HSPから観た 支配・被支配 SとM
多くの人が勘違いしているであろう支配者のイメージ。
おそらく彼等はサディストではない。
サディストっていうのはランカーであり、ルールを求める側だ。
マウンティングをしたいという感性その物が他者の作為的な物だ。
つまり、他者によるでっちあげの飴と鞭でコントロールされてると。
ランキングというのは上位者からのコントロール装置なワケだ。
飴と鞭の条件付け、完全なパブロフの犬だ。
故に支配者がランキングにモチベを求める理由が無い。
強者はポジション取りであるマウンティングの必要自体が無いのだ。
そもそも本質は相対化されない、基準を外部に求める物ではない。
さかなクンはさかなの知識を人に自慢する為に得たわけじゃないのだ。
外的アイディンティティ、宮崎勤の大切なセブンのビデオとは違い、
さかなクンは純粋に魚が好きだから魚に詳しいのだ。
幼女に相対的強者であった宮崎勤は父親には従順であり、また、
社会的なポジションを得る為にビデオを必要とした。
これはランカーである中央の一般人と全く同じで性質である。
当然、宮崎勤はサディストである。
学歴主義者の学歴とは、勤ちゃんにおけるウルトラセブンのVHSなのだ。
一般人が学歴や地位に拘るランカーであるなら、サディズムが芽生える。
そういった中央値の有象無象が自己肯定感の為に得るのがサディズムだ。
何者かに定義されたファッションによる偽りのステイタス。
彼等がサディストが男らしいと思っているのは自己欺瞞なのだ。
だって自分がサディストだから(笑)
またコオロギ太郎は「自分はタダの運び屋」と自称した。
つまり、彼は責任者ではなく他人の命令で動く、主体の無い人間である。
だからこそ、相対化する為に弱者を望むのだ。
まさに操り人形。
これが「男らしい」と言われるサディストの正体である。
そして支配者っていうのはルールを作る側という事になる。
金、学歴、地位も勲章もトロフィーも、彼等からすれば無価値だろう。
下位のモチベを生み出す為の単なる道具、コントロール装置にすぎないと。
つまるところ、別の目的が無いとルールを作る必然が無くなる。
金や地位を作り出す必然性が消えるのだ。
ならその目的が何なのかという事になる。
自分としては「蒼天航路」の曹操の様に、新しい文化の創造を求める。
様々な自発的価値の萌芽、イレギュラーの創造、芸術、メロディ等々。
その為にはクリエイターこそが絶対正義に思えてしまうのだ。
HSP・スターシードの多くはマゾヒストの傾向があると思われる。
これは依存者であるサディストが向こうから寄ってくるからだ。
一方的に求められてしまう、責任を負わされてしまうと。
象徴的なのはキリストが磔にされるのもそれが理由だろうし、
荒木飛呂彦が「濡れ衣を着せられる」というのもそうだろう。
例えば個人的にHSPに該当しそうな代表的な漫画家を挙げてみるが、
楳図かずお、古谷実、鴨川つばめ、伊藤潤二なんかがそうだ。
それぞれ作品からプンプンとマゾヒズムが明確に漂ってくるワケだ。
この様に皆ジャンルに於いて革命を起こすのはマゾ資質が必要となる。
同様に庵野秀明や清水崇、塚本晋也がM男を看破された様に、
ルール―メーカーとなるクリエイターは自ずとマゾとなり、
覚醒者、革命家という者は反骨精神のマゾ資質が必要になる。
こういうのは性嗜好という物に限るわけじゃないと念を押しておくが。
飼いならされたバブル期は、皆がサディストを目指した。
ツッパリブームという幼児性の肯定。
和田アキ子、とんねるず、星野監督や清原なんかもそうだろう。
しかしこれも何か作為的潮流というか騙されていた感がある。
彼等はサディスト傾向があり、むしろ精神弱者の様な印象だ。
和田にいじられたタモリ、せんだみつおなんて才能があるだろうし、
本来ならむしろ虐げられる役割では無い。
またとんねるずの芸風は「マカロニほうれん荘」を芸に落としただけで、
オリジナルには観えない上に、元の鴨川つばめはマゾに思える。
芸人とは本来道化であり、視聴者のサディズムを満たすツールだろう。
馬鹿のフリをした賢者こそがピエロの本質のハズだ。
そうであれば、報酬も地位も逆であるべきだろう。
愚民化するにはサディズム、つまりランカーの性向を満たす必要がある。
バカを自己肯定させる、愚者を気持ちよくしてやる必然がある。
そんな潮流を作るのに石橋貴明や和田アキ子はうってつけの様な気がする。
まぁ単なる時代のニーズがそうなってしまったのだろうが。
更には男らしさの象徴のようにもてはやされる「北斗の拳」のラオウ。
このキャラの眉間の皺っていうアイコンは何だろうか?
幼い頃から自分はこの眉間の皺を幾度と観て来たが、愚者の特徴だ。
虐待者、異常者、知能が低い程にこういった表情筋が作られる。
論理の通じない、物事を力学で判断する変質者の現実でのアイコンだ。
このイメージは卑怯さの表れであって到底王の器ではない気がする。
高学歴の親父が我が子を痛めつける時いつも眉間に血管が浮き出たものだ。
彼の表情筋が定着していく内、血管が太くなり昆虫の触角の様に変化した。
自分の子供、温厚でフラットで明るく独創的な我が子を弾圧する表情だ。
この表情に搾取され、抵抗を諦め虚ろになった我が子を楽しむ顔だ。
家庭という最小コミュニティでの内弁慶がおそらくは拳王なのだろう。
また、HSP代表楳図かずお先生の「神の左手 悪魔の右手」という作品、
娘に虐待をする父親が出てくるが、例によってこの表情になる。
つまり、先生もこの眉間の皺を知ってるワケだ。
俺のストーカーだった親元地元金持ち二代目のアル中先輩もこれだった。
表情筋が発達していて自己主張の強さがよく見える。
怒ったり喚いたりと情緒を武器にして成長してきたのだろう。
彼が酷い公私混同し、自分がその責任を問いただした時、
あまりに卑怯な屁理屈で逃げ回るので「親父出せ!」といった時も、
このアル中は眉間に強烈な皺が寄った顔になり、ラオウへと変貌した。
従順な筈の弱者が抵抗すると、いつもサディストはこの表情になるのだ。
幼稚園の時に毎日出会った変質者、中学の時のアル中変質者も、
こちらが拒んだり、対価を要求した瞬間に皆ラオウへ変貌する。
底辺グループのもう一人のガンダムファンのバカもサディストだった。
直に向こうからカミングアウトしてきたのだ。
おそらくこいつも立場の弱い俺をダシに世渡りしただろう。
やらかすたびに責任をこじつけちゃあ、陰でデマを流して俺を孤立させた。
こんなんがサディスト、つまり「男らしい」と言われる連中である。
表情筋の強い幼児性の化身である彼等が支配者になれるワケが無い。
無表情なワンパンマンのサイタマが最強である理由だ。
思うに支配者っていうのはマゾにしかなれないだろう。
操られる側である空虚なサディストはルールメーカーにはなれない。
想像力が欠落しているが故に、思考停止のサディストになれるのだ。
ただもう知性を知識量で偽って、空虚な肩書を求めて丸暗記をするだけだ。
賢ければ地位や金といった飴のフェイクに操られるはずがない。
実体の無い価値をどんなに得ても、気分次第で簡単に奴隷に落とされるのだから。
そう、当然現在優遇されているのはサディストが愚かだからに過ぎない。
与えられた檻の中で蟲毒の内弁慶を競うのがサディストの正体だろう。
ならこの支配者であるマゾヒストは一体どんな奴だろうか?
ひょっとしたらブレーンとして支配者を操ってる人間がいる気もする。
そうであれば、一体どんな目的があるんだろうか?
・・と、ちょっと考えてみた。
おしまい。