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noteで毎日投稿をする理由の一つは自分を追い込むためである🐼自分探しは何歳で行っても問題ない💛

明日の私たちは果たして生きているのでしょうか?この問いに正しい回答を出せる人たちは皆無のはずです。なぜなら、明日の私たちは「生きている」か「死んでいる」のどちらかであり、その二択から正解を導き出すことは100%不可能だからです。

残念ながら私たち人間は自分たちの寿命がわかりません。ですから、一日一生のつもりで、日々を一生懸命生きるしかないのです。

三日前の12月6日(金)に私の大好きだった中山美穂さん(女優・歌手)が、不慮の事故で亡くなりました。この方は私の同世代です。同じ50代やその前後の世代におけるファンの皆さんの深い悲しみは、計り知れないものだと思われます。

ですが、いつまでも悲しんではいられないです。私たちには自分自身や大切な身内たちの人生があって、今日も明日も精一杯生きるしかないからです。


今日は、「私がnoteで毎日投稿する理由の一つは、自分を追い込むためである」というテーマで書きます。この類の記事に関しては、過去記事で何度も書いて来ました。しかし、今日のような内容はほとんど書いていないはずです。ただし、多少内容が重なっていることは否定しません。


昨日の記事はこちらです。先ほど記事タイトルに「享受」の文字を付け加えました。




有限の時間の中で孤高を楽しもう

私は中学3年生の頃から、誰よりも自分の時間を重視して来ました。若干14、15歳の私が時間の大切さに気が付けたことは幸運だったと思います。

その気付きによって、私の思春期と青年時代は、まさに孤高の人生だっと言えます。孤高であって決して孤独ではないです。なぜなら、私が自分の人生において「寂しい」と思ったことは、たったの1回しかないからです。

その孤独感は22歳の時に訪れたのですが、それはまさに身体が震えるような恐怖感でした。しかし、それを最後に、私は全く寂しさや孤独を感じることがなくなりました。

当時の私は大量の読書のおかげで、過去の偉人たちの素晴らしい名言に出会えていました。それらの言葉が私を救ってくれたことは間違いないです。

それ以来の私は、孤高の人生を楽しめるようになりました。

14歳以降、とにかく自分の時間を大切にし、私の時間を奪う人を極力避けて来ました。人付き合いも限定しましたので、中には私のことを疎ましく思った人もいたかもしれません。

しかし、本来私は他者の自分に対する評価や評判を全く気にするタイプの人間ではありません。そのため、自分の人生を充実させることに専念できました。この時期の充電が就職後の私に大きな成果をもたらしてくれたことは言うまでもありません。

note開始当初の私は自分探しのために記事を書いていた

インフルエンサーで有名なひろゆきさんが、自分探しのために旅行をしている相談者(50代男性)に対して、「その年齢で自分探しをする行為は恥ずかしいことでありみっともない」みたいな回答をしていた記事が、ヤフーで紹介されたことがあります。

私はこの意見・感想に対して、100%反対します。

そもそも人は迷う生き物であり、人生の分岐点においてその道の選択で戸惑ったり新たな道を模索したりすることは頻繁に起こりうることだからです。

特に、日本社会のように45歳以降リストラが多くなるような環境であれば、それはなおさらのことではないでしょうか。

幸いなことに、その記事でコメントを書いている皆さんは、全員ひろゆきさんの考えに反対していました。全員ですよ、全員(笑笑笑)。

私の場合も、人生において、それなりに紆余曲折がありました。挫折や失敗もしていて、立ち直るために時間を要する時期もあったことは否定できません。

ですから、そのような艱難辛苦の時期に「自分探し」をすることは、むしろ正しい選択であると断言できます。

なお、中学生時代の私は、一人旅が好きでした。旅行では意外な出会いがあって、それらが自分を深く見つめるきっかけになることも多いです。ですから、一人で旅行に行くことは、単なる享楽のためのものでなければ、人生にプラスになることが多い気がしています。

noteで毎日投稿をする理由は自分を追い込むためである

今の私がnoteで毎日投稿をしている理由は多岐に渡ります。それらの詳細に関しては過去記事をご覧下さい。探すことが面倒なので(笑)、私の方でリンク先を貼ることはしません。

多分、私の無料マガジン「noteの探求」のどこかにそれに該当する記事があるはずです。note株式会社にそれらを削除されていなければ。

最近の私がnoteにおいて毎日投稿にこだわる理由は、自分を追い込むためです。それは、限られた時間の中で強引に時間を作り出し短時間で記事を仕上げることが、私自身を鍛えることに繋がっていると確信しているからです。

皆さんご存知のように私の記事は2,000字以上の長文記事になることが多く、私の場合、大体100字1分で書いています。私のブラインドタッチは不完全なのですが、そんな私でもそれぐらいのことは可能なのです。<ちなみに、今日の記事は3,000文字です。>

そして、このことが私の頭(脳)を鍛えていることは確かなことです。

自分を追い込みながら自己研鑽をする。
これはまさに私に相応しい生き方なのです。

最後に やはり自分の人生を楽しんだ人が勝者である

noteという媒体を人々は様々な理由で利用しています。それは多種多様で個人の自由だと思います。ルールと法律、そして道徳の範囲内であれば、どのような利用の仕方も、私は尊重します。

ですが、いずれにせよ、結局はnoteを使って人生を楽しんだ人たちこそが、勝者ではないでしょうか。少なくともネット上で誹謗中傷を繰り返す人たちよりは、人間性が豊かで、多くの人々から愛される存在のはずです。

記事冒頭でも書いたように、私たちの明日の命の保証はありません。ですから、今日という日を楽しんでいる人々が幸福と言えます。

私自身が人生の最期をどのように迎えるかは不明です。その最期の瞬間に、「俺の人生はこれで良かったのだ。後悔はない」と思えたならば、その人の人生には意味と価値があったのではないでしょうか。

ちなみに私は、自己評価で60点ならばその人の人生は合格だと思います。50点でも「優」はもらえなくても「良」ぐらいの評価を神様(?)や創造主(?)からいただけるかもしれません(笑笑笑)。

<今日の3行日記>

私は自称イケメンの自称26歳です(笑)。そんな私が50代になってから急に植物(花々)を好きになりました。そして、不思議なことに、最近の私は自宅周辺の複数の美しい花々の存在に気が付き始めました。

イラスト素材:パンダと桜

上の<今日の3行日記>の続きになります(笑)。

実は、数日前から、玄関前の庭にきれいな花々が咲いています。その名前がわからないのですが、ピンク色で本当にきれいないのです。

この花に惹かれてしまう私もまた不思議で、もしかすると私の死期は近いのかもしれません(笑笑笑)。もちろん、冗談です。

先程いつものサイトでパンダイラストを探していたところ、桜を花見しているパンダを見つけました。季節外れのイラストですが、今の私の心境に近いので、敢えてこのイラストを選択しました。

なお、上で取り上げた花に関しては、あとで調べておきます。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。


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