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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第2話 新田

戦国武将宇喜多直家がこの備前で勇躍したのは約百年前のことである。乙子城は苦難の末、直家が初陣で功績を上げ最初に宇喜多家の再興を果たした城だった。海を見渡す城であり、海賊退治が直家に任された主な任務のひとつだった。宇喜多直家は16だったと伝えられている。

海岸線は最初穴のようだったと教えられた。
小文太は現在の住処である呑み屋の後家の家に向かった。
小文太は20歳(ハタチ)になったばかりで、現場監督のような立場で土木工事に携わっていた。本人は棟梁と名乗っているが小規格な現場であった。
翌日、馴染みの漁師の息子に頼んで船で福岡まで吉井川を上る。現在の岡山市の東端を貫くようまがりくねりに一級河川吉井川は流れる。
西大寺→備前福岡・長船→と続きかつては宇喜多直家の主君だった浦上氏の本城天神山城へと河川は遠くつづく。

『よう、小船を出してくれんか?!』
『どこまで行くんなら。』(どこまでいくの?)
『福岡まででええじゃろ。』
『実家じゃな。お袋さんの乳でも吸いに行くんか。』
『ちばけたこと、言うなや!父違いや!』(ちばけた=ふざけた)
『禿げ吸いに行くんか、暇があるからええよ。』
一平次は大漁師の息子で悪仲間であった。一平と付くが次男である、だから一平次。一平次の家は小舟も入れれば10舟以上の船を所有している。歳は22になり独立して海運のようなことまでしていた。

西大寺にはかつて海が入り込んでいた。
湾口の入口を堤で堰き止め、土を入れる。簡単に言えば干拓で土地を増やした。小文太の揉め事もその中で起こった。いくつもの小刀を突きつけるようにかつては海岸線があった。乙子城もまたそのひとつのような場所で海を監視していたという。

『沼のお坊ちゃんも忙しいのぉ。小刀の後はご実家ですかぁ。』
『なにがお坊ちゃんじゃ、五男じゃぞ。厄介払いされて海を埋めてるんじゃぞ。』

小文太は笑った。もう小刀道場を破門になった話が出回っているらしい。呑み屋のお駒のヤツめ…と思ったが口にはしない。

正確には、干拓後の堤の補強工事であった。
西大寺に入り込んでいた海を干拓して金岡新田村は生まれた。この時代としては干拓の成り立ちが稀有ユニークな例であった。
町人請負(民営)新田という。
大坂の町人鴻池屋仁兵衛、金屋三郎兵衛、三好三折の3人が共同で計画。西大寺の隣、上道郡金岡村、邑久郡片岡村の干潟を請け負う。
そこでは出来上がった新田を藩に献上する代わりに、工事費を毎年の年貢で返していき、返し終わったときに私有地として2000石もらうという計画であった。だが計画は後に頓挫する。小文太もその揉め事に巻き込まれ、この田舎街でその数奇な運命を辿ることとなった。

吉井川はそんな人間の欲得な揉め事など押し流すように今日も雄大に流れていた。


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