涙もろい
最近以前にも増して涙もろくて困る。
本を読んでは泣き、ニュースを見ては泣く。そういうことが増えた気がする。
電車の読書中の涙には非常に困惑してしまう。涙を呼んでくる言葉の登場に予告はないので、滝にならないうちにグッと力を入れ、違うことを考えて涙を引っ込める。自宅だと流れるに任せられるのでその言葉を気が済むまで堪能する。
昨日は広島平和式典での広島市長のスピーチにグッときた。帰宅後、侑さんに市長のスピーチの話をしながら感情がこみ上げ、すべてを伝えきれなかった。侑さんは、自分で読みに行く方がいいね、と言って記事を探していた。
昨日は職場でそれを読んだので、これ以上深堀りすると本気で涙が止まらなくなると思い、そっと記事を閉じたのだが、今日は続きを探してみた。広島市の小学生代表のスピーチにまた涙がこみ上げる。
ふぅー。大きく息をして気持ちを落ち着ける。
そうこうしているうちに甲子園での開会式が行われたようで、不用意に選手宣誓の全文を読んでしまった。また泣くじゃない。どうしたんだろう。
ゆっくり言葉を切りながら読んでみるとどこにそのきっかけワードが潜んでいるのか自分でもわからない。なのに、通して読むとどこかのタイミングでグッとやられてしまうのだ。
のどの下あたり、鎖骨の辺りを上下させ涙をこらえる。感情を抑える。涙として排出されることのなかったその感情はのどの窪みでほんの少しの間留まり、そしてしゅーっと消えてゆく。そして私は大きく息を吐く。
もうすぐ職場を退職する方がおられるのだが、お伝えしたい感謝の気持ちがたくさんあるのに間違いなく何も言えずに終わってしまうだろう。でも感謝の気持ちは伝えるべきだしお伝えしたい。手紙にして渡してもいいかな。でもきっと便箋にもこぼしちゃいそうだ。年を重ねても未だ自分の感情を持て余している。
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