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noteには無名の天才が紛れているからそのような人物に出会えた人は幸福である💛天才に対する誤解

人との出会いは自分の人生に大きく影響します。このことは現実社会だけでなくインターネット社会でも同様です。顔が見えないネット社会での出会いを軽々しく思っている人は、自分の人生に幸福と成功を導きにくいかもしれません。

今回は、「noteの世界で目立たずに活動しているクリエイター」と「天才に対する誤解」について取り上げます。




私が考える天才とは?

天才の定義は人それぞれ異なる、しかし、・・・。

ネットの社会における天才の定義は、十人十色、百人百様で全く異なります。天才の定義は、それを主張する人の数と同じぐらいあるかもしれません。

たまに、私とほぼ同じ主張をしている人を見かけますが、それでもその存在は極めて稀です。

ですから、自分が「この人は天才だぁぁぁ~~~!!!」と直感的に(直観的に)感じたならば、それでいいと思います。

100人中100人が天才である?

個人的には、現代社会の人類は、誰でも天才ではないかと予想しています。それは、「100人中100人全員が」という意味です。

この意味には2通りの問題があります。順を追って説明します。

1点目は、私たち人類の多くは自分の天才性に気が付かないことが多いということです。

日本では長い間画一的な教育が行われて来ました。特に、中学受験から大学受験まで勉強一色で人生を過ごして来た人たちの中には、その犠牲者が多いです。

本来教育とは、その人の個性に合わせて行うべきものです。義務教育レベルならば多少強制的に行うことはそれ程問題ではないと思われます。

しかし、義務教育のような基本的なことを学んでからは、各個人に合わせて教育に時間をかけないとその個性を十分に発揮できない可能性があるのです。

それゆえ、「子ども時代から大好きなことに取り組んで何かに熱中して来た人」と「そうでない人」には、才能の芽生えという点で比較できないほどの開きが起きます。

その結果どうなるかと言いますと、自己肯定感が低い大人たちが大量に輩出されることになります。つまり、自分に自信がない大人たちや自分のことが嫌いな成人男女たちが、社会の中で生きづらく過ごすことになります。

実は、私もその犠牲者でした💦💦💦

しかし、大学時代から誰かに縛られることなく自分の大好きなことを継続した結果、それなりに自分の才能を開花できたと自覚しています。しかも、複数の分野で。

2点目は、「1億人に1人の天才」と「100人に1人の天才」のようにレベルの異なる天才がいるということです。

1億人に1人の天才」とは、世界中の人々に影響を与えたり人々の生活を大きく変える発明・発見をしたりする人のことです。

100人に1人の天才」とは、日常生活や社会生活、学校生活などで他の人にはできない結果を出す人たちのことです。

そして、この定義に従えば、「100人に1人の天才」ならば、そこら中にいることになります。

例えばそれは、小さなコミュニティ社会で「誰よりも料理が美味しい人」や「誰よりもバスケットボールのシュートが上手い人」、あるいは「誰よりも集客が巧みな人」など、無数にあります。

天才と秀才を混乱させている人が多い

秀才とは元々「学校秀才」として使われることが多かった用語です。そして、この場合の秀才とは、再現性が極めて高い人を言います。

例えば、教科書を1~3回読んだだけでそれらの内容を頭に入れてしまい、テストで毎回100点を取るような人のことです。

テストで問題を完全に解くということは、記憶したことを完全に再現できていることを意味します。

ですから、秀才と天才とは異なる意味なのです。

ちなみに、天才だからテストで毎回100点を取るとは限りません。ただし、天才と秀才の両方を兼ね備えた人がいることは間違いないです。東京大学の学生は95%以上秀才だとは思いますが、天才は全体の1割ぐらいだそうです。これはある東大生の意見です。


ギフテッドは天才の中でも特殊な存在である

ギフテッド(Gifted)という言葉を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。(詳細な説明は上記切り抜き画像をご参考になさって下さい。)

このギフテッド(Gifted)とは、その人が生まれながらに持っている高い知性や才能のことを言います。

例えば、2歳児ぐらいから複数の言葉を習得したり、一度観た絵を写真のように描いたりすることができる人たちのことです。後者の場合、脳の障がいだと言う人もいますが、これもまたギフテッド(Gifted)に変わりはないです。

ですから、今回の記事で私が主張する天才とギフテッド(Gifted)は全く異なるものです。

私が唱える天才は、どちらかと言いますと、後天的な積み重ねで才能を開花させた人たちのことです。

日本型のIQ(知能指数)テストでは天才がわからないかもしれない

日本の有名な知能検査には、「田中ビネー知能検査」や「ウェクスラー式知能検査」があります。義務教育時代には誰もが2回学校でこれらの検査を行っていると思います。私も微かにその記憶があります。

あれらの知能検査で高いIQが出たからと言って、その人が天才である可能性は低いです。なぜなら、あんな偏ったテストでは、人間の高い能力の一部分しか測定できないからです。

しかも、あれらのテストは、比較的偏差値の高い中学・高校・大学受験の勉強をしている人たちの方が遥かに有利だからです。それは問題の傾向を見れば一目瞭然です。

ですので、日本国内の知能検査の結果を無暗に信用しない方がいいです。また、私が知る限りでは、あれらの結果を鵜呑みにしている教育関係者には出会ったことがないです。


以上が今回の前置きでした(笑笑笑)。ここからがいよいよ本題です。

noteの世界の天才について

noteの世界にも無名の天才が大勢いると思います。

その中で自分と相性の良い天才に出会うことができれば、今後の人生が豊かになることは間違いないです。

他人との相性は必ずあります。他の人たちが認めない天才でも、自分にはとてつもない天才に思える人たちもいます。

ですから、他人の評価で天才性の有無を決定するのではなく、自分の価値観で天才を決めましょう。その方が人生楽しいです。

自分にとっての優秀な人と他人のそれとは得てして異なるものなのです。

もちろん、大多数が認める天才や優秀な人がいることも否定しません。

最後に 人の素晴らしさがわかる人はその人自体が素晴らしい存在である

自己肯定感が低い人に限って、他人を認めません。そして、他人の価値がわからないものです。

それとは逆に、「他人の長所や優れている点へ目が行ってしまい、それで劣等感で苛まれるのだ」という人もいるかもしれません。

しかし、そのような場合は、一旦その対象者を認めた方が楽です。実は、他人を認めることは自分を大好きになるための最初のステップなのです。

その地点を土台にして少しずつ積み上げて行けば、その内他人と自分を比較しなくなります。そして、「自分と他人を比較しない人生」や「自分の価値観で生きる人生」、あるいは「自分軸で歩める人生」などを送れるようになると、徐々にその人生が楽しくなるものなのです。

なお、そのような人生を中長期的に送っていると、自分の中にある天才性に気付くことが多いようです。これに該当する人は自分自身のことが大好きで、他人の言動がほとんど気にならなくなっているように見受けられます。

<今日の3行日記>引き寄せの法則

最近のネット記事やアマゾンの著書を調べますと、「引き寄せの法則」を否定する人が散見されます。しかし、複数の引き寄せに成功している拙者からしますと、失敗者にはある特徴がある気がしています。それは、自分自身の中にあるネガティブな感情や自己肯定感の低さではないでしょうか。

昨日の記事

昨日は月末の金曜日でした。私の予想通り反響が低かったです。残り6日間でどの程度反響が伸びるかは不明です。極たまに土日以降に伸びる記事もあります。


「パンダ 天才」をイメージしたイラストを1枚お願いします。大きさはnoteの表紙画像に収まるぐらいが希望です。

今日もまたChatGPTにイラスト作成をお願いしました。

下のパンダ博士は私にそっくりだと思います(笑笑笑)。一番似ているところは、目の下の黒い部分ですです。私の目の下には「クマ」があります(笑)。これは、「年がら年中寝不足であること」と「両目と脳を使い過ぎること」が原因だと思います。なお、顔は面長で細いです。

DALL·E 2025-02-01 - An illustration of a genius panda, wearing round glasses and a lab coat, sitting in a study filled with books, scrolls, and a chalkboard covered in co

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。


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