幸福の一助になる記事を書き続けることが私たちnoteクリエイターの使命と役割かもしれない🐼 迎春パンダ
現代日本には、「今だけ金だけ自分だけ」や「自己中心的」、「利己主義」、「私利私欲」、「エゴ」などのように、自分のことしか考えていない人々を戒める言葉があります。
日本人の中にもこのような人たちが多いことは事実なのですが、そのような人々に限ってそのような戒めの言葉の重要性に気が付かないようです。
今回は、私たちnoteクリエイターの使命と役割について少しだけ考えてみました。
「今だけ金だけ自分だけ」を最初に言い始めた人は誰なのか?
今日の記事を書く際に、何となくこの言葉が頭に浮かんで来て記事冒頭の数行を書いています。なぜこの言葉が頭を過(よぎ)ったのかは不明なのですが、いつも通りの天啓(笑)だと判断し当記事を書いています。
グーグルAIでこの語源を調べたところ、驚愕の事実を知りました。なぜ驚いたかと言いますと、この「今だけ金だけ自分だけ」を最初に言い始めた人は東京大学の鈴木宣弘教授という著名な方だったからです。
ちなみに、私はこの言葉の由来を某掲示板だろうと勝手に想像していました(笑笑笑)。
その本の著書名は『食の戦争米国の罠に落ちる日本』だそうです。
詳細は以下の説明をご覧下さい。3段落と4段落の太字は私の方で付けました。
<参考>食の戦争 米国の罠に落ちる日本 (文春新書)
上の本のアマゾンリンク先を貼っておきます。意外や意外、大好評でした。
自分のことしか考えない人の人生の末路は悲惨である???
私が知る限りでは、悲惨になる人が多いと思います。
ただし、ある程度金持ちになると、社会貢献や社会奉仕に自分の資産を使い始める人たちもいるようです。そのような人たちは例外と言えるでしょう。
私は、お金儲け自体を悪いことだとは思っていません。
しかし、そのやり方がえげつない人やあくどい人、あるいは暴利を貪っている人の存在を否定しています。やはり、それらの利益は、ある程度は社会貢献の度合いに見合ったものでなければならないと考えます。
人生の多くの時期を人々を不幸にする金儲けで過ごす人は、可愛そうな人です。私は彼ら彼女らを尊敬できませんし、人生の最期が幸福だとは思えません。その根拠は、価値観が寂しい人からは、人々が離れて行くからです。
<記事とはあまり関係ない余談>詐欺師は社会貢献している???
おつむの弱い人たちからお金を毟り取って詐欺師が消費することは、もしかしたら社会還元の一つと言えるかもしれません。「かも」ですよ、「かも」。
例えば、数千万円の現金を預金していた人が銀行に預けたままですと、そのお金の社会貢献度は低いです。しかし、詐欺師に騙されて奪われて浪費されてしまったその数千万円は、社会貢献に繋がっていると考えられなくもないです。
犠牲者の皆さんを気の毒に思いますし大変大変大変胸が痛むのですが、インフレ時代の使われないお金はどんどん価値が下がります。ですので、騙された人たちは高い勉強代だと思って、諦めて前に進むしかないと思います。
なお、過去記事でも何度も書いているように、資本主義社会とは詐欺社会とも言えます。この社会を牛耳っている官僚や政治家などに騙されないように勉強することもまた、私たち一般庶民の責務なのです。
無料で記事を書き続けるnoteクリエイターはボランティア精神や無償の社会奉仕の気持ちが強いのか?
私(わたくし)個人に限ってはそうだと思います。<これは私が両親から譲り受けた最大の無形財産の一つです。>
このボランティア精神は若い頃からずっとそうでした。大学生時代のアルバイト(学習塾)では無料で補習を行っていました。また、社会人になってからも日曜日だけでなく祝日も教室を開けて、子どもたちの勉強に協力しました。これは約4年間続けましたので、この活動自体は高い評判に繋がったと思います。
私が「上達の探求」で有料記事をやめた理由は、私自身の生き方に反すると考えたからです。そして、私自身の使命と役割を考えた時に、「上達の探求」というアカウントでできることは、読者の幸福の一助に繋がるような記事を書くことだと判断したからです。
なお、他のnoteアカウントでは、有料記事を書くことを予定しています。この活動はどんなに早くても2025年の春以降になります。もちろん、その時はこちらでもご案内します。
noteの世界にもいる自己中心的で私利私欲しか考えていない人たち
幼児や小学生低学年ならばある程度許される自己中心的な言動は、大人になると受け入れ難いです。そんなことを継続して行えば人々が離れて行くことは言うまでもありません。
noteの記事やコメント欄でも、自己中心的なことしか書かない人もいます。
また、自分のnoteの有料記事やkindle本を売りたくて、何の挨拶もなしにそれらのリンク先を貼って来る不届き者がいます。
このような人たちからは、noteを通して、社会奉仕や社会貢献をしようとする意志が感じられないことは確かです。
中高年にもなって、私利私欲しか考えていない人たちは、生き方を間違えていると私は考えます。
幸い、これらに該当する人たちが早期に結果を出すことはありません。そして、いつの間にかnoteから立ち去ったり記事の更新が止まったりしています。
多くのnoteクリエイターが私同様に不快に感じていると思われますので、その結果誰にも評価されずに終わるのでしょう。
最後に 使命感と覚悟がない人ほどnote継続が困難かもしれない
私は若い頃から自分の死を恐れていませんでした。そのため普通の人よりも生きることと死ぬことの覚悟ができていたと思われます。
そして、紆余曲折がありながらも、noteを継続している内に自分の使命と役割に気が付きました。これは、多くの読者の皆さんや温かいコメントを下さった仲間たちのおかげです。今では感謝の気持ちしかないです。
そのような使命感と覚悟がありますと、note継続において今の私には障害がないと思われます。
ですから、今後も読者の皆さんの幸福の一助になるような記事を書き続けます。
なお、この考えを誰かに押し付けるつもりはございません。人それぞれ記事を書く動機は異なるものです。また、そうでなければ不自然です。
<今日の3行日記>言葉が世界を創造する?
最近の私の身近な人たちは、皆、明るいです。そして、笑顔が多いです。これもまた、私が日常生活で発する言葉やnoteで使用する前向きな言葉のおかげかもしれません。
昨日の記事
未来を引き寄せることに関しては、各自が実験した方がいいと思います。素敵な未来は、短時間で起こることもあれば、中長期的に取り組んだ結果到来することもあります。
私はその両方を経験しているので、下のような記事を書くことができました。なお、私は自分の経験に基づく一次情報を重視しています。
イラスト素材:白蛇の置物とパンダ(文字有り)
迎春とは、新年(新春)を迎えるという意味です。私は長い間、なぜ「春」という一文字が使用されているのかが不明でした。しかし、グーグルAIのおかげでやっとその理由がわかりました。
詳細は上の切り抜き画像をご覧下さい。最初の3行がその理由です。4行目以降は大体知っていました。
下のパンダイラストの白い生き物は白蛇らしいです(笑)。
今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。