、第8番グレイト、大阪いずみホールで行われた山田和樹指揮大阪の4つのオーケストラによる交響曲全曲演奏会、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団による交響曲第1番と第6番が話題になった。
ウイーン生まれのフランツ・ペーター・シューベルトは1813年16才の年迄、シュタットコンヴィクトと呼ばれた寄宿生王立神学校で学び、学内のオーケストラでヴィオラを弾き聖歌隊で歌っていた。因みにシューベルトが声変りをし、神学校、寮を離れた1813の暮れにすぐ近くに建っていたウイーン大学の講堂でベートーヴェンの交響曲第7番と交響曲「ウエリントンの勝利」(戦争交響曲)が公開初演されている。思春期のシューベルトは40才代前半のベートーヴェンを仰ぎ見ていた。
シューベルトの音楽活動は寮生活時代に始まり、その後友人達を介して彼の活動は少しずつ広がっていく。出来上がった室内楽作品やオーケストラ曲に手を差し伸べる。つまり初演の機会を提供するウイーンの富裕層やプロのヴァイオリニストも出てきた。その1人にオットーハトビッヒなる音楽家がいた。ウイーンの名士でもあったハトビッヒの邸宅にはプロの音楽家とアマチュアの演奏家を交えた30数名によるプライヴェートオーケストラがあり、ハイドンやモーツアルトの作品を演奏していた。シューベルト若き日の交響曲第1番から第6番までの交響曲はハトビッヒの邸宅、又はシューベルトの活動を応援したウイーンの大地主や商人の館で演奏されたとみられている。
シューベルト18才の時に紡いだ愛すべき交響曲第3番に戻りましょう。
アレグレットで書かれた第2楽章がシンプルながらこれぞシューベルトという味わい、笑みがこぼれる。シューベルトはこの交響曲でクラリネットの音色をとても大事にしている。1815年に完成した交響曲第3番はウイーンの名士や音楽家の下で演奏されたことだろうが、それらはプライヴェートな出来事ゆえ、公演記録が残っていない。正式に演奏され楽譜が出版されるのはブラームスの時代、1880年代に入ってから。曲は第1楽章アダージョの序奏を伴うアレグロの音楽、第2楽章アレグレット、第3楽章はメヌエットと題されたスケルツォ風の音楽、第4楽章はロッシーニを思わせるテンポアップしたフィナーレ、以上4つの楽章から出来ている。
Schubert『交響曲第3番ニ長調』を聴いてみて
シューベルト18才の交響曲。青春の息吹にあふれ、才能が遺憾なく発揮されている交響曲。特に第2楽章は頬も心も緩む幸せ。シューベルトの交響曲は近年演奏の機会が増えているとのこと。色々な所で演奏が増えて欲しいと思う。