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「挙手してますけど・・・?」

私が組織や集団になじめないなと思った原因は
いろいろあるが、
その中の1つに「挙手」があると思っている。

小・中学校の授業の時間で
何か発表したり意見があるときは挙手をすると思うが、
クラスの児童生徒の前で発表するのはとても勇気のいることで、
毎回挙手する人は少なかった。

しかし挙手をしないと教師達に怒られる。
なぜ手を挙げないのか問いただされる。
それでいやいや挙げる人は少し増えるが
それでも挙げない人は挙げない。

挙手をしないと教師に怒られるということが
私はおかしい、理不尽だ!と思っていたので、
毎回の授業で意見が無くてもとりあえず挙手していた。
それはとても辛いことで、
クラスの人たちからは
「あーまたあいつ手挙げてるよ」と
思われていたのかもしれない。

「いやいや、お前らがみんな手を挙げれば
センセーから怒られなくても済むんだぞ!」

クラスメイトに対するそういう怒りももちろんあったが、
一番きつかったのは、
めったに手を挙げない人が手を挙げて発言した時、
教師が手放しでその人を褒める時である。

「いやいや、俺はなあ、毎回挙げたくもないのに手を挙げて
なんとか授業を盛り上げようとして頑張っているのに、
センセーなんでそんな俺を評価せず、滅多に発言しないそいつを
そこまで褒めるんだよ・・・」

私はいつも手を挙げ過ぎているせいか、
ある授業では、私一人だけが挙手しても
教師から指名されることが無い、ということが
しばしばあった。
教師からすれば、もっと他の人に手を挙げてもらいたいという
ことだったんだろうが、
私が手を挙げても指名されず沈黙が流れる教室の雰囲気は、
それはまあ酷なものがあり、
「俺はついに教師から無視されるようになったか・・・」と
絶望した。
授業後、私へのフォローとかも特に何にも無いしな!


集団や組織においては、
普段から頑張っている人に対する評価が正当にされるかどうかというのは、
実は結構怪しいと個人的には思っている。
少なくとも、小・中学校の授業内においては
私に対する評価は無かったし(感じなかったし)、
それは、私が毎回挙手することはある意味「当たり前」だと捉えられて
いたのかもしれず、私が精神を削って挙手していたことは
誰一人分からなかったのかもしれない。
(それ以前に察しようという気持ちもなかったのかもしれない)
私はこれだけ頑張っていたんだ!というのは、挙手の回数を見れば
分かるはずなのに、それを「努力」と見なされず「当たり前」だと
見なされていたから、評価されなかったのかもしれない。

「いやいや、違うんだよ!俺は頑張ってたんだよ!」

ある日、教育委員会かどっかからお偉いさんが授業を見に来た時、
教師はニコニコしながら授業をし、クラスメイトはいつもより
やる気を出して挙手する人が多かった。
「ああ、俺は集団や組織になじめないな」
と改めて思った。

授業内における「挙手」に苦しんでいる子どもは
実は多いのではないだろうか?
私はとっても苦しかった。
授業中苦しいのによく耐えてきたなと私自身そう思ってるし、
同じように苦しんでいる子がいたら、
「よく頑張ってるな」と声をかけてあげたい。
この苦しみは、なかなか表面上には現れてこないものだから。




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