エッセイ│蟻地獄
最近の私は荒廃してきてる。
そう感じざるを得ない。
何故ならば人の言葉を求めては、それを押し返すことばかりを繰り返している。
「蟻地獄」
この言葉以上に今の私を現すピッタリな響きは無いだろう。
進化の過程を退行するかのように赤子のように泣きまくりめまいで平衡感覚が可笑しくなり二足歩行もままらなくなっている。
ましてや、それを助ける人たちに引きずり込ませようとする。
助かることを諦めてしまったようで同じような感覚の人達ばかりを集めて大群を作りたいのだ。
哀れすぎて、たまに自身を恥たり急募と言わんばかりに救ってくれる言葉を蟻達は待っている。
蟻達は皆言う
「同じような言葉が繰り広げられる現実に人間不信ならぬ言葉不信にもなってしまった。でも自分だけの取っておきの甘い言葉が欲しいんだ。」
液晶のように冷たい言葉に依存するのはもう勘弁だ。
言葉を欲しいのは機械なんかじゃない。
chat gptのように精錬された言葉じゃない。
同じ言葉を繰り返すAIじみた現代病の人間じゃない。
人間に欲しいんだ。体温の感じる音と声で。
私の考えに共感しないものはこう言う
「あなたはなにもわかってない。言葉に利用されてばかりで。
文字ばかりを見てるからそうなるのよそんなに欲しい言葉があるならあなたが同じ言葉を他人に与えてみなさいよ」
「あなたは、欲しい言葉ばかりを求めて自分しか見えてない。都合のいい言葉をかけても所詮都合のいい人間になるのよ」
都合のいい人間?人に役になってるならそれでいいじゃないか、と私は思う
もしこの言葉を信じれば誰か救われれば本望だ。別に悲しくない。
言葉は優しいからな。人間と違って
「欲しい言葉を求めて他人の救いになるのならウィンウィンじゃないですか。」
そう早めに返信を返す私を一蹴させるかのように
こう言うのだ。
「じゃああなたが求めてる幸せになれるとかそんな言葉はなんなのよ。幸せになれてないじゃない。苦しんでるじゃない。」
「それは、、」
同情を帯びた、悲痛な目で液晶から覗き込んでる予感がした。
蟻の大群の意見は大多数の意見だ。
だから私は彼らは少数意見のくだらない文章だと感じていたはずだった。
そう思っていた人に諭されるのは余計虚しくなるじゃないか
「才能がなかろうとあろうとも頭が悪かろうと良かろうと、何かを知ってしまったのなら
それはとても生きづらい
知識は恵みだと言ったでも実際はそうでもない
知れば知るほどしり込みをする。
何かを知るということは今までの知識や経験を捨てるということだ。
言葉もそうだ。その言葉を依存する度にあなた達は大切な何かを捨ててきている。
与えられてばかりの人間になるな
疑え、今ある知識や言葉を。
それは本当なのか。今信じてるものは幸せなのか」
皮肉にも私が響いた言葉は液晶からの言葉だった。
「幸福」
その言葉をがむしゃらに追いかける私たちはその言葉を飲み込もうと必死に本を読む。
概念自体ですら、手に入れようと。そこに書かれている言葉はただの定義に過ぎない。
その定義を自らつけ自分の言葉に変換し、新たな道をこじ開けるのは私自身だ。
それがおそらく言葉の役割なのだ。