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ドグラ・マグラの考察と感想

皆さんはドグラ・マグラという本を読んだことがありますか。

探偵小説家夢野久作の代表作とされる小説で、構想・執筆に10年以上の歳月をかけて、1935年に刊行された小説です。

「三大奇書」として有名ですが小説をあまり読まない私が三大奇書を呼んだら精神が狂うのか検証してみました( ᐙ )


簡単なあらすじは

”ブーン”という時計の音で、主人公は目覚める。そこは精神病棟の隔離部屋で、主人公は記憶喪失状態だった。まもなく現れた博士が言うには、主人公は”精神異常を利用した犯罪”に巻き込まれたのだという。博士に見せられた資料を読むうちに、徐々に記憶を取り戻していく主人公。そこには衝撃の結末が待っていた…

夢野久作

上巻の感想

とにかく謎が深まるばかりで調べたり自分で考える度いろんな知識が広がって面白かったです。

人間の心理作用を先祖が治さないと、代を重ねるとその遺伝子が年々遺伝していきこれが酷くなってしまうという描写が目を惹き付けました。

この部分は2015年のホロコーストの子孫の記事と似ていて著者は天才だと思いました。

夢とは背景が暗くなると潜在意識が光り始め、睡眠に出遅れた細胞たちがその意志やらを遂行するために誤作動を起こすと作者は考えてるようですね。

だが脳髄を通過してないから夢は朧気だと言いたいのだと解釈しました。

上巻で既にこの小説の核心に迫る部分を軽く触れていました。

Qなぜ胎児は単細胞からわざわざ形成されるのかという疑問について

人間は外見を見ると他の霊長類と比べ綺麗に進化してきたが皮を剥がすと内臓やら下等動物の

「お譲り」

人間の精神もそうであると筆者は述べています。

「常識とか文化という名の化粧をしているが、皮をめくると皮肉なことに生存競争があるのだ。
その過程を胎児は見ている

また悪夢についての説明では体調による影響があると言っています。

たしかに体調壊せば壊すほど悪夢見るなと私も深く納得しました。

寝てる時胃腸が働いてる→苦しい辛い 悪夢へ
消化が終わると→楽になる 悪夢からの解放

つまり、「細胞の発育、分裂、増殖を伴う細胞自身の意識内容の脳髄に対する反映が夢だと考えられている。」

「心理遺伝は、先祖の遺伝を引き継いでレッテルを貼りながらどうにか隠してるのでそれが我慢できなくなった時に壊れしまうほど脆いものである」

著者は骨格でも人格が決まると考えている。何故なら骨格を決めるのも細胞だからだ。

上巻を読み分かったのは、私たちは脳がすごいのではなく細胞が凄いのだと分かりました。

細胞が宇宙のように分裂を繰り返す。
これは、人間の歴史の集結だと思いました。

※夢遊病→熟睡状態に入り脳髄が熟睡している
※胎児の夢→胎児が母胎の中で人間の進化を見ている。つまり遺伝子というものが形を成す過程を見ていることを言っている。

こんな感じでメモばかりをしてしまいました。
上巻は情報量が多く伏線の回収ばかりをしていました。
物語がまだ序章に過ぎないことを言っているようで震えました。


下巻の感想

下巻ではこれが正解だと思えてもミスリードだったりとなかなか真実が見えませんでした。

さらに、不可解な点は

正木博士がなぜここまで呉一郎(主人公)のことを息子と言えないのか。

そして、なぜ主人公は離魂病というのを患ってるのか。

このヒントは最後辺りの主人公の言葉に隠されていました。

「  俺はまだ母親の胎内に居るのだ
これから大勢の人を片っ端から呪い殺そうとしているのだ。
しかしまだ誰も知らないのだ。ただ俺のものすごい胎動が母親が感じているだけなのだ。」

この言葉を期に、主人公の見ている世界が壁を隔てて見てる理由も夢のように曖昧で不合理的な世界に納得が出来ました。

主人公はまだ胎内の中で遺伝子の過程を永遠と繰り返しこれからの遺伝の形質が現れる優先遺伝を選別しこの遺伝から発生するであろう未来を見ているであろうと思いました。

大勢のものを呪い殺すとは卵子に行き着くまでの道のりを行ってるのではないかと思ってしまいました。

正木博士が自分の子供と言えないのにもうなずけます。まだ子供として形を成してないからです。

それを考えると呉一郎の由縁を物語る絵巻物は呉青秀の遺伝子なのかもしれません。

現に主人公は母胎から出る瞬間呉青秀を見ているため彼の遺伝が強いのでしょう。

はたまた呉青秀が人間の遺伝子そのものだと比喩したかったのでしょうか。

そこの線考えると博士は何者だったのか余計に疑問に思います。

比喩的な立場が博士にもあるのだとしたら助言を言ったり支えているあたり胎内あるいは母の意思ということでしょうか。  
または生まれてきた主人公、人間‥etc

また、しきりに出るブーーンという音は胎動の音だと思いました。

小説内では時計の音と言っていましたが胎児が産まれるまでの時間を表す比喩表現なのかなと推測しました。

主人公は推定明治40年の12月に生まれると博士が言ったように最後に離魂病を患った今日11月20日に呉一郎はもう産まれてくると考察しました。

人間は皆キチガイと正木博士が言っていたのは赤子はキチガイなこの胎児の夢を永遠と見せらているからなのかも知れません。

※胎児の夢→胎児がお腹の中で人間の進化を見てる
つまり遺伝子というものが形を成す過程を見ていることを言っている
※ドグラ・マグラ→バテレンの呪術を指す長崎地方の方言とされたり「戸惑う、面食らう」や「堂廻り、目くらみ」がなまったものとも説明されている

全体を通しての考え

胎児になるまでの過程が同胞を呪い殺すことだと断定するのならばそれを背負い生まれる、

(呉一郎)人間はどう受け止めキチガイな道から逃れられるのか。

それを著者は見たかったのかもしれません。

なぜならこの本は誰視点なのかよく分かりません。

まるで第三者から見た人間の思いのようなものを感じました。

その存在は俯瞰して見た夢野久作本人なのか神なのかは捉え方次第だと思いました。

しかし単純に謎が謎を呼ぶ堂々巡りを見せたかったという考えもできると思います。

ここまでの発想力と精神力ものすごいと思います。感動しました。

この本は生命を感じるほどの力作だと思います 

こんなに長々と勝手な憶測や感想を書いていますが今回の検証で分かったのは三大奇書の「ドグラ・マグラ」は凄すぎるということと、
もう二度と生まれてこないぐらいの名作って事くらいです。
ちなみに主は元から頭おかしいので大丈夫です!


○後日談です
ドグラ・マグラを解説するにあたり思い出したゲームがありましたので追加で編集しました。

またドグラ・マグラは個人的にサマータイムレンダというアニメを想起させます。

繋がりがあるかは不明ですが

この作品は時代を超えても尚繋がれていくそれこそが ドグラ・マグラ(堂々巡り)

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